ステージ4の乳がん、29歳の広林依子さんが"余命1ヵ月の先に見つけたもの"

2人にひとりががんになる時代。デザイナーの広林さんにとって、がんと生きるとはどういうことか。
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2017年1月。私は友人でデザイナーの広林依子さん(仮名)にメッセージを送った。彼女が限定で公開していたFacebookの投稿を見たからだ。そこには、ステージ4の乳がんを患う29歳の彼女が「癌性リンパ管症」を発症したことが綴られていた。

「スピード感もって生活しなければいけない状況になってしまったかも」「時間の使い方を超真剣に考えなければ……なにか良い提案ありませんか?」という言葉を見て、私は迷った末「よかったらハフポストでブログを書きませんか?」と送った。すぐに返事が来た。「ぜひ書きたいです!」

それから、彼女とブログ原稿をめぐるやりとりが始まった。映画「この世界の片隅に」のように、ステージ4の乳がん患者にも変わりない日常があることを伝えたい、そんな思いで始まったブログ連載は、8月現在で14回更新されている

この8カ月間で、広林さんは2度の余命宣告を受け、新しい治療法に出会い、余命の延長を宣言された。2人にひとりががんにかかる時代。デザイナーの広林さんにとって、がんと生きるとはどういうことか。彼女が信頼するパートナーで、チーム患者のひとりの「くまちゃん」と一緒に聞いた。

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(c)Yu Miyai

「抗がん剤治療をしないと、あなたは1カ月で死にます」

広林さんは今年2月、余命1カ月の宣告を受けた。

当時の心境について、「『抗がん剤治療をしないと、あなたは1カ月で死にます』と言われて、やるかやらないか迷ったんですが、やっぱり生きるほうが未来があるから、可能性が高いほうを選びました」とふり返る。

しかし、抗がん剤治療は3カ月で効かなくなってしまった。

5月に再び「余命2カ月」といわれ、広林さんは2つの選択肢を迫られる。新たな抗がん剤か、緩和ケアか。「それでも可能性がある抗がん剤を選びました。だけど、効かなかったんです」と広林さんは語った。

「もう施しようがありません。もう緩和ケア、在宅看護に移りましょう」。そう主治医に言われた。それでも広林さんは可能性を諦めなかった。がんに詳しい友人に相談し、動脈塞栓術という新たな治療法に出会った。

「29歳と若いこと、余命2カ月と緊急性が高いことで、すぐに診てもらえることになったんです。肺にはまだ手立てがあるということで治療を始めて、今は(体調が)安定しています」

今の治療は、動脈塞栓術と緩和ケアの二本立て。たった数カ月の間に何度も変わった自分の余命。仲の良い友人からは「死ぬ死ぬ詐欺」とからかわれたという。

友人から、“がんをデザインしている”と言われた

余命宣告されてから数カ月間、広林さんはブログで発信を続けている。がんと向き合いながらブログを書くことは、どんな意味があったのか。ほとんどの人に本当の病状を伝えていなかった広林さんは「身近な人にカミングアウトしやすくなった」と語った。

「一からいろんな人に説明をするのは、エネルギーの負担が大きいことだったから。私の場合は、ステージ4で転移していてすごく重いじゃないですか。でもブログは、うまくネガティブなことを隠しつつ、ちゃんと情報は載せて、最後は前向きになるように書いてきたから、私は前向きなんだって伝わるみたいで。受け入れてくれたのはよかったです」

ブログには、チーム患者のすすめや、メイクやおしゃれの効能、死のメリット、カミングアウトの方法、緩和ケアなど、広林さんが経験して学んだギフトが詰まっている。友人からは「がんをデザインしている」という感想をもらったという。

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(c)Kaori Sasagawa

いま私にとって、生きることは【生産活動】そのもの

ブログで、「いま私にとって、生きることは【生産活動】そのものなのです」と書いた通り、いまデザイナーの広林さんを突き動かすのは生産活動だ。

ブログを書くだけでなく、絵を描いてSNSで発信している。絵はポストカードになった。余命宣告を受けた病室で、暇つぶしに描きはじめた絵だったが、Instagramのフォロワーは1300人を超えた。

画材の用意や絵のディレクションのサポートしたのは、チーム患者のひとりの「くまちゃん」だ。「くまちゃんが『この絵いいね』ってディレクションしてくれて、どんどん描いていったら反応もよくなって、絵もだんだんうまくなって。私一人だと気づかないところを指摘してくれます」と広林さんは語る。

別々の美大に通っていたくまちゃんと広林さんは、学生時代のサークル活動で出会った。再会したのは、広林さんが26歳のとき。がんが発覚して2カ月経った頃だった。

「友達の結婚式の2次会で再会したんです。その時に『私、実はがんになっちゃって』って。当時あんまり話せる人もいなかったし、長い付き合いなんで言ってもいいかなと思って。そしたら、すごく親身に相談に乗ってくれたんです」

くまちゃんは、大学の恩師をがんで亡くした経験もあった。看護師の母を持ち、病院の設計をしていて、病気やがんには理解があった。以来、「もうずっと彼に一番相談している」と広林さんは語る。

くまちゃんも含めた、広林さんの「チーム患者」は10人ほど。広林さんはFacebookの限定公開の機能を使って、自分の情報を共有している。「チーム患者になってください」とお願いするわけではなく、ただ病状や近況をちゃんと共有するのがポイントのようだ。結果として、それがそのときに必要なアドバイスや情報につながる。チーム患者のメンバーの共通点は、「なんとなく、死に対する許容量が広そうな人」だと教えてくれた。

「怖くて、自分のことなんて知らないほうが幸せ」と思っていた。

いまでこそ、「治療がない」と言われても諦めない広林さんだが、がんが発覚した当初は、つらい治療や現実から逃げたこともあったという。永遠に続く治療、抗がん剤の副作用。当時は「怖くて、自分のことなんて知らないほうが幸せ」と思っていた。

そんな彼女を変えたのが、くまちゃんの言葉だった。

「長生きしてほしいから、治療してほしい」

2年前の大晦日のことだった。広林さんは、「ものすごい感動して、ぐっと来て、長生きしようと思った」と語る。くまちゃんは、全然覚えていないと笑う。お酒に酔っていた時の出来事だった。

いまの広林さんは、どんな状況でも自分で考えて行動する。医師の話もそのまま聞き入れることはない。ステージ4のがん患者らしく生きることはしない。誰かに自分の人生を決められたりはしたくない。怒りこそが、彼女の原動力だ。

「昔の私は、いまと全然違うことを言っていた。昔は、知りたくない、知ることによって嫌な気分になりたくないとか、ぬるいことを言ってた。成長なのかな。くまちゃんを通じて私も賢くなった」

くまちゃんは、そんな広林さんの変化について、「(普通の人生のレールから)多分脱線したわけじゃないですか。でも脱線してからのほうが、自分で考え出してる感じがする。なんか広がりがある」と穏やかに語る。

「医者から厳しいこと言われたら、普通しゅんとしたり受け入れたりすると思うんですけど、すごく腹立てるんです。私を死ぬ人間のように扱いやがって、みたいな感じで怒ってる(笑)。なんか戦う姿勢があるんです。そういう絶対に信じすぎない姿勢は大事じゃないかな」と、くまちゃんは語った。

社会のレッテルへの抵抗、自分への“能動的なレッテル貼り”

ステージ4のがんであっても、広林さんはお茶のひとときを楽しみ、友人と出かけ、ときには海外旅行に出かけ、一般の人と変わらない日々を送っている。だからこそ、広林さんは社会の「がんイコール死」といった病気に対するレッテルに大きな怒りを感じている。

ブログでも「みんなに(病気を)カミングアウトする必要はない」と説く。がんという病も、女だから、結婚してるから、公務員だから、B型だから……といった社会にある無数のレッテルと同じ。誰もが病気を受け止め、正しく理解できるわけではない。自分らしく生きるために、カミングアウトする自由、しない自由があるのだ。

一方で広林さんは、がんと向き合う上では、「自分にレッテルを貼って洗脳するのも大事な行為」と語る。いわば“能動的なレッテル貼り”だ。

「最初に抗がん剤をやったときに、顔が黒くなって痩せこけていって。そんな自分が耐えられなくて、真っ白になるぐらい化粧したんです。“つけま”も変な感じで、顔真っ白で、不審でした。今回(抗がん剤治療で)髪の毛が抜けることになったのは2回目なので、ウィッグとか化粧をもう一回研究したんです」

「いつもの気持ちだけじゃ私はやっていけない。1ランク上の幸せな気持ちでやらないと、気持ち的に負けてしまう」。デパートの化粧品売り場に足を運び、化粧を教えてもらい研究を重ねた。ウィッグも試した。そうして見た目のアップデートを重ねたことで、いつの間にか当初の自分よりも2ランクぐらい上の自分になったように感じているという。

「がんになって『生きる』という目的ができた」

デザイナーの広林さんは、がんとともに生きることをどう感じているのだろうか。彼女は、がんになったことでデザイナーとしては「生きやすくなった」と本音を語った。

「がんになる前は、デザインはできたけど、じゃあ何をデザインして生きていけばいいかっていうのがなくて、だから何していいかわかんなくて。スキルはあっても、テーマがないから、割と生みの苦しみがあったんです」

「だけど私は、がんになって『生きる』という目的ができたんですよ。私のことを書くだけでニーズがあって、ちゃんと反応がわかるから、生みの苦しみが減ったんです。ちゃんと世の中のためになるから、生きやすくなった」

「例えば、私が『死ぬな、生きろ』と書いて、デザインとして表現をすれば、一つの肯定になるじゃないですか。これはがんになったことのキャンサーギフト(がんがくれた贈りもの)かなって思います」

「生きる」という尊い目的を体現する広林さん。生産活動は、自分自身の「生を延長する」ことでもある。

「残るって、ものづくりをする人にとってはすごく大きい。最終的に120年ぐらい自分の考えが残ればいいな。自覚できることだけが自分だけじゃない。自分という存在は、いろんなところに行けるんです」

広林さんはいま、生産活動を楽しんでいる。和装でウェディング写真を撮影し、ブログを本にまとめた。テレビに出演しがんについて語っている。彼女をめぐる環境は日々広がり、変化している。

「知らない間に、おばあちゃんになってるかも」

「いまの先生に出会って、ある方は1年半延命されたそうなんです。病気は違えども同じ治療をするので、仮に私もあと1年半生きると仮定して、その1年半をどう設定しようかって考えています」

これからは、どんな時間を大切にしたいと思っているのか。この問いに、広林さんは、旅行をして、会っていなかった人に会い、そして親孝行をしたい、と答えた。

「私、結構親孝行するのが恥ずかしいっていうか、例えば口に出して『ありがとう』っていう当たり前のことが気恥ずかしくてできない人だったんですよ。病気になってやっと言えるようになったんですけど。そういう当たり前だったけどできなかった親孝行をやれたらいいなって思ってます」

広林さんの生産活動は続く。「ものづくりも文章も、やっぱり締切間際が一番はかどるじゃないですか。今は人生の締切」といって、くまちゃんが笑った。

広林さんは、「まあ、なんか知らない間に、おばあちゃんになってるかもれない」、そういって微笑んだ。

※広林依子さんのブログはこちら

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