20世紀後半の結婚観と若者気分って"異常"だったよね

いつかは若者時代も終わり、思春期の次には壮年期が、壮年期の次には老年期がやって来る。この厳然たる事実から、当時の若者と若者文化は目を逸らし続けていた。

リンク先を読んで、「ああ、結婚に対して呑気に構えていた、バブル~ロスジェネ世代の結婚観や若者気分がデタラメだったんだなー」と改めて痛感した。と同意に、それらが過去の遺物になりつつあるのは、さしあたって良いことだとも思った。

『東京タラレバ娘』5巻には、まだ若かった頃の主人公達が「あと5年は遊びたい!」と話すシーンがあるが、リンク先のトイアンナさんは、これは現在の二十代から共感されないと解説している。

この、「あと5年遊びたい」「結婚を遅らせて自由な時間を楽しみたい」、実際、私が二十代だった頃には巷に蔓延していた気分だった。今にして思えば、なんと贅沢で、浅はかな気分だったのだろう!

彼らの、いや、私達の世代が語っていたところの「あと5年遊びたい」「自由な時間が欲しい」とは、人生経験を積みあげて三十代や四十代に繋いでいくためのモラトリアムではなかった。そうではなく、今の流行を追いかけ、恋愛を楽しみ、若者らしいライフスタイルを長続きさせることが「あと5年遊びたい」「自由な時間が欲しい」の正体だった。

おじさん・おばさんになる日を一日でも遅らせたい・「若者としてイケている自分」を謳歌したいと願って、トレンディな生活*1を追いかけていたわけだ。目の前の若者生活しか眼中にない人生観を生きていた、とも言える。いや、人生を人生として認識していなかったのではないか? いつまでも若者でいたい・若者でいられるという思い込みは、人生観と呼ぶのはあまりにも軽薄だ。

いつかは若者時代も終わり、思春期の次には壮年期が、壮年期の次には老年期がやって来る。ところが、この厳然たる事実から、なぜか当時の若者と若者文化は目を逸らし続けていた。リンク先でも書かれているとおり、これは他の世代からは信じがたく、共感しがたい現象とうつるだろう。

時代の徒花としての「いつまでも若者」

そんなデタラメが時代の気分となって日本社会に充満していたのはなぜだったのか?

・第一に挙げられる要因は、日本が経済的に豊かだったからだ。

バブル景気の頃はもとより、オイルショック後の一時代やバブル崩壊後しばらくも、なんやかや言っても衰微の兆候は少なかった。貧困が絶無だったわけではないが、この頃の日本人は人口ボーナスの恩恵に与っていて、"一億総中流"という言葉が語られ、自分達の経済状況にも呑気に構えていられた。

正社員になるのが夢ではなく、平凡な正社員になりたくないと語られていた当時、医療費自己負担の割合は現在よりも少なかったし、社会全体の医療費もずっと小さかった。老後の費用や少子化の影響を真面目に心配していたのは、極一部の人々だけだった。

史上類を見ないほど庶民にまでカネが行き渡り、老後を心配する家庭も少なければ、そのぶん、若者がカネを使って遊び回る風潮に社会は寛容になれたろうし、若者自身も、稼いだカネを片端からスポーツカーやグルメに突っ込むことができた。いざとなったら親のすねをかじることだってできる。 

だが、今はそうではない。

このブックマークコメントが言い表しているように、もう、子どもにすねをかじらせられる親は少ない。1990年代の大学生への仕送り金額と現在のソレとを比較すれば、それがよくわかる。経済的豊かさは、大半の若者から失われてしまった。

・第二に挙げられる要因は、若者より年上のロールモデルが失効していたからだ。

『なんとなくクリスタル』や"新人類"に象徴される80年代以降の若者文化は、おじさんやおばさんをダサいものとみなし、消費センスに敏感な若者=自分達を格好良いものとみなすものだった。

その格好良さを巡って、[新人類vsおたく]といった文化主導権争いもあったわけだが、とにかくも、雑誌やテレビを媒介物として若者を席巻していった価値観は「格好良くてトレンディな若者」を最良のロールモデルとし、たとえば子育てのための苦労を惜しまない父親や母親、あるいは戦前世代のメインカルチャー的な事物を格好悪いとみなすものだった。

この価値観に忠実に生きるためには、いつまでも若者でいなければならない。それも、ただ若いだけではダメで、トレンディな遊びに精通した、消費社会の寵児たらねばならない。もちろん、恋愛はこのトレンディな遊びのうちに含まれるが、結婚はNGである。

結婚は遊びではないし、若者時代の終わりを象徴するように(当時の段階では)みえてしまう。トレンディでありたいならできるだけ結婚を遅らせるのが得策、と考える人が増えるのは当然だし*2、そうでなくても、若者的なライフスタイルをダラダラ延長する方便としては十分だろう。

2016年から振り返ると、このような若者史上主義的なカルチャーを流布し、初心なティーンに信じ込ませた人達はなかなか罪作りである。少子化問題の何割とまではいかなくても、何%かは彼らの活動に因ると言っても過言ではないように思える。感化されやすく、信じやすい年頃の若者に、これまでの人生のロールモデルに代わる教えとして「いつまでもトレンディな若者でいるのが素晴らしい」と信じ込ませ、それでもって経済的・文化的利益を稼いでいたのだから。

もちろん彼らを責めれば良いというものでもない。20世紀の若者史上主義のなかには、戦前以来の旧弊に対するカウンターとしての意味も、少なくとも当初はあったのだから。だが、いつしかそうしたカウンターとしての意味合いが失われるとともに、若者文化は一種の自家中毒状態に陥り、若者をやめた後のロールモデルをみずから見失った。

「ちょい悪オヤジ」「三十代女子」などといった言葉は、そうしたロールモデル喪失の末にひねり出された、苦し紛れのフレーズである。若者文化の自家中毒によって、年の取り方がわからなくなってしまったのである。

・第三に挙げられる要因は、これらの変化が急激過ぎたことだ。

価値観の変化が緩やかなスピードで起こるなら、次の価値観への移行もしやすくなる。ところが、この問題の渦中にあった世代(とその親世代)は、半世紀近く続いていた右肩上がりの時代の終焉に突然直面した。経済的衰退が緩やかであれば、価値観の変化やカルチュアルな変化も緩やかで構わなかったのかもしれないが、現実には、経済的衰退の速さに価値観の変化や文化的変化は追いつくことができなかった。

悪いことに、彼らの親世代もまた右肩上がりな社会を前提とした「かくあるべき」を息子や娘に説き、価値観のギアチェンジの足を引っ張った。

リンク先でトイアンナさんが語るように、現在の二十代は「あと5年は遊びたい」「自由な時間が欲しい」から自由になっている。いや、そのような贅沢な価値観を維持するだけの猶予の無くなった今を生きている、と訂正すべきか。それにしても、20世紀的な価値観から目を覚ますのに、一体どれだけの時間と涙が流れたのだろう!

1970年代生まれは、まあわかる。だが実際には、それより更に若い世代も「いつまでも若者」的な価値観に束縛されていた。そういえば、『東京タラレバ娘』の主人公・倫子は33歳という設定だが、2014年にスタートした漫画で33歳ということは、だいたい1981年生まれである。バブル崩壊時に10歳、就職氷河期の厳しかった時期に18歳の倫子が、あのような20世紀臭い価値観に囚われているのは、興味深い、しかしリアルな設定である。

「あと5年は遊んでいたい」は歴史資料集に載るかもしれない

こうやって思い起こすと、"あのころ"の結婚観や若者気分は、いまや急速に時代遅れになりつつある、時代の徒花(あだばな)だったと言わざるを得ない。歴史的なスケールで眺めると、こういった時代の徒花が成立するのは短く珍しい一瞬でしかないので、後世の人達は「どうしてあんなものが流行ったのだろう?」と訝しむことだろう。

ここで私が思い出すのは、歴史の資料集に必ず載っている、「どうだ、明るくなったろう」である。

大正時代の成金を風刺したこの絵は、当時を体験していない私達からみれば"異常"にみえる。しかし、その時代の風潮を今に伝えるものとして、長く記憶されている。

これと同じで、「あと5年は遊んでいたい」も20世紀後半の熟れきっていた一時代を象徴するものとして語り継がれていくのではないだろうか。

金持ちのドラ息子が「あと5年は遊んでいたい」と言っているのではない。平均的な家庭の、特別な才能も収入源も持たない若者が「あと5年は遊んでいたい」などとズケズケ言って、未来に備えず、若者時代を謳歌するために時間とお金を費やしていられる一時代が、一体どこにどれだけあるというのか?

しかし、あの時代の気分を呼吸していた人達は熱に浮かれ、それを"異常"なこととは認識していなかった。2016年の二十代、そして私達から眺めれば、栄華に驕った、向こう見ずなカーニバルだったと言わざるを得ないのだが。

『東京タラレバ娘』の巻末には、「※収録されている内容は、作品の執筆年代・執筆された状況を考慮し、コミックス発売当時のまま掲載されています」と書かれている。これは、5年後、10年後の読者には気の利いた配慮だろう。倫子達のような旧い価値観に束縛されたアラサー"女子"は、これから先、どんどん減っていくのだから。

*1: あるいは自分の好きな趣味だけの生活

*2: 後に、結婚して子育てをスタートしても、意識の高い親になることでトレンディ文化競争の延長戦を戦う戦術が広まっていったのだが、それはまた別のお話。

(2016年5月19日「シロクマの屑籠」より転載)