スポーツ界の性差別をアートで問う。アーティスト・小林勇輝さんが超越したい「社会の当たり前」

「結局、僕は自分が何者か分からなかった。だから自分だけのカテゴリーを作ろうと思ったんです」。小林勇輝さんのアートの原点とは。
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小林勇輝さん
HARUKA YOSHIDA/HUFFPOST JAPAN

全身を黒でまとった男性が、観客の前でおもむろに服を脱ぎ始める。シャツのボタンを外すとその下に着ているのは、チアリーダーのコスチュームだ。スカートの下からパンツを脱ぐと、そのまま真っ白な壁の方にゆっくりと歩いていく。次の瞬間、壁に向かって突然「逆立ち」をすると、短いスカートがペロリとめくれた。

アーティスト・小林勇輝さんの『Chromosome』というパフォーマンスは、こんな場面から始まる。作品で投げかけるのは、スポーツの世界にある性差別の問題だ。

「チアリーダーやそのコスチュームは“女性性の象徴”ですが、僕が逆立ちをすることによって“男性性の象徴であるペニス”が突然現れる。その驚きというか、見ている人が予期せず自身の先入観に気付かされるような、そんな瞬間を作りたかった」

性別や人種、障害といった社会の規範。私たちは無意識にそんな「枠組み」に支配されている。小林さんがアートを通して問いかけるのは、そうした「社会の当たり前」だ。

アーティストとしての原点はどこにあるのか。背景には、海外で長年マイノリティとして過ごした経験や、自らのセクシュアリティを見つめ直すきっかけとなったある出会いがあった。

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『Cheers (Life of Athletics)』パフォーマンス時の写真
YUKI KOBAYASHI

なぜ女性アスリートの「アグレッシブさ」は叩かれてしまうのか

——小林さんは2014年から『Life of Athletics』というシリーズの作品で、スポーツにおける性差別の問題を社会に投げかけています。こうした作品を手掛けるきっかけは、なんだったのでしょうか。

ロシアにマリア・シャラポアという有名な女性テニス選手がいます。彼女はその圧倒的な強さと容姿で知られていたのですが、プレイ中にすごく大きな声で叫ぶのでも有名でした。彼女の叫び声にテニス場周辺から苦情が殺到したというニュースもあったほどで。

でも僕は、なぜ彼女が叩かれてしまうのか疑問に思ったんです。だって、男性が声を荒げるパフォーマンスは「男らしい」とか「かっこいい」ってむしろ会場を盛り上げるじゃないですか。どうして、女性のアグレッシブさや攻撃性は叩かれるんだろう、と。

そんなジェンダーの不平等を作品の中で、表現できないかと思ったんです。僕は10代のときテニス選手を目指していたこともあり、その経験も活かすことができました。

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『Chromosome (Life of Athletics)』(Dance New Air 2018) パフォーマンス時の写真場所:VACANT
YUKI KOBAYASHI

——チアリーダーのパフォーマンスもそうでしたが、『Life of Athletics』では女性アスリートのユニフォームやコスチュームをテーマにした作品が多いですね。

ハイレグな水着やテニスのスコートなど、女性アスリートのユニフォームは「性的な視線」を感じざるを得ないようなものが多いように感じます。2019年にようやく、WTA(女子テニス協会)が女性選手のレギンスやスパッツの着用を認めましたが、こうした変化はつい最近のことです。男性も女性も未だに、ユニフォームを自由に選びにくい状況にあります。

その他にも、同じくテニスの世界では長年、男女の賞金額に格差がありました。グランドスラムでは2019年にようやく賞金額が平等になり始めましたが…。これも、1970年代からビリー・ジーン・キングという女性選手が訴え続けてきて、やっと形になってきたという感じです。

アスリートはただ「1位になりたい」「記録を出したい」という思いで一生懸命に努力をしている。そんな彼らが、社会によって犠牲になるのは絶対にあってはならないと思います。大切なのは、こうした問題を社会に投げかけ、議論できる場をつくることだと考えています。

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小林勇輝さん
HARUKA YOSHIDA/HUFFPOST JAPAN

自分が何者か分からなかった。だから、自分だけのカテゴリーを作ろうと思った

——一方で、小林さんの作品はスポーツを題材にしたものばかりではありませんよね。ご自身の最初の作品『New Gender Bending Strawberry』は全身が銀色の、真っ赤ないちごに扮した生物が印象的です。この作品はどのように生まれたのでしょう。

ロンドンの大学に進学して1、2年目ぐらい時、精神的に落ち込んでいて、食べものが喉を通らない時期が続いていました。重たいものは身体が受け付けず、好物のいちごばかり食べていたんですね。それである日、いつものようにいちごを食べていたら、ふと「もし“いちご”になり変わって生活したら、もっと生きやすいんじゃないか」という感情が芽生えてきたんです。そこから着想を得て、パフォーマンスを始めました。

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『New Gender Bending Strawberry』
YUKI KOBAYASHI

——というと、当時なにか「生きづらさ」のようなものを感じていたのでしょうか。

僕は高校を卒業してから、ずっと海外で生活してきました。当然「日本人」「アジア人」というマイノリティとして生活していたわけですが、ロンドンにやってきて、その感覚をもっと如実に感じるようになったんですね。それは必ずしも、ネガティブな意味だけではないのですが…。ただ「自分はどういう存在なのか」「人からどう見られているのか」というのを一層考えるようになったんです。

それは「性」についても同じです。大学時代に初めてお付き合いした女性から、ある日突然レズビアンであることを告白されたんです。それで彼女に「なぜ男性の自分と一緒にいてくれるのか」って訊ねたんですね。そしたら「あなたとは、女性と一緒にいるときと同じ安心感がある」と言われたんです。

その出来事があってからは「自分は男性が好きなじゃないか」と思ったこともありましたし、自分のセクシュアリティについて考え込むようになった。LGBTQという言葉はありますが、自分にはしっくりこなかったんです。次第に「そもそもカテゴリーに当てはめる必要なんてあるんだろうか」と疑問が深まっていきました。

結局、僕は自分が何者か分からなかった。だから自分だけのカテゴリーを作ろうと思ったんです。それが『New Gender Bending Strawberry』の世界観でした。

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小林勇輝さん
HARUKA YOSHIDA / HUFFPOST JAPAN

「曖昧なもの」を受け入れられる社会へ

——それが『New Gender Bending strawberry』の始まりであり、小林さんのアート活動の原点だったんですね。毎年新作を出すなかで、作品に何か変化はありましたか。

すごく変わったと思います。作品を作り始めてから、いろいろな出会いと経験を通して、次第にテーマが性から人種や障害、宗教などへと広がっていったのを感じています。

特に印象に残っているのは2017年、障害者支援施設に2ヶ月ほど滞在したことです。施設の一室に『New Gender Bending Strawberry』の空間を作って、施設に通う方に作品の中に入り込んでもらいました。

そのとき感じたのが、性も育った環境も特性も全然違う人たちが、この世界観のなかでは「フラットな存在」になっていくということ。みんなが作品に入り込むことで、そんな「違い」が消えていく。一方で不思議なことに、彼らの「個性」が浮かび上がってくるようにも感じられたんです。

『New Gender Bending strawberry』という作品は、時代や自分自身の変化を反映しながらこれからも作り続けていきたいと思っています。きっと僕は死ぬまでこの作品を作り続けるんだと思います。

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「New Gender Bending Strawberry」
Photo : Mito Ikeda

——小林さんの作品は一貫して、多様性や違いを認めることの大切さを伝えています。作品を通して、社会にどんな価値を与えたいと考えていますか。

性やアイデンティティの多様性って、マジョリティの人たちにとっては、曖昧でよく分からないものだと思うんです。

作品を通して、「マジョリティによって決められた規範」を社会に問い直していくことで、少しずつでも「曖昧な存在」を受け入れてくれる社会になっていけばいいなと思います。