がんと闘いながら書き続けた朝日新聞の野上祐記者が死去。最後の記事が29日に掲載される

「変えられないことは受け入れる」。それが最後のメッセージだった
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がんを患いながらも執筆を続けていた朝日新聞政治部の記者、野上祐(のがみ・ゆう)さんが12月28日午後4時24分、入院先の病院で亡くなった。46歳だった。

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AERA dot.で連載をしていた野上祐記者のプロフィール
AERA dot.

野上さんは2016年、難治がんのひとつ、膵臓(すいぞう)がんを患っていることが判明。「もう完全に治ることはない」と医師から告げられたものの、闘病生活の視点から政治問題などを論じる記事を書き続けてきた。

関係者によると、野上さんは12月初旬から重篤な肺炎を患い、いったん持ち直したものの、12月26日になって感染症が見つかり、容態が悪化していた。

葬儀は家族だけで執り行うという。

野上さんは1996年に朝日新聞に入り、仙台、沼津の両支局、名古屋社会部をへて政治部に異動。東日本大震災後の2014年に福島総局の次長(デスク)に就任し、復興の様子を伝える記事などを取りまとめた。

2016年1月にがんが見つかり、闘病生活に入ったが、野上さんは執筆を継続。特に朝日新聞出版が運営するオンラインメディア「AERA dot.(アエラドット)」で連載していた「書かずに死ねるか」では、自身の病気と政治問題などをからめた記事を執筆していた。

12月29日には最後の記事「難治がんの記者が最後に贈る『悩みへのちょっとした対処法』」が掲載された。推敲は27日まで続いたという。記事の中で野上さんは、本がつかめなくなるほど体力が低下していることを告白していた。

一方で、「変えられないことは受け入れる」「必要な理屈はその都度、自分で考え、取っ替え引っ替えすればいい。お互いは矛盾していても、自分を都合良く導けるのならば」などと、自身の病気を冷静に受け止めている心境をつづっていた。

野上さんの一連の記事は書籍化され、「書かずに死ねるか 難治がんの記者がそれでも伝えたいこと」のタイトルで2019年2月に出版される。