昨年10月末、初めて上海を訪問した。上海の街は高層ビルが立ち並び、東京に似ていた。静かでおしゃれな住宅街もあった。そのような先端的な地区には富裕層が住んでいるようだ。上海が急速に発展していることを実感する。
一方、一歩、裏路地に入れば、昔ながらの中国を彷彿させるところもある。平日の昼間にマージャンをしている中年の男性たち、軒先で幼い子どもに目を配りながら家事をしている女性たちもいる。商店に並ぶのはパッケージングされずに陳列された食材、食材は量り売りが普通だ。まるで、昭和30年代の東京を描いた映画「Always三丁目の夕日」を観ているようだ。
上海は戸籍人口1400万人、東京都の1300万人と同じ位の人口規模で、ライフラインも整っている。中心部の生活レベルはまさに先進国だ。
物価は高い。ミネラルウォーター、地下鉄、タクシー初乗り料金は日本の1/3から1/2だが、コンビニに陳列されているおにぎりやサンドイッチの値段は日本と変わらない。飲食店やホテルは安いところもあるが、クオリティを求めれば値段は東京と肩を並べているようだ。地価は不動産バブルのせいだろうか、むしろ東京より高い。上海市内中心部の徐匯区にある2LDK(93㎡)のマンションは575万元(約1億円)もする。
私は都内の総合病院に勤める看護師だ。公衆衛生を学んでいるところで、高齢者の健康問題、特に認知症とその介護に関心がある。今回、上海の復旦大学の公衆衛生の研究チームと、この問題を共同研究するために訪問が実現した。
急速に発展する上海は、東京同様に高齢化問題を抱えている。世界中で多くの読者を持つthe Lancetやthe New England Journal of medicineなど有名医学雑誌も特集を出すほどに、医療分野でも中国への関心は高まっている。
介護は上海でも大きな問題だ。サービスの供給が需要に追いついてない。高齢化の先を行く日本には、中国からも大きな期待が寄せられている。現に、幾つかの日本企業は、既に上海に参入している。例えば、介護最大手のニチイ学館は養老、介護サービスでも進出し、既に同社香港子会社を通じ、北京や上海、広州などの中国企業と10社以上の合弁会社を設立した。中国の民政部が管轄する「中民養老企画院」とも提携し、事業準備体制を整備している。
また、首都圏などで有料老人ホームを運営するリエイは、2012年、上海で現地企業と共同で老人ホームを開設した。中国政府も外資による高齢者介護サービス市場への参入を促す方針で、営利目的の施設運営やサービス提供を奨励している。日本より規制が少ない分、急速に展開できる可能性がある。
介護サービスの供給不足は、外資の導入によってある程度緩和できる。上海が抱える大きな問題は別にある。それは、認知症や介護への社会の理解が不十分なことだ。いまだに要介護者を精神病扱いでベッドに縛り付けるような施設が多い。認知症高齢者が安心して暮らせる施設、徘徊できる施設はまだまだ不足している。
そうは言っても、朝日新聞経済部による「ルポ 老人地獄」によると、認知症や介護の理解が進んでいる日本ですら、特養や老健の少なくとも2割近くで虐待が起きているという。
認知症や介護には「理解」の先に一筋縄ではいかない問題が山積していることが明らかである。上海には裕福な家庭が多い。家政婦を雇って手伝いをしてもらっている家庭もある。ただ、大半を占めるのはそのような余裕まではない一般家庭だろう。上海では、「子どもが親の面倒をみるもの」という考えが根強く残っており、認知症の高齢者の世話は家族に押しつけられがちだ。
何れのパターンにせよ、現実には介護の知識のない一般人が介護をせざるを得ない。床ずれを防ぐための体位の変換など認知症の高齢者ケアの基本的な介護技術を習得していないので、高齢者が褥瘡、誤嚥性肺炎、転倒による骨折のリスクにさらされる可能性が高い。
このように上海の介護は課題山積だ。ただ、上海は持ち前のパワーで試行錯誤を繰り返している。
我々は、上海の静安区での認知症対策を見学した。静安区は高層ビルの立ち並ぶエリアとは違い、落ち着いた雰囲気のお洒落で瀟洒な住宅街である。静安区は上海の中でも高齢化が進んだエリアである。60歳以上の人口が31.5%で上海全体より2.6%高く、高齢化の進行度合いが最も高い行政区である。
訪問したのは「愛老家元」という介護施設だ。行政が出資し運営主体となり、民間が最新技術で協力し、2013年から認知症の人を対象としたデイサービスのプログラムを行っている。2年に一回、60歳以上の住まいを訪問して、MMSEという認知症を早期発見するためのテストでスクリーニングする。そして、認知症または認知症の疑いがあると判断された場合、希望者は、3ヶ月間、2日に1回の通所をする。費用は公費から支払われ、自己負担はない。
プログラムや施設は工夫されている。例えば、活動プログラムは、書道、絵の模写、手芸やビーズの小物製作など盛り沢山だ。施設内には、キッチンやトレーニングマシーン、リラックスできる豪華なリクライニングチェアが整備されている。
高齢者のために床暖房が整備され、エアコンの風も肌に直接当たらないように配慮されている。また、床には水を溢してしまっても滑らない素材を用いるなど、最先端の技術が取り入れられている。ホテルのロビーのような高級感があり、経済成長を続ける上海に相応しいものだった。
通所者の多くは軽症だ。雰囲気は明るく、私たちに笑顔を振りまいて下さる方もいた。時間割でプログラムが決められており、スタッフは親切で手厚い対応をしていた。みな、真剣なまなざしで書道や模写に取り組んでいた。手の行き届いたプログラムで認知症予防として効果がありそうに思えた。
実際に、夫を亡くして2年間引きこもっていた高齢女性が、この通所プログラムで今や健康と明るさを取り戻したという。上海だけでなく、中国全土で、このようなプロジェクトが進んでいるようだ。ただ、経済的に裕福な上海と同じ仕組みが中国の他の地区でも可能なのか、一筋縄にはいかないだろう。
私は、中国の底力は単に経済成長だけではないと思う。その底力が何かというと、実際に上海を訪れて感じたのだが、「コミュニティー」が根強く生き残っていることにあるのではないか。例えば、平日にも関わらず、早朝の公園、デパートなどのビルの下で中年から高齢の方々が集まって、体操や社交ダンス、ゲームを楽しんでいたのを見かけたが、その典型だろう。
行政も、コミュニティーの維持に尽力しているようだ。上海では、地域毎に一人暮らしの高齢者を毎日見守る制度がある。行政の保健分野で働いている呉さんは、「私たちはもともと町内会などのコミュニティーが強く、危ない人がいれば常にコミュニティーで把握している。」という。日本にも民生委員という制度があるが、上海の方が機能しているように感じる。
これは中国の国民性、特に上海人気質が関係しているのではないだろうか。そもそも上海では人と人との距離が近く、それが苦にならない気質があるように思う。日本に長く住んだ経験があり、今回上海を案内してくれた地元出身の梁栄戎さんによれば、会社での上司と部下の人間関係について、上海は日本に比べて非常に濃厚な付き合いをするという。そのため、梁さんのご主人は日本に来て物足りなく感じたそうだ。
上海では「孤独死」は問題となっていないそうだが、このようなことが関係しているのかもしれない。強いコミュニティーは、精神的疾患による高齢者の孤立を防ぐことに貢献する可能性が高い。日本は孤独死の問題への対応を上海から学ぶべきかもしれない。
人間は一人では生きていけない。私は病院での勤務の他に、東京の路上生活者の訪問健康相談にも毎月参加している。そこで知り合った60代の男性は、手取り月7万円の年金で食いつないでいるらしい。「確かに暖かいところで寝たいね。それにここ(東京)にこだわる理由もないのだけど。」と言う。
それでも、彼は路上生活を続けている。それは友人がいるからだ。雰囲気が凸凹な4人でいつも一緒にいる。身寄りも職場の仲間も繋がりを失った今、路上の仲間が彼の暮らしを支えている。人間にとってコミュニティーは大切だ。高齢化が進む我が国で、どうやってコミュニティーを維持すればいいのだろう。
かつての東京には「Always三丁目の夕日」の世界があった。近所付き合いや地域のコミュニティーが高齢者の暮らしを支えていた。現在はそのコミュニティーが崩壊し、単身の高齢者が増えた。富裕層はヘルパーなど、民間サービスを利用するだろう。金銭的余裕のない庶民はどうすればいいのか。お金に頼らない社会資本としての、新たなコミュニティーを形成するしかない。
おそらく、未曾有の高齢化が進む東京でも試行錯誤が続くだろう。従来のような家族、あるいは会社に丸投げのような単純な仕組みにはならないのかもしれない。高齢者は複数のコミュニティーに属し、それらが有機的に連携するのかもしれない。例えば、退職年齢の延長で職業コミュニティーが見直されるかもしれない。
従来のプライバシーに過度に配慮したマンションの設計も見直されるだろう。独居高齢者が多い集合住宅では、居住者が一緒に食事をとり、団欒がとれるスペースを作ることが普及するかもしれない。これは、高齢者の安全だけでなく、離れて暮らす子ども達にとっても安心材料となる。
日本はこれまで震災や不況など多くの難題を経験しつつも何とかやってきた。そして現在立ち向かうべきは、高齢者の増加とその格差の問題である。解決のために、様々な分野の人による柔軟な発想で知恵を出し合えば、いく通りにも工夫を凝らすことができると考える。
人間は社会的動物であり、一人では生きてはいけないという前提に立ち戻る必要があると思う。上海訪問はこれに気付く契機となった。私たちには、新たなコミュニティーの在り方を、いわば21世紀の「Always三丁目の夕日」を作っていくことが求められているのだ。
(2016年2月10日「MRIC by 医療ガバナンス」より転載)
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