「19時に帰ったら、全てが変わった」小室淑恵さんに聞くワーク・ライフバランス【Woman's Story】

少子化、高齢化が進む日本。男女ともにフルタイムで働くようになり、共働きで子育てをする家庭が一般的となった。団塊ジュニア世代は、あと数年で親の介護に直面するようになる。今後多くの人が労働時間の制約があるなかで働くようになる。
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ワーク・ライフバランス

少子化、高齢化が進む日本。男女ともにフルタイムで働くようになり、共働きで子育てをする家庭が一般的となった。そして、子育て中である団塊ジュニア世代は、あと数年で親の介護に直面するようになる。今後多くの人が労働時間の制約があるなかで働くようになる。

今まで当たり前とされてきた長時間労働前提の働きかたをどのように見直すか。一人ひとりが働きながら、自分の人生を楽しみ、家庭のひとときを大切にするには、何が必要なのか。株式会社ワーク・ライフバランスの代表取締役で、全国900社でコンサルティングを手がけ、全国で講演、執筆活動を行う小室淑恵さん(写真)に、これまでの歩みとワーク・ライフバランスを聞いた。

■専業主婦志望の小室さんを変えた、猪口邦子さんの講演

会社を経営しながら、2人の子供を育てる小室淑恵さん。企業のコンサルティングや講演だけでなく、国会TED×Tokyoでワーク・ライフバランスの重要性を伝えるなど、働く女性のリーダーとして活躍している。

しかし小室さんも、大学生のときまでは筋金入りの専業主婦志望だった。ある講演によって人生が変わったのだという。

「大学の必修で、猪口邦子さんの講演を聞いたんです。猪口さんは、力説されるわけでもなく、軽やかに『あなたたちは女子大だから就職に不利だなんて思っているかもしれませんが、働きながら子育てする経験によって、どんな商品やサービスが欲しいのか、アイデアを提供できる貴重な存在になるんですよ』とお話されて……本当に目から鱗が落ちた気がしました。全身に鳥肌が立ったのを覚えています」

「猪口さんは、巻き巻きにカールした髪で、ふわふわのスカートをはいて『あら皆さん、こんにちは~』と登壇されたんです。それまで、“すごいキャリアなのに女性らしい雰囲気の人”に出会ったことがなかったので、こんな道があったんだ! と驚きました」

「社会人になってから、大学の友だちに会って『猪口さんのお話で変わった』と聞いて驚いたこともありました。あのとき人生が変わった人は、あの教室に何人いたんだろう……と思います。ロールモデルに出会えることが、いかに重要なのかを実感しました。人は『いいな、ああなりたいな』って憧れたときが一番変わるんですね」

■育休後に昇進したアメリカの女性——ワークとライフの相乗効果

猪口さんの講演を聞いて「自分も頑張ってみたい。働きたい」と感じた小室さんは、意を決して大学を1年間休学、アメリカへと旅立つ。

アメリカでは、放浪の旅をしながら、住み込みでベビーシッターも経験した。そこで、証券アナリストとして働く女性が、育休中に新たな資格を取得、職場復帰するタイミングで昇進した様子を目の当りにする。

日本では、女性の育休を取るくらいなら辞めてくれとされていた時代。彼女の「育休をブランクどころがブラッシュアップにしていた」働きかたは、仕事とプライベートの関係に対する小室さんの意識を大きく変えた。小室さんは今、ワーク・ライフバランスについて、「ワークとライフは、相乗効果を生み出す関係」だと説明している。

「ワーク・ライフバランスというと、仕事とプライベートの時間の比率を『4:6』『7:3』などと区切るのが、一般的なイメージなのかなと思いますが、本当はワークとライフの相乗効果の関係性こそが、ワーク・ライフバランスの本質です。私たちはワーク・ライフ“シナジー”と呼んでいます」

「ライフでインプットをするからこそ、発想力が広がって、人脈が広がって、健康的でいられる。ライフが充実するからこそ、仕事でアウトプットの質も上がる。効率的に働き早く帰ることで、またライフが潤う……。スタートは必ず、ライフの充実から。二者は、ぐるぐると好循環する関係なんです」

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■新規事業で毎日残業——「19時に帰れ」で気づいたライフの大切さ

今は毎日18時すぎに退社し子供を迎えにいく小室さんだが、最初に就職した資生堂では、かつて夜遅くまで残業していた時期もあったという。社内のビジネスモデルコンテストに応募した「育児休業者向けに職場復帰を支援するプログラム」が優勝。自ら事業化を担当することになり、仕事ばかりしていたのだ。働きかたが大きく変わったのは、上司の命令がきっかけだった。

「その男性の上司は、定時に帰る人でしたが、その頃の私は、23時まで働いて終電で帰るような生活をしていました。いつものように遅くまで仕事していたある日、上司が飲み会の後にカバンを取りに会社に戻ってきたんです。私は『ついに頑張っている自分を発見してもらえた』と思ったんですが、上司はフロアの向こう側から『お前まだいるのか!』って怒鳴ったんです」

「大きな声で『お前、もう明日から絶対19時に帰れよ』と怒られて……。翌日からは『19時に帰れ』しかいわれませんでした。そのときはすごく反発しましたね。私が頑張ってるから、うちの部署は回っているのにって。でも、とにかく『帰れ、帰れ』といわれるので、仕方なくPCを持って近くのカフェに移動したりしていました」

「19時に会社から出るようになったら、次第にオフィスが近い友だちと夕飯だけでも食べようと、よく会うようになったんです。当時は開発した育休復帰プログラムに興味を持っていただける企業が見つからなくて苦労していました。すると友だちが『うちの人事部の斎藤さんが、そういうの必要っていってたよ。電話番号これだよ』と担当の方を紹介してくれたんですね」

それまでは毎日、会社四季報の上から順に電話して50件かけても100件かけてもアポが取れなかったのに、会社を出て友だちに会ったことで、営業先が決まった——。「上司が帰れといった理由は、こういうことだったのかも、とようやく気づきました」と「19時に帰ったら、全てが変わった」小室さんは当時を振り返る。

「それから積極的に早く退社して、いろんな人と交流し始めたんです。直接いろんな異業種交流会に行けば、いくらでも営業先の方に会うことができました。ネットを検索して本を買って調べるよりも、何倍も速く働けることに気づいたんです」

当時のことを、小室さんは「忙しいと思い込んで、ライフから目を背けて仕事に逃げていたんです」と振り返る。そしてライフの時間が生まれたことで、うまくいっていなかった彼との関係も修復し、結婚することになったという。「実は彼の心は冷えきっていて、もう少しで終わるところだったんです。気づいてよかった。上司には、本当に感謝しています」と小室さんは笑った。

■起業を決意後、妊娠「仕事と育児の両立で、人の痛みがわかる」

2005年、小室さんは資生堂を退社し、ワーク・ライフバランスの会社を起業することを決意する。育児休業者の復帰支援をしたことで、復帰支援の枠にとどまらない、日本の企業における働きかたの問題に気づいたからだった。

「企業の方から、せっかく復帰した女性達が、結局長時間労働の職場では両立できなくなって辞めてしまうという声を聞きました。そんな状態を放っておくのは無責任なんじゃないかなと感じるようになりました。育児休業だけでなく、親の介護やメンタル不全で休職した人もいる。定時までなら立派に働ける人でも、長時間が前提の人材しか一人前と見なされないような職場ではみんな「ワケあり人材」になってしまって肩身が狭く、実力は発揮できないままでした。みんなが復帰後に意欲高く働き続けられるような社会しなくてはと考えるようになったんです」

「団塊世代が一斉に退職する、いわゆる2007年問題を前に、『今企業が働きかたを見直さなかったら、この国は手遅れになっちゃう!』って日本の未来についてひとりで勝手に使命感にかられて焦ってしまったんです。それで勢い余って『私、起業するんです!』と資生堂に辞表を提出しました」

「そしたらその翌日、自分が妊娠していることが分かったんです。当時の資生堂は日本で一番育児休暇が長くて(3年)、最も女性が働きやすい会社っていわれていたんです。その会社を辞めてしまって……どうしようと焦りましたね」

動揺する小室さんに予定通り起業することを決心させたのは、一緒に会社を創ろうとしていたパートナーの大塚万紀子さんの言葉だった。起業のタイミングで妊娠しているなんて、迷惑をかけてごめんと泣いて謝る小室さんに、彼女は「おめでとうございます! 子供のいる人の気持ちがわかって、よりよいサービスがつくれますね」と伝えたという。

「私が育児をすることが、ワーク・ライフバランスの会社をやるうえで、どれほどプラスかを力説してくれたんです。仕事と育児を両立するから、その人たちの悩みと痛みがわかるんだと。それを聞いて『そうだ、私そういう会社やるんだった』と思い出しました。起業と同時に出産することに対して、ポジティブな気持ちになれました。むしろ子供もいなくて、よくこんな事業を立ち上げようとしてたな、と(笑)」

■子育て——「全部中途半端」から夫婦で家事育児を分担へ

そして2006年、小室さんは産後3週間で会社を起業する。自身も子育てしながら働く立場になったことで、より当事者の痛みがわかるようになったという。

「子供を産んでみて、それまでも十分わかっているつもりだった育児している人の気持ちがまだまだ何もわかっていなかったんだと気づくことができました。何のハンデもなく働いていると、実は日本社会の100分の1くらいしか見えてなかったんだな、というような感覚です。子育てしながら働くことが、これほど肩身が狭く暮らしづらいことだったとは、全然想像できていませんでした」

小室さんは産後2ヵ月経った頃、まず家庭内で試練を迎える。ある土曜日に産後初めて遠方へ講演に出かけた小室さんは、講演後に大急ぎで自宅に戻ると、子供の面倒を見ていた夫に「今日は1日中ぐずっていて、全然寝なかったよ。やらなきゃいけない仕事も、読まなきゃいけない書類もあったのに、全部中途半端」と不満をぶつけられたのだ。

小室さんは出産後、平日はほぼひとりで育児家事をしながら仕事をしていたが、深夜に及ぶ残業が当たり前の職場で働く夫は、子供が生まれてからもそれまで通りの生活をしていた。日々の疲れもあり、小室さんは抑えていたものをこらえきれなくなって、泣きながら訴えたという。

「私なんて毎日が中途半端よ。あなたが今日経験したことを、私は毎日毎日やっているのよ。子供が生まれるまでは同じように働いていたのに、どうして私だけが働きかたを変えなきゃいけないの。夜中も授乳で何度も起きている私は、昼間に仕事をしていても睡眠不足でふらふらなのよ。それなのに、あなたは何も生活を変えていないじゃない!」

夫は驚いた顔をしたが、その場では何もいわなかったという。しかし、翌朝から行動を変えた。全く料理をしなかった夫が、いつもより2時間早く起き、朝食を作るようになったのだ。そして、少し経つと子供を朝の出勤前にお風呂に入れ、保育園に送って行ってくれるようになった。もちろん話し合いを何度も経てだが、次第にすべての家事育児を分担し、今は週に一度は、夫が保育園のお迎えにも行くようになったという。

■仕事——全員定時で帰る「残業ゼロ」にチャレンジ

小室さんは会社でも、試練を迎える。保育園のお迎えに間に合うためには17時台に帰らなければならないことに“後ろめたさ”を感じるようになったのだ。

「経営者なのに自分だけ早く帰っていて、役に立たないと思われているんじゃないか。本当は私だってもっと仕事をしたいのにできない……といった歯がゆさや、後ろめたさを感じていました。次第に、モチベーションが下がり、アイデアが浮かばなくなって……。でも、このときの経験のおかげで『長時間働くことが普通の職場風土のままでは、定時に帰る必要がある社員のモチベーションが下がる』ことに気づくことができました」

これを機に小室さんは「全員定時で帰ることにチャレンジしよう」と、働きかたを見直すメッセージを発信した。しかし、この提案は当初、社員にも共感してもらえなかったという。

「私の分まで頑張らなければと責任を感じていたメンバーや、今はひとつでも多く仕事をしたい、と主張するメンバーがいました。そこで私も、本音を伝えたんです。『みんなに遅くまで働かれてしまうと、遅くまで働けない私はすごく肩身が狭くなって辛いの。だから残業しないで、定時で帰るようにしてほしい』と。みんなポカンといていましたが、ようやく私の気持ちが伝わったようです」

その後、他のメンバーも妊娠によって時間的な制約が生まれたことで、次第にみんなの意識も変わっていった。全員定時で帰る「残業ゼロ」のルールは、「自分たちのため」だったのだ。

■母校で講演「私の話を聞いた人の人生が変わるかもしれない」

大学で人生を変える講演に出会った小室さん。アメリカへと旅立ったことで、女性のワークとライフの可能性を知った。そして、資生堂で育休者の復帰支援をしたことで、ワーク・ライフバランスの概念に出会った。「残業ゼロ」を実践する小室さんの会社は、創業以来8年間、増収増益を続けているという。

3年前には、母校に招かれて、猪口さんが講演したのと同じ授業で講演する機会があったという。小室さんは「かつて猪口さんの話で私の人生が変わったように、私の話を聞いた人の人生が変わるかもしれないと思って、全力で講演していますね」と語る。小室さんに憧れて、新たな一歩を踏み出した人も多いのだろう。

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