■自分の体験や思いを伝えたい。認知症になったからできること
沖縄県内で初めて若年性認知症を公表した豊見城市の大城勝史(かつし)さん(42)が、インターネットを通じて広く資金を募るクラウドファンディングで、自分の体験を本にする夢に挑んでいる。
完治しない苦悩や葛藤を抱えながら、周囲や職場の理解を支えに自分らしく過ごす日々をつづる。目標金額は150万円で、千部の発行を目指す。「認知症の本人だからこそ、伝えられることがあると思う。どうか私にチャンスを下さい」
大城さんに兆候が現れたのは5年ほど前。ちょうど自動車販売会社に転職し、中古車担当の営業職として販売成績を上げ始めたころで、人の顔や道を覚えられない「致命的な物忘れ」に悩まされるようになっていった。
通勤時の大城勝史さん。迷わないよう、写真と地図を手にさまざまな目印を確認しながら
2012年には神経や認知機能に異常が出る「抗グルタミン酸受容体抗体脳炎」と告げられたが症状は改善せず、3年後の15年4月に診断名がアルツハイマー型認知症に変わった。
「今のところ治療しても治らない。一番恐れていた病気だった」と振り返る。14年2月にスタートした自身のブログには、告知された日の心境がこうつづられている。〈私は車の中で泣きました、やっぱり...。悔しい、けれどこれが現実〉
3人の娘を持つ父親。40歳の若さで直面した現実に心が折れかけたが、認知症の人を支援する団体や家族など多くの支えで、自分らしく生きる道を切り開いてきた。
会社の理解を得て仕事は洗車担当への配置転換で継続。何度も調整を重ね、大城さんの体調に合わせた勤務サイクルや疲労対策を見い出した。日々の気持ちや予定を細かく記すメモリーノートに携帯アラーム、ボイスレコーダー、メモ帳と、さまざまなアイテムを駆使して記憶を記録で補う。
同僚と2人で洗車作業に励む大城勝史さん(右)
■娘に父親のカッコいい姿を見せたい
16年1月からは講演活動にも挑戦し、県内外で自分の体験を語り始めた。今、実現に向け奔走する本の出版は、ブログを始めたころからの目標だったという。
「認知症は外見からは分かりづらいため病気を理解してもらえず、時にはイライラし苦しんだ。私を含め同じ境遇にある人のことを知ってほしい」と思ったのが理由。
支援者に「報道や出版物に書かれた間接的な情報や研究者の話で症状や気持ちを想像するだけでなく、当事者の声が聞きたい」と言われたことも後押しした。
さらに決意を強くしたのは、娘たちの存在だ。「大黒柱として働けず、情けなくて落ち込んだこともあるが、他のお父さんにはできない、かっこいい姿を見てもらいたい」
焼き肉店で夕食を楽しむ(左から)大城勝史さんと弟の博也さん、智也さん、父の義健さん、妹の城間小百合さん。認知症発症後、集まる機会が増えた
4人兄妹の一番上。父義健さん(64)は「勝史が病気になってから、さらに兄妹の絆が強くなった。親としてもうれしい」と温かく見守る。
弟の智也さん(40)はこまめに大城さんと連絡を取り、落ち込んでいると察すれば相談に乗ったり食事やドライブに誘ったりしてきた。「やると決めたらとことん突き詰める性格。病気をバネに、夢をかなえるため努力を続ける姿に力をもらっている」と兄を語り、「誇りに思う」と言葉を継いだ。
大城さんは「何もできなくなるというマイナスイメージが付きまとう認知症だが、そうじゃないと訴えたい。いつも支えられてばかりだけれど、今度は自分が誰かの役に立つ番です」と意気込む。
沖縄タイムス社のクラウドファンディングサイトLink-Uで書籍化するための費用を集めている。
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