賑やかだった平昌オリンピックが閉幕した。メダルの数から言えば日本は冬季の最高数を獲得し(ただし種目数も増えた)、個人的には仙台出身の羽生結弦選手が怪我を乗り越えて(いや、まだ本調子ではないそうだが)、一番高い表彰台に立ってくれたことも嬉しかった。「そだねー」が2018年の流行語大賞になるかにも興味を抱いている。
さて、昨日、ネット上で見かけた麻生財務大臣の発言として、平昌オリンピックの成果が「コーチにカネかけた結果」という言葉が気になった。
【朝日新聞DIGITAL記事(2018/2/27)より転載】
麻生太郎財務相(発言録)
(平昌五輪で冬季最多の13個のメダルを獲得したことについて)やっぱりきちんとした成果を生むんだったら、資金を集中させる、選択と集中は絶対大事だという話をだいぶ前に、(参院議員で元スピードスケート選手の)橋本聖子先生とさせてもらった。それは着々と進んだんですよ。例えば、日本スキー協会はノルディックに資金を集中させ、(複合の個人ノーマルヒルで渡部暁斗選手が)メダルをとった。そういったのが、成果として出てきている。
どこにカネをかけているかと言ったら、コーチにカネをかけた。カーリングも外国人。コーチとか、そういうものの大事さっていうのをおよそ理解してないとダメです。(閣議後の記者会見で)
オリンピックでメダルと取ることだけがアマチュアスポーツの本質ではないし、お金をかけたら結果が付いてきたというのは、なるほど、でも、なんだかな......、と思わなくもないが、メダルは皆が盛り上がるし、商業的価値も大きいのだろう。競技のための装備の開発などの波及効果もある。
今回の平昌オリンピックでは102の種目があり、日本選手団として参加した選手は124人(男性52人、女性72人)、さらに選手よりも多い145人の役員(コーチ含む、男女数不明)も参加した(Wikipedia情報)。フィギュアスケートでは9名が参加し、ご存知のように、羽生選手が金メダル、宇野選手が銀メダルという快挙。ネットで調べたフィギュアスケート人口は競技に出る現役がおよそ2000人らしいので、ざっくり言えば、メダル獲得は0.1%の狭き門である。
今回、銅メダルを獲得した26歳のハビエル・フェルナンデス選手はそろそろ引退との話もあるので、現役アマチュアとしての選手生命は長くみて20年程度だろうか。予備軍としてのアスリート養成は小学校前の若い年齢から始まる。羽生選手は姉の影響で4歳から子どもスケート教室に通い、9歳で全日本ノービスという大会で金メダル。13歳から19歳の全日本フィギュアスケートジュニア部門では、2008/2009年大会と2009/2010年大会の優勝者(すべてWikiipedia情報)。
前述の麻生大臣の発言にあるコーチの件が、羽生選手に関して、もし現在のブライアン・オーサー氏を指すのであれば、それは2012年からのことであり、確かにすでに2014年のソチ大会における金メダルに繋がったのかもしれない。ただし、コーチは他にスピン専門だったり、ショート、フリー、エキシビションごとに専門の方が付いているらしい。フィギュアにおける成功のためには、曲や衣装の選定も重要だと思うので、さらに多数の専門家がチームとなって羽生選手を支えているのだろう。
さて、ここで話をサイエンスに移してみたい。
日本のフィギュアスケート現役人口2000人と比較するのに、2016年のノーベル医学生理学賞を受賞された大隅良典先生の母体となる日本細胞生物学会を想定してみた。学会員の数が1200名、この中には学生会員も約3分の1程度含まれる。現役時代の長さとしては、大学院生から退職までと想定すると約40年であり、フィギュアスケート選手の倍くらいだろうか。そう、サイエンスの世界は平均年齢が高い。
ノーベル賞は毎年授与されるとはいえ、例えば生理学医学賞というジャンルは、スケート全体よりもさらに広く、学会の数から想像すれば、冬季オリンピック分くらいありそうな気がする。ノーベル賞を4年に一度、4件まで(1件あたり最大3人なので12名まで)としたとしても、0.1%の確率で取れそうには思えない。
つまり、サイエンスへの投資とは、オリンピックと同じように考えても土台、無理なのだ。
ちなみに、確率論的なことを感覚的に言えば、本当は国民には「Nature誌のArticleが掲載=金メダル!」くらいに身近に思ってもらえると有り難い。新聞なら1面横長見出し級なのである。
ただし、一度に争うアスリートの競技と異なり、サイエンスの世界における真の価値は、論文掲載の瞬間に決まるのではなく、その後、10年、20年経って明らかになるものである( ここ、とても大事!)。また、最初の論文はNature誌のような商業誌でないことも多い。さらに、後から贈られるノーベル賞は、本人の達成した業績だけでなく、その研究に追随した他の研究者たちの成果も加わってこそという側面もある。加えて言えば、どんな素晴らしい成果であっても、周囲にそれを理解する研究者がいなければ評価されることができない。例えば、遺伝の実体がDNAという物質であることを最初に見抜いたのはオズワルド・エイブリーであったが、彼はノーベル賞の栄誉に浴することはできなかった。「4種類しか無いデオキシリボ核酸などが、複雑な遺伝情報の媒体となるはずがない」と信じられていたのだ。
確かにサイエンスへの投資は費用対効果が悪そうだ。しかも、お金を配ると決めた方が生きている間に、その効果があったと見届けることさえ難しいかもしれない。だが、我が国が科学技術立国を標榜するのであれば、もう少し知恵を練った方が良い。どのように人材を発掘するか、1000人に一人の逸材をどうやって育てるか。
本ブログを書くのに探した総務省の統計資料では、平成28年度の日本の研究者人口としては85万3700人(企業とそれ以外の研究組織合わせて)。企業の研究費は13兆3183億円で大学等は3兆6042億円、非営利団体・公的機関は1兆5102億円とのことなので、単純に割り算すると研究者一人あたり2159万円となるが、大学等の研究者はそれだけの研究費を得ていない。企業の研究費との割合で言えば、大学関係者一人あたり年間400万円程度だろうか(このあたり、資料が簡単に探せるようになってほしい)。このレベルは、町の子どもスケート教室くらいと考えたら良いのだろうか?
オリンピックの成果は、職能団体から政界への声が届いた結果でもある。上記「参院議員で元スピードスケート選手の)橋本聖子先生」の発言が施策を動かしたという面も忘れてはいけない。医師や歯科医師の免許を持つ政治家はいるが、例えば基礎研究のバックグラウンドを持つ政治家はどうだろう? もし「基礎研究にカネをくれ!(家なき子風)」と主張するなら、その集団の誰かが(犠牲となって?)政治に食い込むべきではないか? だが、悲しいかな、基礎研究を生業としたいという研究者は、恐らくもっとも政治家に向いていないだろう。
スポーツの世界はアスリートだけで成り立っているのではない。各種レベルのコーチももちろんのこと、解説者、スポーツライター、スポーツキャスター、スポーツイベントコーディネータ、競技場の維持運営管理をする方々などなど、広く市民と繋がっている。かたや日本のサイエンスの世界では、現役研究者がジュニアを教えながら自分も競技に出つつ他の研究者と競い、自らアウトリーチも行わなければならないような昨今である。サイエンスを支える多様な職種が充実しなければ、日本のサイエンスは凋落必須と思う。
拙ブログ主が今いちばん気になるのは、「さらにメダルを取るためにスケート人口を倍に増やすにはどうしたらよいか」的な発想ではなくて、「トップアスリートを伸ばすにはどうしたらよいか」という点だ。「大学院重点化」や「ポスドク一万人計画」は「人口を増やせば全体のレベルが上がるだろう」ということであった。その過程でしばらくはトップをシェアする論文数なども増えたが、現在は世界のギア・チェンジから取り残されている。
たぶん、スポーツの世界では常識であるような「若い時から人材を発掘する」ことが一つの鍵だと思う。それは戦後教育で強くなった平等主義には反することではあるかもしれないが、それぞれの才能にあった育て方こそが個人の幸せに繋がるのではないだろうか。
関連サイト:ジェンダー・地域格差に配慮したSTEAM才能教育カリキュラムに関する学際的研究
(愛媛大学教育学部の隅田 学先生が代表の基盤Aプロジェクト。拙ブログ主は分担研究者として参画しています)
(2018年2月28日大隅典子の仙台通信より転載)