吉田調書を読み解く(上)「貞観地震」への過剰反応

9月11日に公開されたいわゆる「吉田調書」には、驚天動地の新事実も、闇を照らす秘密の暴露もない。ここから無理やり特ダネを"捏造"した朝日新聞への大批判は、当然の帰結だろう。
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 9月11日に公開されたいわゆる「吉田調書」には、驚天動地の新事実も、闇を照らす秘密の暴露もない。ここから無理やり特ダネを"捏造"した朝日新聞への大批判は、当然の帰結だろう。調書の作成を主導したのは、政府の「事故調査・検証委員会」の事務局内で最大勢力を占めた検察官たちで、一見すると、冗長で膨大な「羅列」でしかない吉田調書だが、あらかじめ設定された「検察的シナリオ」のにおいが、紙背からそこはかとなく漂ってくる。

 ざっくばらんに、時にべらんめえ口調で、率直に答える吉田昌郎所長(当時、昨年7月死去)の言葉の端々から伝わってくるのは、語れない事実の重さだ。世界に類例のない隣接する原発4基の連続過酷事故。自然災害が発端とはいえ、事故前の「不備」や事故後の「不始末」に話が及べば、企業責任が浮上する。

 断片的な詳述と一般論の繰り返し、核心を迂回した冗長な羅列にも、いくつかの破綻が存在する。そこを読み解くと、十数万人の平穏な日常を奪った福島原発事故の「構造」がおぼろげに見えてくる。

「総長」も「総理」も「おっさん」

 吉田所長は、論旨不明瞭な妙に誘導的な質問にも、一貫して丁寧に答えている。その中で、特定の人物を「あのおっさん」呼ばわりして、声を荒らげる場面が、2カ所ある。

 1つは、福島第1原発の津波に対する備えについて問われた2011年11月6日の聴取に対する応答で、「おっさん」と呼ばれたのは元京大総長で政府事故調の委員を務めた地震学者の尾池和夫氏である。もう1つは、同じ日の午後、ご存じ菅直人総理(当時)の東京電力本店乗り込みと全員撤退問題に触れた発言で、おっさん呼ばわりの対象はもちろん菅氏である。

 2011年7月に始まった吉田所長に対する聞き取りは、この11月6日が最後である。質問者の事務局員とも顔なじみになり、菅氏が総理の座を離れた(9月2日辞職)後で、それまで抑えてきた怒りが表に噴き出し、おっさん呼ばわりにつながったのだろう、と推察できる。

 しかし、津波への備えに関する吉田所長の怒りはあまりに唐突で、不可解ですらある。前後をいくら読んでも、尾池元総長を「あのおっさん」となじる合理的理由は見当たらないし、感情的反発の理由も定かではない。

 869年(貞観11年)に東北の太平洋岸を襲った貞観大地震・大津波を例に、福島原発を大津波が襲う可能性を複数の研究者が指摘していただけに、もうちょっと何か備えはできなかったのか、という趣旨の質問に、吉田所長は突然、キレたのである。そのやりとりをかいつまんで紹介する(調書原文から一部を要約)。

 質問者 「私がそう思っているわけではなく、(思っているのは)国民の皆さんか、一部の委員なのかは置いておきまして、原発と言うのは何かあったら大変なんだから、結構(高い波が)きますよねという話もありうるということであれば、来るかもしれないということを見越して......」

 吉田所長 「その辺(を問題にしているの)は、京都大学の先生だと思うんですけれども、学者さんの発想であって、要するに設計が決まらなければ、デザインできないではないですから。それを、何をもって、ちょっとでもと。京大の某教授だと思うんですけれども、元の総長か、あのおっさんだと思うんですけれども、あのおっさんだって、知ってるんではないかと私は言いたい。実務でものをつくる人間が、デザインベースをもらわなければ設計出来ないですよ」

 吉田所長 「それが10(メートル)だと言われれば10(メートル)でもいいし、13(メートル)なら13(メートル)でもいいんですけれど、こう言う津波が来るよという具体的なモデルと波の形をもらえなければ、何の設計もできないわけです。ちょっとでもというのは、どこがちょっとなのだという話になるわけです」

 吉田氏が尾池委員を半ば名指しのような格好で口をきわめて論難した理由の1つは、妙に思わせぶりな質問の仕方にあることは間違いない。

 質問者は、わざわざ「一部の委員」という表現を使って、事故調委員の中で唯一の地震・津波の専門家である尾池氏が、東電の備えの薄さを批判しているかのように「ほのめかし」て、敵愾心を掻き立て、意図的に暴言を誘導しているようにも見える。

ムキになって吐いた「暴言」

 それにしても、こんな単純な「ほのめかし誘導」に、「吉田の前に吉田なし、吉田の後に吉田なし」とまで言われた東電・原子力の逸材、吉田所長がなぜ、まんまと乗せられてしまったのだろうか。

 福島第1原発の連続過酷事故では、地震・津波に対する想定と備えの不足は、東電という企業体と経営トップの刑事責任に直結する。強烈な地震動や高い津波が襲来するリスクを承知していながら相応の備えを欠いていたとなれば、東電経営陣は刑事責任を問われ、起訴される。事故を予見できた可能性は高い、ということになるからだ。

 吉田所長は特にこの問題については、相当に神経質になっていた。前述の問答以外でも、貞観津波に話が及ぶと、とたんに語気が荒くなる。

 おっさん発言の3カ月前、8月の8、9両日にまたがって行われた3回目の聞き取りでも、貞観津波に関する持論を強烈に展開している。

 吉田所長 「貞観津波のお話をされる方には、特に言いたいんですけれども、貞観地震の波源の所に、マグニチュード9(の地震)が来ると言った人は、今回の地震が来るまでは誰もいなかったわけですから、それを何で考慮しなかったんだというのは無礼千万だと思っています」

 吉田所長 「これは声を大にして言いたいんだけれども、本当は原子力発電所の安全性だけでなくて、今回2万3000人死にましたね。これは誰が殺したんですか。マグニチュード9が来て死んでいるわけです。こちらに言うんだったら、あの人たちが死なないような対策をなぜそのとき(大津波のリスクが研究者から指摘されたとき)に打たなかったんだ。東京電力のここの話だけにもってくるのはおかしいだろう」

 思い込みによる安直な東電叩きに対して、現場の所長が現実を踏まえて、小気味よく反論するという構図だが、少しムキになっている分、論理の粗さと飛躍が目立ってしまう。

 原発事故こそが、地震・津波ではほとんど無傷だった10万人もの人々に長期間の避難生活を強い、人生で命の次に重要な「平穏な日常」を奪ったことに、全く思いは及んでいない。暴言である。

握りつぶされた地震学者の指摘

 津波のリスク評価に関しては、貞観津波の波源は、福島よりずっと北の三陸沖と推定され、地震のマグニチュードも8前後、福島第1を津波が襲うにしても、波高はせいぜい3メートルほどだと評価していて、東電はそれには十分備えていた、というのが、吉田所長の一貫した主張だ。こちらの方は暴論ではない。ある意味で企業としては当然の主張である。

 しかし、2007年ごろから、貞観津波はこれまでの説よりもっとずっと高く、福島第1原発の付近でも、かなり内陸まで津波が到達していたとする研究論文が出始めた。また、政府の地震調査研究推進本部(推本)が、貞観津波、明治三陸津波、昭和三陸津波のような東日本の太平洋岸を襲う大津波は、必ずしも三陸沖だけが波源となるとは限らず、今後は三陸沖から福島沖、房総沖にかけて、どこで起きてもおかしくないという報告をまとめている。

 さらに2009年には、原発の地震・津波に対する安全性評価を抜本的に見直すための経済産業省の公式の会議で、福島第1と福島第2の両原発について、津波の想定を格段に厳しく見直すべきだという、専門家の具体的な指摘を東電は受けてしまう。「総合資源エネルギー調査会 原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地質・地盤合同ワーキンググループ」という、とてつもなく長い名称の会議で、2009年6月、産業総合研究所の岡村行信活断層・地震研究センター長は、東電は津波対策として貞観地震を検討すべきと明言しているのだ。

 こうなると、何人かの研究者によるリスクの指摘とは、問題が違ってくる。福島の海岸線に10基の原発を持つ東電は、それなりの対応を迫られる。この時、本店の原子力設備管理部長として、その対応を取り仕切ったのが、ほかならぬ吉田昌郎その人だったのである。

 結果的に、東電は一連の指摘を握りつぶす。貞観津波のリスクは、波源の場所も、波の高さや形も、設計に使えるようにモデル化されていないという理由で無視し、津波の想定高さを、従来の5.7メートルから6.1メートルにわずかに上げ、6号機の機器をかさ上げして、津波対策の見直しを終了した。

吉田氏の「自負と悔恨」

 調書の中で吉田所長は、普通なら「理工系」とひとまとめにする集団を、わざわざ理学者(地震・津波の研究者はほとんどが理学部出身)と、土木や機械などの工学者に分けて、論じている。自然災害の極端なリスクを言いつのる理学者=地震・津波学者の指摘は、改造や補強に適用できる工学者の評価を経ないと耳を傾けても意味はない、という主張を述べている。

 一連の貞観津波に関連する津波リスクの指摘を無視した経営責任を、それとなく探る質問には、吉田所長は毅然としてそれは自分の判断だと答えている。原子力本部長の副社長や勝俣恒久会長(当時)に対しては、津波の専門家である部下ではなく、部長の自分が直接、大津波のリスクは定説ではないし対応する根拠も方法もないと伝えた、と語っている。

 部下も上司もかばい、責任は一身に負う。まさに傑物、その気骨と覚悟、巨大企業の幹部社員としての人格は尊敬に値する。

 しかし、岡村センター長の指摘から2年もたたない2011年3月11日、大地震と大津波を受けて、福島第1原発は3基連続の燃料の溶融と落下(メルトダウン)と、4基連続の過酷事故(シビアアクシデント)を引き起こす。福島第1の所長に転出していた吉田氏は、ここで厳しい事態に直面することになる。

 吉田所長が、貞観津波というキーワードにいささか過剰に反応して、語気を荒らげ、地震学者をなじるのは、そこがまさに、福島第1原発事故の事故原因と企業責任をめぐる核心部分だと熟知していた証左ではないのか。加えて、原子力設備管理部長時代の自身のリスク評価と判断について、内心では自負と悔恨がないまぜになった複雑な感情が激しく揺れ動いていたことも、過剰反応の原因ではないか、と思われる。

なぜか放棄された「事前の備え」検証

 公開された吉田調書にさしたる新事実はないと前述したが、吉田調書を通読して驚いたことが2つある。1つは、調書ではこれだけ雄弁に地震・津波への備えについて吉田所長が語っているのに、それが政府事故調の報告書にはほとんど反映されていないことだ。

 政府、国会、民間、東電と、4つの事故調報告を読み比べて、事故の真相に迫ろうと昨年2月に上梓した拙著『「原発事故報告書」の真実とウソ』(文春新書)では、政府事故調の地震・津波に関する記述を、こう評した。

「1500ページを超す大部の報告書の中で、福島第1原発を襲った地震の大きさについての記述は、たった半ページに過ぎない」

「津波の高さに関する記述は、地震動と同じように極めて淡白である。中間報告の本文19ページの上半分にあるだけで、他にどこを探してもみつからない」

「何よりも、日本の地震学の権威、京大総長も務めた尾池和夫委員の学識が記述からはほとんど見えてこない」

 畑村洋太郎委員長の方針で、個人や組織の責任を追及せずに、事故の真相を解き明かすことを目的とした政府事故調は、事前の備えの検証を放棄して、地震津波後の事故の進展とそれへの対応に調査の力点を置いたのは確かだ。しかし、事前の備えに関するこれだけの膨大な聴取結果を、ほとんど無に帰した事故調の判断は理解に苦しむ。

 事故前の備えの薄さと欠陥が、事故につながったのだとすると、日本にある他の50基の原発再稼働は、備えの徹底検証無しには考えられなくなる。

 その本質問題を、政府事故調は回避したのだろうか。

 政府事故調は、福島第1原発を襲った、地震の強さや津波の高さという事故分析に不可欠なデータも、東電のいいなりの数字を並べているだけで、独自に検証していない。

 備えの欠陥に触れるのが、まるでタブーだったようにも読める。

 おっさん呼ばわりまでして、尾池委員の「理学者的学識」に警戒感をあらわにしていた吉田所長の言葉を、政府事故調の委員はそれぞれどう受け止めたのだろうか。

「検事による調書」の狙い

 吉田調書に関して驚いたことのもう1つは、政府事故調への、想像をはるかに超える検察官の関与である。

 事故関係者を聴取して調書の作成にかかわった政府事故調の事務局員は30人ほどいたが、ほとんど氏名は公表されていなかった。今回、吉田調書のほか菅元総理など19人分の調書が公開され、聞き取りや調書の作成にかかわった事務局員の氏名が公表されたが、氏名だけで、出身母体・所属が不明なメンバーも6名ほどいる。

 所属が判明している事務局員はみな、検察庁、文部科学省、経産省、警察庁など中央官庁の官僚で、中でも検察官は事務局長の小川新二氏を含めて5名と、最大の勢力である。

 吉田所長の聴取は、2011年の7月22日、7月29日、8月の8日と9日、10月13日、11月6日の5回、6日間にわたって行われた。このうち5日間分はほぼ1人の事務局員の手で調書がつくられている。事故の真相解明に不可欠なキーパーソンの聴取をほぼ一手に担ったのは、検察官の加藤経将氏で、事務局の参事官補を務めた。

 個人や組織の責任を問わないことを前提にしたちょい甘な調査組織に、個人や組織の責任を秋霜烈日の凛とした気概で見極めるべき検事たちが、大勢で参画すると言う図には、少々気味の悪いものを感じてしまう。

 検察が事務局にもぐりこんだのではなく、検事の尋問能力が買われて迎えられたのだと推察するが、こんなに検察だらけの事務局だったことは、これまで3年間、国民には伏せられていたことになる。狼が羊の皮をかぶって、甘い言葉で赤ずきんちゃんに問いかけるみたいな、いやな感じはぬぐえない。

 検察は後に福島第1原発事故に関して、関係者全員の不起訴を決める。マグニチュード9という未曾有の大地震に伴う大津波は、予見不可能だったという理由である。「フォーサイト」に掲載した拙稿「原発事故『関係者全員不起訴』情報をリークした『検察』の思惑(2013年8月15日)」にもあるように、検察ははなから東電の企業責任、トップの経営責任を問わないことを決めていたフシがある。

 そのシナリオの正当性を瀬踏みしたり、確実なものにするために、羊の皮をかぶった敏腕検事は、政府事故調のヒアリングで巧みな問いかけと羅列的な調書のまとめを行ったということなのだろうか。(つづく)

塩谷喜雄

科学ジャーナリスト。1946年生れ。東北大学理学部卒業後、71年日本経済新聞社入社。科学技術部次長などを経て、97年より論説委員。コラム「春秋」「中外時評」などを担当した。2010年9月退社。

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(2014年10月3日フォーサイトより転載)