アーツカウンシル東京が展開する様々なプログラムの現場やそこに関わる人々の様子を見て・聞いて・考えて...ライターの若林朋子さんが特派員となりレポート形式でお送りするブログ「見聞日常」。
オリンピック・パラリンピックはスポーツの祭典であると同時に、文化の祭典でもあります。今回は「2020年『文化オリンピック』の行方」と題し、文化プログラムの歴史、2012年ロンドン大会時のロンドン市民の反応や、2020年東京大会への期待も込めた盛りだくさんのレポートをお届けします。
(以下、2015年9月30日アーツカウンシル東京ブログ「見聞日常」より転載)
リオ五輪まで1年
8月初旬、「リオデジャネイロ五輪まであと1年」のニュースがたびたび報じられた。南米初の夏季オリンピックは2016年8月5日から17日間、28競技306種目で実施される。
それにしても、猛暑のさなかにオリンピックの話を聞くと、2020年の東京オリンピック・パラリンピック大会に臨む選手を心配せずにはいられなかった。今夏、東京で連続猛暑日を記録した7月31日〜8月7日は、東京大会の開催期間7月24日〜8月9日(パラリンピックは8月25日〜9月6日)にぴたりと一致する。夏の五輪開催は国際オリンピック委員会(IOC)の定めとはいえ、テレビで観戦する人も放映権ビジネスに関わる人も冷房の効いた部屋にいて、主役の選手が炎天下にさらされるのはなんとも気の毒。1964年東京五輪の10月開催のよさを、猛暑を極めたこの夏、しみじみ思うのだった。
オリンピック文化プログラムとオリンピック憲章
まだ始まってもいないのになんだが、リオ五輪が終わると、入れ替わりに次の開催国日本でスタートするものがある。東京オリンピック・パラリンピック大会の「文化プログラム」だ。スポーツ競技に先立って2016年からの4年間を「カルチュラル・オリンピアード(文化オリンピック)」の期間として、各種の文化プログラムが開催され、2020年の競技大会の期間にクライマックスを迎えることになっている。
一般にはあまり知られていないが、この「文化オリンピック」は、IOCが定める近代オリンピックの規約「オリンピック憲章」で実施が義務づけられている。つまり、オリンピックでは、スポーツ競技と文化プログラムが併せて開催されることになっているのだ。来年のリオ大会はもちろんのこと、過去の大会においても、文化プログラムはさまざまに行われてきた。
実際のオリンピック憲章の条文を見てみると、スポーツだけでなく、文化や教育の重要性についてたびたび言及されており、「文化プログラム」という独立条項も設けられている。
「オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである」
(オリンピズムの根本原則)
「スポーツと文化および教育を融合させる活動を奨励し支援する」
(第1章-2 IOC の使命と役割)
「国内オリンピック・アカデミー、オリンピック博物館など、オリンピック教育を専門に担う機関の設立を奨励し、文化的なものを含め、オリンピック・ムーブメントと関連するその他のプログラムを奨励する」
(第4章-27-2.1 国内オリンピック委員会(NOC)の役割)
「スポーツとオリンピズムの分野において、文化と芸術の奨励を活動に含める」
(同付属細則3.2 奨励事項)
「OCOG(オリンピック競技大会組織委員会)は少なくともオリンピック村の開村から閉村までの期間、文化イベントのプログラムを催すものとする」
(第5章-39 文化プログラム)
オリンピズムは「生き方の哲学」「生き方の創造を探求するもの」と表現するオリンピズムの原則からして、どこか文化的である。
オリンピックで「芸術を競技」した時代もあった
現在はスポーツ競技とは別に開催される文化プログラムだが、かつてはオリンピックの正式種目として「芸術競技」が存在した。1912年のストックホルム大会から1948年のロンドン大会までの計7大会では、音楽、絵画、建築、彫刻、文学の5分野でスポーツを題材にした芸術作品の採点競技を実施。日本人メダリストもいて、1936年のベルリン大会の絵画種目で2人が銅メダルを獲得している。スポーツを題材に芸術作品を競わせる発想は、100年後の現在からすればかなりユニークだが、近代オリンピックの創設者ピエール・ド・クーベルタン男爵の掲げた、精神と肉体およびスポーツと文化の融合という理想には、今より近かったとみることもできる。実際、芸術競技の導入を強く主張したのは彼だった。勝手な想像ながら、もしかすると、1901年に贈賞が始まったノーベル文学賞を意識することなどもあったのだろうか。
その後、1952年のヘルシンキ大会で芸術競技は中止され、自国の芸術作品の「展示」に移行していく。異なる文化背景から生まれる多様な芸術作品を客観的に評価して、金銀銅と順位付けするのが困難だったことは容易に想像できるし、作品輸送等の問題もあったという。また、スポーツ競技で記録の更新が重視されるようになると、そうした性質を伴わない芸術競技は下火になっていったとの見方もある。こうして、オリンピック憲章に謳われている「文化と芸術の奨励」の形は変化し、開催地の大会組織委員会が独自の芸術展示を行うようになっていった。1964年の東京大会でも、日本の芸術作品が展示された。テーマはスポーツに限定せず、書道や工芸品、浮世絵、歌舞伎、人形浄瑠璃、雅楽、能楽、民俗芸能、近・現代美術などが披露され、世界的にも大変な好評を博した。ユニークなところでは、スポーツ郵便切手の展示もあった。
「文化オリンピック」という発想
その後、「オリンピックにおける文化と芸術の奨励」の形は再び変化する。世界が豊かになり、オリンピックが商業的に巨大化したことも手伝ってか、静的な作品展示から、より大規模で祝祭的な「文化イベント、文化プログラム」へと変容していった。オリンピックが政争の具にされた冷戦時代が終わり、世界のグローバル化が進んだことも大きい。文化を通じて他国や他民族を理解しようと努めることや、平和の祭典というオリンピックの特質を、文化プログラムでより強固にすることが重要になった。
なかでも特徴的な変化は、1992年のバルセロナ大会である。オリンピックまでの4年間にわたって多様な文化プログラムを展開し、それを「文化オリンピック(カルチュラル・オリンピアード)」と位置付けた。内容も、自国の芸術作品や文化の披露にとどまらず、グローバルな文化交流の機会となった。「文化オリンピック」のコンセプトはその後も継承され、ソチ五輪など冬季オリンピックでも実施されている。
この流れをさらに発展させたのが、前回の2012年ロンドン大会である。2008年から2012年までのカルチュラル・オリンピアード期間中に、17万7717件のプログラムが英国全土で開催され、4万464人のアーティストが参加(うち新進作家6,160人、障害のある作家806人)、市民も4,340万人が参加体験した。新しくつくられた作品数は5,370点、文化機関や企業、教育機関、地方自治体、スポーツ団体等の新たなパートナーシップも1万940件生まれた。その予算規模は、実に210億円にのぼったという。
オリンピック競技大会の一か月前からは、文化プログラムのクライマックスとして「ロンドン2012 フェスティバル」が開催され、パラリンピック閉会までの間に、約2万5000人のアーティストと2,000万人以上の観客が参加した。シェイクスピアの戯曲全37作品を37言語で上演した「Globe to Globe Festival2012」(ワールド・シェイクスピア・フェスティバル2012)や、トラファルガー・スクエアをはじめ英国各地で大勢のダンサーやパフォーマー、子供たちが一斉にダンスを披露した「ビッグ・ダンス2012」などは日本でもよく紹介された。障害者や若者の社会参加、戦争と平和、地域社会の活性化等の、社会課題を扱う文化プログラムも多数展開。障害のあるアーティストの活動を支援するプログラム「アンリミテッド(Unlimited)」は、英国内外で高く評価された。「生き方の創造を探求する」というオリンピズムの原則を色濃く反映し、多様性を尊重する英国らしい「生き方の哲学」がしっかりと見える文化オリンピックとなった。
過去最大規模だった2012年ロンドン大会の文化オリンピックは、理論構築や仕組みづくり、事後検証がしっかりしていることもあって、東京大会は招致活動の段階からそれを模範としてきた。ロンドン大会の関係者が、英国から多数招聘され日本でシンポジウム等も開催されている。そうした機会や各種の研究調査から、成功までの道のりや運営の詳細、"レガシー(遺産)"と呼ばれる、開催後も長期にわたって残っていく五輪のポジティブな影響について知ることができる。
ロンドン大会文化プログラムの反応あれこれ
ところで、英国の一般の人々は文化オリンピックをどのようにみていたのだろう。関係者以外の一般の人の声も知りたくなり、英国に暮らす友人たちに聞いてみることにした。
ロンドンオリンピック・パラリンピック大会の夏をおおいに楽しんだという友人は、スポーツだけでなくアートシーンも盛り上がっていたという。「具体的にどんなプログラムがあったかはよく覚えていないけれど、とにかく数は多かった。今でも記憶に残っているのは、ワールド・シェイクスピア─正式な名前は忘れてしまったけれど。文化の多様性に感銘を受けた。単に外国のアーティストや他国の文化というだけではなくて、障害のある人にもアートの機会がたくさんあったことが印象的だった。」との感想。「でも正直に言うと、あれがカルチュラル・オリンピアードの一環だったとは、当時は思っていなかった。すばらしいイベントだと思ったことだけは確か。」とも補足した。
別の友人は、「オリンピックが本当に盛り上がってきたのは聖火リレーの頃から。聖火リレーは、多様性というロンドン大会のテーマが凝縮されていたから。とにかくパラリンピックが本当にすばらしかった!」と、まずは大会全体を思い出してから、「文化プログラムは、一般の人にとっては『何かいろいろあったよね』という印象じゃないかな。でも、それがカルチュラル・オリンピアードの一環だったと知っていたかはわからない。カルチュラル・オリンピアードというのがあったの? という感じかもしれないね。シェイクスピアはいろいろな国の言葉で上演されていて、日本の劇団も上演していたよ。」とのことだった。第二次大戦中に爆撃を受け廃墟の姿で今日まで保存されてきた、英国中部にあるコベントリー大聖堂での平和を願う音楽イベントが心に残ったという声もあった。
一方、非ロンドン居住の友人は、カルチュラル・オリンピアードの存在は知りつつも、「率直に言うと、あまり気にかけていなかったかな。関心がなかったとか、反対だったわけじゃなくて、とにかくその期間中仕事がものすごく忙しくて。なんだかもうかなり昔の話だね!」とのことだった。
そのほか、「売り切れで行けなかったりしたけれど、目にしたものはみんなおもしろそうだなと思った。文化プログラムの情報は、地下鉄の掲示やチラシ、文化施設の広報誌、あとはインターネットで見たかな。実際に参加はできなくても、受け取る情報からは、ポジティブな印象を持っていたよ。」との声もあった。そして、「ストーリーをどのようにつくり、何をやりたくて、どこにクライマックスをもっていくかが大事だったんだと思う。ロンドンという都市のブランドは"混ざっている"こと、多様であること。そういうストーリーの筋が、文化プログラムにも通っていたと思う。東京も、どういうストーリーを描きたくて、東京という都市を文化プログラムでどう表現していきたいかだよね。」と、東京大会に向けてのコメントも。
英国のすべての市民が「カルチュラル・オリンピアード」を熟知していたわけではないことが見えたのだが、その多様な受け止め方に逆にほっとしたし、東京大会に向けたヒントも垣間見えた。「オリンピック憲章で文化プログラムの実施が決められているから」という流れで、カルチュラル・オリンピアードを社会にアピールしたり、文化の価値を声高に叫んでも、あまり効果はなさそうだ。むしろ、文化プログラムで伝えたい「テーマ」こそが大事なのだろう。実際、友人たちはカルチュラル・オリンピアードの内容にはそれほど詳しくはなかったが、「英国にいる誰もが参加できる」という多様性重視のテーマ、メッセージはしっかりと受け取っていた。
文化オリンピックのレガシー
レガシーについても尋ねてみたところ、現在さまざまに利活用が進むロンドン五輪会場・選手村跡地「クイーン・エリザベス・オリンピック・パーク」(大会2年後の2014年4月にオープン)の冊子を見せてくれた友人がいた。パークのある一帯は、労働者や移民が多数暮らし、環境汚染も長らく課題とされてきた地区だったが、会場跡地の再開発は地域のイメージをポジティブに転換するよい機会とされ、地区の子供たちが通う学校もパーク内にできたという。
一方、「レガシーとして何が残ったかという話よりも、レガシーを残すためにどのような手を尽くしたかということが大事なのでは?」という大事な指摘もあった。「英国の文化関係者は『今回のオリンピックの機会にいろいろやっておかないと、もう文化は浮上できない』という背水の陣で、カルチュラル・オリンピアードに賭けたのだろう。」との見方だ。確かに、英国では2010年の政権交代後に政府の文化予算が大幅に削減され、助成金減額やプログラムの廃止などで、文化関係者はとても苦しい状況に置かれていた。ロンドン大会は、芸術・文化は社会に必要で、社会的な利益やインパクトをもたらすのだと広く丁寧に訴える大事なチャンスだったことは、想像にかたくない。
カルチュラル・オリンピアードのチェアマンを務めたトニー・ホール氏(ロイヤル・オペラ・ハウスCEO)の発言も印象に残った(The Guardian、2012年9月10日)。ホール氏は、ロンドン大会の文化プログラムにおいて、これまでに例がないほど多数のアートのコラボレーションやパートナーシップが実現したことを振り返り、芸術団体の働き方も今後変わっていくだろうという。
「なぜ我々は、今までこのようにコラボレーションしてこなかったのだろう。今は人々が一緒に物事の実現に取り組むようになった。こうしたつながりや交流が続くことを願っている。この夏、我々は皆本当にたくさんのことを学んだのだ。」
オリンピックという希少な機会だからこそ、前例がないからできないと思っていたことや、発想すらしてこなかったことができた。ハードルも乗り越えることができたという。これぞ、知りたかったレガシーの形だ。ホール氏の言葉で、阪神・淡路大震災や東日本大震災の経験が思い出された。迅速な復興支援のために前例のない早さでコトが動いたり、さまざまな規制が緩和されたり、驚くような協働がたくさん生まれたりした。過去に例がないからできないのではないのだと、日本は既に学んでいる。
東京のテーマは?
友人に借りた、ロンドン大会文化プログラムのハイライト「ロンドン2012フェスティバル」の公式ガイドブックを開いてみた。A4版で140ページほど。フェスティバル期間にロンドンで開催される催しが、びっしりとラインナップされている(ロンドン以外で開催されるプログラムは、8つのエリア別に公式ガイドが発行された)。
開催趣旨や力を入れるテーマの記事は、心に響く言葉が並ぶ。ジャンル別プログラム一覧は、「美術、デザイン、展覧会」「コメディ」「ダンス」「映像、放送、デジタル」「博物館、遺跡」「音楽」「野外、祭」「詩、朗読」「演劇、パフォーマンス」の9カテゴリー。コメディや野外など英国らしさを感じるが、さて、東京オリンピック・パラリンピック大会の文化プログラムはどうなるのかと、想像は広がる。あらゆる事象に文化性を見出す"やおよろず"文化の国・日本、である。カテゴリーもユニークに表現できそうだ。こんな風に一個人があれこれ想像できるのも、文化オリンピックの魅力かもしれない。
現在、東京都や文化庁をはじめ、各所で2020年に向けた文化プログラムの計画が鋭意進んでいる。東京大会が、ロンドンのカルチュラル・オリンピアードを継承・発展させるとすれば、それは「プログラムの総数」や「予算額」ではないだろうと、英国の友人たちの言葉から感じている。ストーリーの強度こそ、継承が望まれる。
芸術・文化と社会課題を結びつけて「多様性」というストーリーを貫いた英国。日本の文化オリンピックが紡ぐ独自のストーリーとは─。楽しみに期待したい。
参考文献、ウェブサイト
- 『オリンピック憲章 Olympic Charter 2014年版・英和対訳』(公益財団法人日本オリンピック委員会)
- 「オリンピズム」(公益財団法人日本オリンピック委員会)
- 「芸術競技」(NPO法人日本スポーツ芸術協会)
- 『季刊 政策・経営研究 2015 Vol.2・3 特集:2010年東京オリンピック・パラリンピック競技大会』(2015年、三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社)
- 「London 2012 festival success signals new era for culture」(2012年9月10日、the Guardian)
- 『London 2012 Festival Official guide』(2012年、London 2012 Festival)
- 「Cultural Olympiad and London 2012 Festival」(Arts Council England)
- 『Reflections on the Cultural Olympiad and London 2012 Festival』(2013年、Arts Council England)
- 『THE PARK』(2015年、Queen Elizabeth Olympic Park)
- 『ART IN THE PARK A FIELD GUIDE』(Queen Elizabeth Olympic Park)
- アーツカウンシル・フォーラム「オープンフォーラム オリンピック・パラリンピックと文化プログラム―ロンドン2012から東京2020へ」
- 『東京文化ビジョン』(2015年、東京都生活文化局)
- 「TOKYO 2020立候補ファイル:2.5 文化イベントのコンセプト」(2013年、東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会)
- 「文化プログラムの実施に向けた文化庁の基本構想について」(2015年、文化庁)
取材・文・写真:若林朋子
(2015年9月30日アーツカウンシル東京ブログ「見聞日常」より転載)