大久保嘉人、「亡き父との約束」果たしにブラジルへ

日本代表にサプライズ選出された、大久保嘉人選手。亡き父と、約束したことがあった――
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TAMPA, FL - JUNE 02: Yoshito Okubo of Japan looks on during the International Friendly Match between Japan and Costa Rica at Raymond James Stadium on June 2, 2014 in Tampa, Florida. (Photo by Mark Kolbe/Getty Images)
Mark Kolbe via Getty Images

サッカー・ワールドカップ直前、最後の親善試合のザンビア戦で終了間際に決勝ゴールを決めた大久保嘉人(おおくぼ・よしと)。5月12日の代表選手発表の際には、2年半ぶりの選出に、「サプライズ」と言われた。

大久保は32歳のベテラン。名門・国見高校の時代から点取り屋として頭角を表し、卒業後プロ入り。セレッソ大阪、ヴィッセル神戸などJリーグにとどまらず、スペイン、ドイツとヨーロッパのクラブでもプレーした。

日本代表には2003年から選ばれているが、ワールドカップに出たのは2010年の南アフリカ大会が初。全4試合に出場し、左サイドハーフとして活躍したが、大会直前に日本代表が守備的な戦術に切り替えたため、守備に追われるシーンが多く、ゴールはなかった。大会後はヴィッセル神戸に所属するが、怪我も多く、チーム戦術もあって、ゴールからは遠ざかる。2012年には所属するヴィッセル神戸がJ2に降格。代表からも選出されなくなった。

転機となったのは、2013年の川崎フロンターレへの移籍だ。ボール保持と、攻撃を重視する風間八宏監督のもとフォワードとして起用されると、再び輝きを放ち、J1リーグで年間26得点を記録。得点王となる。メディアの露出も増えた大久保は、「代表に入りたい」と猛烈にアピールした。

しかし2013年は、大久保にとって復活の年でもあったが、悲しみの年でもあった。

5月、闘病中だった父を亡くす。代表に入り、もう一度ワールドカップに出ることは、父の望みだった。

亡くなった後も克博さんは大久保の将来を見つめていた。死後、病室から見つかった遺書にはこう書かれていた。「日本代表になれ 空の上から見とうぞ」

(MSN産経ニュース「【サッカー日本代表】大久保復帰 「空の上から見とうぞ」亡き父との約束果たす」より 2014/05/12)

父が2010年南アフリカ大会の主力だった息子の代表復帰を望んだのは、Jリーグは地上波でほとんど放送されないが、代表戦なら病室のテレビで見られるからだ。電話で「もう一度代表に入れ」と言う父に「選ばれないんだから仕方ない」と言い返したこともあった。

昨年5月。父は危篤に陥る。「俺が死んでも試合を優先しろ」という言葉を守って、同11日のJ1セ大阪戦で2得点し、同市内の病院に急行した。意識不明だった父は「おお、嘉人、来たか」とぽつり。医師からも奇跡的と言われた。

今月11日。同市内に眠る父の墓前で「選ばれたらいいな」と伝えた。そして代表選出。「父は『嘉人、良かったな』って言うんじゃないんですか。実感はまだ。ぐっとくるのはこれからでしょう。一人になったときになるんじゃないかな」

(毎日新聞「ブラジルW杯:父の死から1年 大久保、遺言通り代表復帰」より 2014/05/12 21:53)

ターンしてディフェンダーを交わす技術と、パンチ力のあるミドルシュートが持ち味のベテランは、大迫勇也、柿谷曜一朗とワントップのポジションを争う。

サプライズとして代表に入った今大会では、常連組とは違った役割も求められている。ザンビア戦では声を荒らげて、チームメイトにシンプルにプレーするよう要求するシーンも見られ、カンフル剤としても期待されている。

最後の最後、手繰り寄せたワールドカップへの切符。大久保嘉人から目が離せない。

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