卒業のシーズンを迎え、今週は様々な学校で卒業式が行われています。
卒業生の方、ご家族の方々、ご卒業おめでとうございます。
さて、ご家族の方から、お子さんの卒業を心から喜ぶ気持ちと共に、これってどうなのかな? という疑問の声が届きました。
義務教育終了の卒業にあたり、中学3年生に「親への感謝の手紙を書こう」と手紙をつづらせている中学校が少なくないそうです。文京区内でも複数の区立中学校で実施されていました。
親には内緒で書かせた手紙は、卒業式当日に受付の先生が直接親に渡したり、出席できない親には学校から郵送したりする等がされています。
ある中学校が、3年生に配布した「お世話になった自分の親 (お父さん・お母さん)に感謝の手紙を書こう!!」と題した下書き用紙には、感謝の書き方が書かれています。
そこには、例えば、こんな一文が・・・
この手紙は、長く書くことがとても重要です。そうすれば、自分の思いがたくさん伝わります(ラブレターも長い方がいいです)。 卒業式当日、親が涙を流すことを思い浮かべて、全力で書いてください。
実例集として3つの例文も示されています。
学校によっては、生徒が書いた「親への感謝の手紙」の下書きを回収し、先生が言葉遣い等の指導を入れています。まるで、会社で、取引先に謝礼の手紙を送る際に上司のチェックを受けるかのようにも感じます。
先生たちは、生徒たちに、「これまでの日々は親をはじめとする多くの人々に助けられ、支えられての今なのだ」ということを改めて気づかせて、送り出したいという思いがあってのことだと思います。
一方、ここ数年、厳しい状況で育つ子どもたちがいることがわかってきて、社会課題として認識されてきた状況を先生たちはどのように感じているのでしょうか。
実際に、虐待を受けた疑いがあるとして警察が児童相談所に通告した数は統計開始以来13年連続で増加し、6万件を超える過去最悪の数になっています。暴言を浴びせられるなどの「心理的虐待」が全体の7割を占めています。また、実際に、一時的に保護された子どもの数も増えており過去最多です。
時事ドットコムニュース:児童虐待疑い6.5万人超=13年連続増で最悪更新-警察庁 https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_tyosa-jikenchildren-casualties
虐待にかぎらず、ひとり親家庭で経済的にも精神的にもゆとりを持てない家庭環境にいて日々の生活で目いっぱいの子どもや、精神疾患等の親のケアをしなくてはならない子ども等々もいます。
親に感謝したくても、感謝する思いを持てない環境で育つ子どもたちも現実に存在する、ということが取りざたされる中、親への感謝ありきで、課題としてつづらされる時間を、心の中に感謝を見いだせない子どもたちは、どんな気持ちで向き合っているのか、と想像すると胸が痛みます。
子どもから感謝の手紙を受け取った親御さんのひとりは、「子どもから学校で課題のように書かさされたことを聞いただけに、受け取っても複雑」「感謝って、言われてするものじゃないと思う」「二分の一成人式で親への感謝を子どもがつづらされた時も違和感を覚えたけれど、愛を確信して育つ子どもばかりではない現実があるのに、本当にいいのかな・・・」と。
子どもの中には、感謝の手紙を強制的に書かされることで、違和感にさいなまれる子どももいます。 そんな子たちが心のままにつづれる言葉はあるでしょうか?
先生のねらいを忖度(そんたく)して、本当の気持ちに目をそむけて、例文のような感謝の言葉を機械的につむぎ出す。そうするほうが周囲に波風を立てずに社会で生きていけるようになる、という方針でもあるのでしょうか? もし、そうだとしても、表面的な処世術を身に付けることが真の教育でしょうか?
「親を喜ばすため」「親に涙を流させるため」というのは、教育の目的としてふさわしいでしょうか? 「卒業というイベントの演出」として行うのだとしても、もっとよく考えるべき演出です。子どもたち自身に考えさせる手立てもあるのではないでしょうか。
書き方や例文等の文章を読むと、子どもたちの様々な心のありようを尊重しているようにはとても感じられず、ある一定の「型にはめる」意識が透けて見えます。子どもたちの心のありようがどうであれ、「親には感謝すべき」で「とにかく感謝を書きなさい」という圧力すら感じます。
3つ示されている実例集の文例は、いずれも両親が揃っているケースで、そうでない家庭の子どもは想定していないのか、「例外として扱う」という考えなのか、どちらにしても、一人ひとりを尊重する姿勢が見えて来ないのはとても残念です。「個を尊重する」としている日本の教育理念に照らしても違和感がぬぐえません。
誰に対しても、感謝の気持ちを伝える術(すべ)を子どもたちが学んでいくことは大切だと思います。しかし、それは「感謝の気持ちを抱いた時にどう伝えるか」であり、自分の心を置き去りにした感謝に価値があるとは思えませんし、相手の心に響くとも思えません。
前述したように、様々な家庭環境にいる子どもの中には、「親への感謝の手紙を書きなさい」とせまられて心が傷つく子どももいるのだ、という視点を学校は持って欲しいと思います。
例えば、「親への感謝の手紙」に限定せずに、「大切な方への手紙」として、子どもたちが自分の心の内を見つめる時間に寄り添い、もし、そこに不満や、もっと言えば「恨み」のようなネガティブな感情が根深く存在していることを見つけてしまったとしても、その心を否定せずに、「本当はどうしたいか?どうありたいか?」を自問自答し、心の声を手紙につづることで、卒業というステップを機に、親だけでなく、深く関わりのある相手との関係性においても、自身の自立に向けても、新たな一歩を踏み出すきっかけにできることだってあるかもしれません。
この4月から小学校では道徳が教科になり、中学校でも31年度から実施です。親への感謝をつづらせることがスタンダードとなったなら、道徳の教科でどのような指導がなされていくのか不安が募ります。
いずれにしても、卒業に際して多くの学校で行われている「親への感謝の手紙」の取り組みについては、子どもたちと共に、再考していただきたいと願います。