政府は9月11日、東京電力福島第一原発事故で政府の事故調査・検証委員会が行った吉田昌郎元所長(故人)や菅直人元首相ら19人からの聴取書(調書)の聴取記録を、ホームページで公開した。関係者を非公開で聴取した政府事故調の調書が公開されるのは初めて。
政府事故調は、2013年に亡くなった吉田元所長を含む772人に対して事故当時の状況などを聴取した。しかし、吉田元所長は政府は「記憶の混同等によって、事実を誤認して話したいる部分もある」として、第三者への公開を望まないとした。
「吉田氏のヒアリング記録や他のヒアリング記録について、その一部のみが断片的に取り上げられた記事が複数の新聞に掲載され、独り歩きとのご本人の懸念がすでに顕在化しており、このまま非公開となることで、かえって本人の意志に反する結果になると考えられました。こうした状況の変化や吉田氏の上申書の趣旨を踏まえれば、他人に対する評価の部分などは慎重に検討した上で、公表しても差し支えない状況になると考え、ご遺族に働きかけをし、最終的に政府の判断で公開しました」
(政府インターネットテレビ「平成26年9月11日(木)午後-内閣官房長官記者会見」より 2014/09/11)
■菅元首相「吉田氏と私の言っていることが食い違っているのではない」
調書について書かれたこれまでの報道については、菅直人元首相が「事故発生当時、東電が福島第一原発から全面撤退しようとしていた」とする発言に対し、吉田氏が「撤退』みたいな言葉を使うわけがない」と強く憤ったとされる報道など、事故当時の当事者の間においても、食い違いが生じていた。
今回の公開を受けて菅元首相は、吉田氏と菅元首相の調書を併せて確認することで、吉田所長と菅元首相の言っている事が食い違っているわけではなく、「吉田所長と東電本店の清水社長や武黒フェローの言っている事や意見が食い違っていることが分かる」と指摘した。菅元首相は今回吉田調書が公開されるまで、現物もコピーも所有していなかったという。
菅元首相は自身のブログで、食い違いのポイントについて以下のように述べている。
両調書を重ね合わせて見てもらえば、吉田所長と東電本店との間でいくつかのの点で食い違いがあったことが分かる。例えば撤退問題では東電本店の清水社長から海江田経産大臣に撤退について了解して欲しいととの要請があったが、吉田所長は撤退は考えていなかった事が調書から分かる。
また1号機のベントが遅れた点についても、吉田所長は弁を開ける電源がなく、放射線量の高いところでの作業のため時間がかかったと明快に説明。しかし東電本店から官邸に派遣されていた武黒フェローからは「分からない」というだけで、現場の状況を説明できなかった。
海水注入問題でも吉田所長と本店の意見が食い違っていたことが分かる。海水注入を止めようとしたのは本店から官邸に派遣されていた武黒フェロー。私を含め全員が準備ができれば当然海水注入を始めるべきと考えていた。
このように本店特に本店から官邸に派遣されていた武黒フェローは現場の状況を説明するために派遣されたはずなのに、現場の状況を把握できていなかった。国会事故調での武黒氏の証言の議事録を見ると、東電本店との間でスムーズな連絡が取れず、現場の状況把握が出来ていなかった事を認めている。
今後、東電関係者の調書や国会事故調の議事録を重ね合わせて検証すれば、当時のことが相当明確になるはずだ。特に東電が都合のいい部分しか公開していないテレビ会議の記録を全面公開することが重要だ。
(菅直人氏ブログ「吉田調書と菅調書の公開」より 2014/09/11)
政府は、今回、「モニタリング、SPEEDIについて」とする鈴木寛・元文部科学副大臣や、「緊急時被ばく線量限度の引き上げについて」とする民主党議員らへの調書などを、個人情報や国の安全にかかる部分を黒塗り処理などしたうえで公開した。今後も本人からの同意を得た上で、年内に順次開示するとしている。
【吉田調書関連の記事】
ハフィントンポスト日本版はFacebook ページでも情報発信しています。
ハフィントンポスト日本版はTwitterでも情報発信しています。@HuffPostJapan をフォロー