マーク・ザッカーバーグと妻プリシア、流産と妊娠をシェアしてくれてありがとう。

つらい体験を告白してくれたことが、流産を経験したことがある私や、ほかの多くの女性に希望を与えてくれました。
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Facebook・CEOのマーク・ザッカーバーグと、その妻プリシラ・チャンは、3回の流産を経験した後、ようやく元気な赤ちゃんを妊娠しました。彼らがその喜びを発表するとき、そこまでのつらい体験を告白してくれたことが、流産を経験した私や、そのほかの多くの女性に希望を与えてくれましたふたりの発表を受けて、私は自分の流産経験を公表すること決心し、まだその心の痛みが残る4月に自分に宛てて書いたメモを見返しました。

その頃、流産に関する間違った思い込みがどれだけ悪影響を及ぼすかを説明した流産専門の科学者・研究者ゼヴ・ウィリアム博士の記事を執筆していました。もっとも注目に値することは、流産や死産などの妊娠損失は、何らかの原因で誰かの責任である、という思い込みでした。この過失責任に対する考えかたが、女性が妊娠12週前に妊娠を公表しないようにアドバイスされる大きな理由なのです。

博士は私に、「妊娠初期に、妊娠を公表しないことが暗黙のルールになっている背景には、もし流産した場合に、誰にも知られたくないという考えかたあります」と教えてくれました。

博士をインタビューしたとき、私は妊娠約8週で流産したばかりでした。私と夫のサイモンは、4月初めに超音波検査で心臓が動く様子を見て、喜びに包まれました。しかしその次の検診で、私たちの小さな赤ちゃんは、エビのような形のまま胎盤の壁にもたれかかっていることがわかったのです。

医者は「心拍動を確認できていました。生きようと懸命に努力したことがわかります」といいました。私は母として誇らしく思い胸を張り、エレベーターでは夫の手を強く握り涙をこらえました。

家へ帰る車の中で、私はメールを立て続けに送りました。妊娠を伝えていた数人の同僚、仲の良い女友だち、編集者......。お互いの両親に電話で悲しいニュースを伝え、兄弟にはメッセージを送ったのです。その後、数日間は、その作業が一日中続きました。ぼーっとソファに座っていても、私は突然連絡する必要がある人を思い出していました。「ジョンにいってたよね! ジョンに電話して流産のことを伝えてね」「そうだ、ジャスティンも知ってる!」と......。

「くそっ、ちくしょう」と夫は言い、歯ぎしりをしながらまたメールを打ちました。もともと心配性で慎重なサイモンは、私が誰かに次々と妊娠について話すことにやきもきしていたのです。そして、最も恐れていたことが現実となった今、サイモンは多くの人に流産を知らせるという心の重くなる仕事にかなり憤っていました。私は恥ずかしくなりました。流産を防ぐことが可能だったとは思いませんが、自分がルールを破って自体を悪化させたことはわかったからです。

「こういうことになるから、人にはまだ伝えないほうがよかったのよ」と、自分自身に何度も強く言い聞かせました。「次はもっと慎重にしよう」と。

妊娠初期の前半は、そんなに多くの人に伝えようとはしませんでした。夫とともに、最初の12週間はうれしい秘密を守る"賢い"妊婦になろうと心底思っていたのです。

それでも私は、信じられないほど幸せで(妊娠を)黙っていることができませんでした。14カ月間の努力の後、不妊治療を経て、とうとう妊娠できたのです。積もりに積もった愛情と希望のすべてが、私の中の小さな赤ちゃんに対する強い幸福感となって爆発しました。妊娠した喜びに酔いしれて、一日中私はおかしいくらいの笑顔でした。野菜ジュースを飲み、ビタミン剤をとることが本当にうれしくて、そして人々に報告しまくったのです。

30人以上の親戚家族、友人、同僚にこのうれしいニュースを伝えました。半分以上知らない人が出席していた誕生日のブランチでさえ、私はそのニュースを口走っていたのです。

その結果、流産について伝えなければならなくなった。もう話したくないのに――。

オフィスではブランケットにくるまり黙って仕事をしました。同僚に報告したメールで、月曜に職場に戻ったときには、流産の話題で話しかけないようにお願いしました。友だちには、「回復」を感じているし、できるようになったらまたすぐ妊娠したいと思ってる、と伝えて会話を打ち切りました。

最初は、この方がいいと思いました。報告した人のほとんどは、ともに悲しみ同情の念を示してくれました。しかし中には、冷たい反応をする人もいて落ち込みました。一部の人はとても取り乱し、私が「最終的にはすべてうまくいく」と語りながら、なぐさめる結果になりました。

私は、冷酷非情なコメントや、それよりひどい不可解な沈黙を払いのけました。家族や友だちには、そもそも私が妊娠を知らせなければこんな苦労をしなかっただろうし、私の身体について心配しなくても済んだだろうと思うと、申し訳なくなりました。また、彼らの無頓着や謝ったリアクションを目立たせて、居心地を悪くさせてしまうこともなかっただろうに、と同情もしました。

でも、そんな残念なリアクは私の罪の報いだと理解しました。私自身も自分を責めて、毎朝目が覚めると「もう気にしない!」と勝ち誇ったように歌い叫んだりして......。悲嘆にくれていた優しい夫は、私を引き寄せて抱きしめ優しくささやきました。「どうしてそんなこと言うの?」

数週間が経って、興味深いことに気づきました。初めて流産を経験した多くの女性がそうであるように、私は知人の女性に流産を経験している人が何人かいる事実を知ったのです。ただ私が知らなかっただけで――。

学校の同級生だった昔からの友だちは、現役軍人として様々な経験していますが、彼女にとって流産は「今までで経験した最悪の痛み」だったそうです。3人の子供たちを育て上げた愛すべき年上の女性は、数回の流産を経験したそうですが、それについては「一度も考えたことがない」といい、私も時が経てば考えないようになると断言してくれました。

元交際相手の母親は30年前、2人の子供たちの間に、初期流産を経験しましたが、彼女は自分のことを"3人の母親"だと思っているとそっと教えてくれました。自らをカトリック教徒と認める仲の良い旅行友だちは、いつか天国で彼女の赤ちゃんに会えると願っているといいました。

これらの癒しに満ちた言葉に、私は驚き、謙虚な気持ちになれました。もし、私がおしゃべりではなく妊娠初期は慎重にするというルールを守っていたら、そして流産後に黙っていたら、流産後に私を元気づけてくれたこれらの会話は起こりえなかったのです。

私が誤解を恐れることなく、おとしめられたように感じることもなく話せる唯一の相手が、こうした女性たちでした。彼女たちからは、何をいわれても、どのようにいわれても、その考えに同意できないとしても、彼女たちの言葉は、私の頭を冷やしてくれる冷たい水のようだった。彼女たちの言葉は私の涙を流し、強さを取り戻してくれた。

それでも、5月にこのブログ記事を書きました。しかし編集者に送った後、やっぱり発表しないことに決めたのです。「もうこんなふうには感じない!」と、私の経験をエッセーにまとめるように優しく奨めてくれたセラピストにも言いました。もっと正直に言えば、発表しないことに決めた理由は、公の場で、失敗(流産)と結びつけてもらいたくなかったからかもしれません。

しかし金曜に、ザッカーバーグとチャン夫妻の妊娠・流産の発表を知って、当初の考えが戻ってきました。「流産は恥ずかしい秘密ではないし、私の流産は恥ずかしい秘密ではない!」と。

そう、妊娠が流産に終わったことは、私にとって人生最悪の出来事でした。しかし、これは世界共通の経験でもあり、現在では自分自身と、そして私の未来の家族への希望を与えてくれた母親たちと、私をつないでくれることになりました。

ウィリアム博士の調査では、「流産を経験した女性の28%は、有名人の流産を知ることが孤独感を解消するのに役立つ」と回答しています。友人から流産したことを教えられた場合、その値は46%に跳ね上がるそうです。私の愛する人たちが、この先誰も流産を経験しないことを望みますが、確率的には5人に1人は経験するのです。

それが今、私がこのブログを公開する理由です。ザッカーバーグ・チャン夫妻が自分たちの経験をシェアしようという気持ちに駆られた理由も同じかもしれない。私の知り合い (またはそのことに関しては知らなくても)で、今後流産を経験する人が、周囲に理解されているように感じるまで、数週間に渡って闇の中を手探りする必要がないように――。私にあなたのストーリーを教えてください。私も自分のストーリーを話します。

このブログはハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。