■「私は死んだのですか?」と言った直後に姿を消した女性
東日本大震災から3カ月ほどたった、ある深夜の出来事だった。タクシー運転手の男性がJR石巻駅(宮城県石巻市)の近くで客を待っていると、もう初夏だというのに、真冬のようなふかふかのコートを着た30代くらいの女性が乗車した。
目的地を聞くと「南浜まで」と一言。震災の津波で、壊滅的な被害を受けた地区だった。運転手は不審に思って「あそこはもうほとんど更地ですけど構いませんか?」と聞いた。すると女性は震える声で答えた。「私は死んだのですか?」。運転手が慌てて後部座席を確認すると、そこには誰も座っていなかった。
これは怪談ではない。1月末に発売された「呼び覚まされる霊性の震災学」(新曜社)に収録された女子大生の卒論に書いてある内容だ。東北学院大学教養学部4年生の工藤優花(くどう・ゆか)さん(22)は、震災の死者数が約3500人と最多となった宮城県石巻市の人々に「幽霊を見た経験がないか?」と聞いて回る実地調査をした。
どうして彼女は「震災と幽霊」という特異なテーマを卒論に選んだのだろうか。
■「不謹慎だ!」石巻で怒鳴られ続けた日々
インタビューに応じる工藤優花さん
3月5日、仙台市内のキャンパスを訪れて卒業間近の工藤さんに詳しい話を聞いた。現在は金融機関に就職が内定しており、東京と仙台を往復する忙しい日々の合間を縫ってのインタビューだった。
−−なぜ卒論に幽霊の話を選んだのでしょう?
「高校生の頃から輪廻転生の考えなど、『亡くなった人はどうなるんだろう』ということに興味がありました。それで、大学3年生になったとき金菱清(かねびし・きよし)先生のゼミに入って与えられたテーマが震災死で、テーマ選びに先立って、気になる記事を、新聞や論文から探してくることになったんです。そのときに地元紙に『亡くなった方の気配がする』という小さな記事が載っているのを見つけました。金菱先生も以前、テーマのサンプルとして『墓だったり埋葬だったり幽霊もあるよね……』と以前に言っていたのを思い出して、それで決めました」
−−石巻で調べようと思った理由は?
「期間も1年と限られているので、絶対数が多いところに行こうと思って、ネットで調べてみると、石巻の地名がよく挙がっているように思えたんです。石巻だったら、仙台まで電車で一日で戻って来られるなと思って、場所を石巻に絞りました」
−−しかし、よそ者の女子大生がいきなり「幽霊見ました?」と聞いても、なかなか話してくれなかったのでは……
「私はフィールドワークの経験が皆無だったので、最初はファイルとペンを持っていきなり『幽霊のような不思議な体験をしたことありますか?』って直球で聞いて回っていました。案の定、スルーだったり、ちゃかされたり……。大半は怒られましたね。『不謹慎だ!』。『被災があったの分かって来てるんだろ!』『お前、身内に亡くなった人がいて、そんなことを聞かれたら普通でいられるか?』って怒鳴られました。それでやり方を変えなくちゃと思ったんです」
−−どのように変えたんですか?
「自分のスタンスを『石巻に遊びに来た1人の大学生』にしたんです。まずは自分を知ってもらうことが大事だと思って、『石巻が好きで来たんで、石巻のことをいろいろ教えてください』という風に話しかけるようにしたんです。友人から竿を借りて海岸沿いで釣りをしているおじさんに混ぜてもらって、一日、釣りで終わった日がザラにありました。
『次はいつ来ますか?』と声をかけて、その導入で一日釣りで終わったということもありました。海鮮丼を食べれる食堂で、そこに集まっているおばちゃんとか地域の人に混ぜてもらって話をして、一日が終わったり。幽霊のことを聞けないで終わった日の方が多かったです」
−−そうやって相手の懐に入っていたんですね。この手法は自分で考えたんですか?
「はい。私がもともと音楽をやっていて、、仙台の街中でギターの弾き語りしていたことがあったんです。それで友達ができた経験があったんで、そこからのインスピレーションはあったかもしれないですね。実際に石巻にギターを持って駅前で弾き語りをして、地元の人と場所の取り合いになったこともありました(苦笑)」
−−どんな風に相手から聞き出しましたか?
「雑談して終わったのがほとんどですが、話が盛り上がってきたあたりで『そういえばこんな話もありますよねー』と、すっと投げ込んだりしました。ただ、なかなかみんな語りたがらないんですよ。確かに、もし私が身内を亡くしたときにガツガツこられたら言いたくないなと思いましたね。それと同じかなあと思いました」
−−それだけ苦労したときにテーマ変えようとは思わなかったんですか?
「テーマを変えようとも思ったし、100回くらい辞めようと思いました。でも、被災地で一番問題視されてるのは、踏み込んでおいて途中で投げ出す『荒し屋』って人たちなんです。ボランティアだったり、NPOに学生で所属して、休学してまで力を入れていたのに、途中で投げ出して大学に戻る人がいて、かなり騒がれていました。震災の調査をやる前から、それは『ダメでしょ』と思っていました。また、自分のスタンスとして、途中で辞めるのって良くないなと思っていたので、まずはできるところまでやってみようと続けていきました」
■タクシー運転手が「ブラックスワン」だった
JR石巻駅前で客を待つタクシーの車列(3月6日撮影)
2014年3〜4月ごろから1年間、工藤さんは足繁く石巻に通った。前半の半年間は一般人を対象に幅広く調査した。「観光に来た大学生のふりをする」作戦が奏功して、多くの人と会話できるようになったものの、なかなか証言は集まらなかった。
−−それまで石巻の人全体が対象だったのを、タクシー運転手に狙いを絞った理由は?
「調査から半年たったころに、先生から示唆があったんです。社会学のスタンスとして、(白鳥の群れから黒い個体を見つけることになぞらえて)ありふれた事例から特別な『ブラック・スワン』を見つける必要があったんです。金菱先生が『タクシー運転手の件って、すごくリアリティがあるよね』って言ってくれて、それでタクシー運転手がブラック・スワンなのかもしれないって掘り下げていきました」
−−タクシー運転手以外では、具体的でない目撃談が多かったようですね
「はい、タクシー以外の方は、聞いたときは『確かにそうだ』って言うんですけど、『本当にそう言い切れますか?』と私が詰め寄った場合に「そこまで言われるとちょっと……』とだんだん崩れてくるんですよ。けれど、タクシーの方はどれだけ詰め寄っても『絶対にそうだ』と揺るがないものを持っている人が多かったので、重点的に聞き取りをしていきました。
たとえば駅前でギターを弾いていたら『何をしているのー?』と声をかけられたこともあったし、路上で手を挙げて『すみません、海鮮丼を食べにきたんですけど道に迷って』と言ったら、『客じゃないのか』と怒られたこともありました。それで会話の糸口を掴んで、『こんなこともありますよね』と話題を振りました。それで、本人がある程度話してくれてから『実は本にしようと思っていて』ということを言う感じでしたね」
−−タクシー運転手が、確信を持った証言が多かった背景には何が考えられますか?
「もしかするとタクシー以外でもそういう話があったのかもしれないんですけど、生まれた土地だったり引っ越してきて育ってきた土地で働いている人が大半なので、そこで運転手同士やお客さんとの会話の中で、確率が上がったのかなと思っています」
■確定的な証言は、わずか4人
新曜社「呼び覚まされる霊性の震災学」
工藤さんが1年間かけて石巻で話を聞いた人は、一般人も含めると300~400 人。そのうちタクシー運転手は100人程度だった。あやふやな証言まで含めればタクシー運転手が7人、その他の職業の人が8人の計15人ほど。その中で、『確信を持って言える』と断言したのはタクシー運転手の4人だけだったという。約100人に1人の計算だ。
大変な調査の割にはかなり少ない確率だが、工藤さんは「みんな話をしたがらないだけで体験してる人はもっと多いと思うよ」と言われることもあったという。
−−「確信を持って言える」というタクシー運転手は、すんなり体験を話してくれましたか?
「いえ、思い返してみると、そういう人に限って、むしろ『失礼だって思わない?』って怒られてたなぁと思いますね。私がそういう話を出そうとした瞬間に『タブーだって思わない?』って聞かれたり。他の体験していない運転手は、『あってもおかしくないかもね』とか軽い感じで答えてくれるんだけど、体験した人達には怒鳴られて終わることが多かったです。そこには死者への畏敬の念があったのかなと思いますね」
−−怒鳴られたのにどうやって聞き出すんですか?
「そういうときは、『こちらもそういう話を伝えるのが大事だと思って来ているんです。だからもし、気がかりなことがあったら些細なことでもいいので教えてくれませんか?』と粘りました。で、ちょっと話し始めてくれたあたりで、『すいません、電話番号を教えてください』と言って、後日連絡を取ってまた石巻に行くという感じでした」
その中でも、工藤さんが最も衝撃を受けたタクシー運転手のエピソードが次のものだった。
「巡回してたら、真冬の格好の女の子を見つけてね」。13年の8月くらいの深夜、タクシー回送中に手を挙げている人を発見し、タクシーを歩道につけると、小さな小学生くらいの女の子が季節外れのコート、帽子、マフラー、ブーツなどを着て立っていた。
時間も深夜だったので、とても不審に思い、「お嬢さん、お母さんとお父さんは?」と尋ねると「ひとりぼっちなの」と女の子は返答をしてきたとのこと。迷子なのだと思い、家まで送ってあげようと家の場所を尋ねると、答えてきたのでその付近まで乗せていくと、「おじちゃんありがとう」と言ってタクシーを降りたと持ったら、その瞬間に姿を消した。
確かに会話をし、女の子が降りるときも手を取ってあげて触れたのに、突如消えるようにスーっと姿を消した。
(新曜社「呼び覚まされる霊性の震災学」より)
工藤さんは「私自身、こういった話が得意でないので、いろんな意味でメンタルやられながら聞いてたんですけど、この方の話が一番、衝撃を受けました。運転手は少女に触り会話もし、降ろすときに触っているんですよ。それなのに……と思いました」と打ち明ける。
タクシー運転手の4件の証言には、ある共通項がある。それは幽霊のように感じた人物がいずれも「季節外れの冬服」を着ていたものだ。
「みんなそうですね。タクシーの運転手が乗客を見たときに『震災で亡くなった人だ』と思った要因は、その格好だと思っています。運転手にはいつも、 3.11のことが心の根底にあるんですよ。だから頭の中で、因果関係をつけちゃったのかなとも思うんです。逆に『冬に幽霊を見た』という人は、私が調べた中ではいませんでした」
■生き残った人が抱く「無念」が幽霊現象の背景に?
石巻市の日和山公園には、南浜地区を見下ろせる場所に震災前の写真パネルが掲示してある(3月6日撮影)
ここまで話を聞いていて、気になったことがあった。タクシー運転手たちは、なぜこのような不思議な体験をしたのだろうか。
「私の主観では、生存者の無念の思いが大きいのかなって思います。自分の生まれ育った故郷がボロボロに破壊されて、家族や地元の人がたくさん亡くなったという事実ってすごく心の傷になると思うんですよ。しかも亡くなった人の多くは津波が原因ですが、地震から津波の到着までは、少し時間があります。生き残った人たちには『その間に助けられたはず』という思いがあるんです」
タクシー運転手の4件の証言のうち2件は、乗客が目的地に指定したのは、甚大な被害があった石巻市南浜地区だった。いずれも、乗客は目的地に到着する前に姿を消している。まるで亡くなった被災者が、地元で思い描いていた未来にたどり着けなかったことを暗示しているかのようだ。
工藤さんは次のように話す。
「さら地になった南浜地区を見下ろす日和山公園に行くと、流される前の南浜の光景の写真パネルが置いてあるんです。それを見ながら現在の南浜を見ると『これが現在と同じ地域だったのか』と衝撃を受けるものがありました」
■幽霊現象が浮き彫りにする被災地の「グレーゾーン」
インタビューに応じる工藤優花さん
工藤さんは秋田県出身で、大学入学までは秋田市内の高校に通っていた。周囲に被災者と呼べる人はいなかったという。
−−卒論を書いたことで心境が変化したことはありますか?
「私も以前は、被災者の人たちを『みんな下を向いているような傷ついている』といったステレオタイプな見方をしていました。でも、実際に石巻を調査して何回も足を運んでいくと、前を向き出している人も結構いたんです。もっと調査していったら、その間にグレーゾーンの人たちがいることに気づきました。『立ち直ろうと思って行動は起こし始めているんだけど、心が追いつかない』と言っている人たちです。
震災から立ち直るにも、個人差があります。月日が経つにつれて、その差ってやっぱり出てくると思うんですよ。今は5年目ですけど、月日が経てば経つほど、このグレーゾーンの人は増えると思っているので、そうした人々に焦点を当て直してみることは社会全体で必要なんじゃないかと思うようになりました。そのグレーゾーンの人たちにフォーカスを当てているような対策やボランティアって、実は少ないので」
−−幽霊現象そのものが、グレーゾーンの象徴とも言えるのでは?
「はい、どちらかというと、グレーゾーンの人たちが幽霊を見ているのかなと思っています。下を向いている人は、自分で精一杯なので、幽霊を見る余裕もないと思うんですよ。逆に前を向けている人たちは、自らを奮い立たせて立ち直ろうとしているから、幽霊を見るような心の隙間はないのかなって思います。そのどちらでもない『グレーゾーンの人たちがいる』と気づくきっかけに、この本がなればいいなと思っています」
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