「ヤシオスタン」のパキスタン人たち、なぜ埼玉・八潮に集まったのか カレーを食べてみた【ルポ】

埼玉県八潮市にはパキスタン人が多く暮らし、「パキスタン」と八潮を合わせた造語で「ヤシオスタン」と呼ぶ人もいる。八潮にあるパキスタン料理店を訪れた。
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パキスタン料理店「カラチの空」の前に民族衣装姿で立つ経営者のザヒッド・ジャベイドさん=写真はいずれも埼玉県八潮市

国内には在日外国人が共同体をつくる街がいくつもある。群馬・館林にはミャンマーの少数民族ロヒンギャが、埼玉・蕨周辺にはトルコなどの少数民族クルドが住む。そして埼玉県八潮市にはパキスタン人が多く暮らし、「パキスタン」と八潮を合わせた造語で「ヤシオスタン」と呼ぶ人もいる。八潮にあるパキスタン料理店を訪れた。

八潮市は東京23区と接しているものの、「つくばエクスプレス」八潮駅の周辺にはショッピングセンターや工場などが立ち並び、郊外の雰囲気が漂っていた。パキスタン料理店「カラチの空」は、八潮駅から車で10分足らずの市中心部、八潮市役所のすぐ近くにあった。

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店内の様子。メニューはパキスタンの公用語「ウルドゥー語」でも記されていた

■多くが中古車関連の仕事に携わる

店に足を踏み入れるとスパイスの香りが充満し、パキスタンの公用語ウルドゥー語で書かれたメニューや、装飾を施した名物のデコレーショントラック(デコトラ)やイスラム礼拝所「モスク」の写真が飾り付けられていた。現地のテレビ番組も映され、約4年前までパキスタンに駐在した経験がある記者にとっても、パキスタンにある料理店そのものの風情だった。

経営するのはザヒッド・ジャベイドさん(51)は「日本人向けのアレンジは一切していません」と強調する。コメや肉、調味料、スパイスなどできる限りを母国から仕入れている。

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ジャベイドさんお勧めの一つマトン(羊肉)カレーの「マトンアチャリ」(手前)と無発酵パン「ロティ」。口に運ぶと、本格的な味で美味しかった

「うちの店はパキスタンの味、そのままです。多くの人が美味しいって言ってくれます。辛すぎるということはないですよ。レッドチリ(赤唐辛子)はお腹を壊しちゃいますから、入れません」

この周辺に住むパキスタン人は150人ほどという。パキスタン料理店は、八潮のほか草加などその周辺に5、6件あり、八潮駅の近くにはモスクもある。

パキスタン人のほとんどが中古自動車に絡む仕事に携わっている。八潮やその周辺には中古車のオークション会場がいくつかあることで1990年代から集まり始め、今では中古車販売だけでなく、解体業や部品を専門に扱う人など関連した仕事に携わる人もいる。オークションでは普通の中古車店よりも数倍、車を安く購入ができ、買った車を国内のほかパキスタンやフィリピンなど海外で売っている。

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話をするザヒッド・ジャベイドさん

■ラホール出身だが「カラチの空」

ジャベイドさんは幼少期を東部の大都市ラホールに近いファイサラバードで過ごした。父は空軍パイロットで、10歳を過ぎたころには3年間、家族でサウジアラビアに住んでいたこともある。

初来日は1984年。高校を卒業して18歳のとき、神戸で絨毯販売の仕事をしていた叔父の元にまずは向かった。日本語学校に通った後、医療機器の会社で20年以上働いた。

2005年に一度、パキスタンに帰った。日本で貯めた資金を元手にラホールで料理店を開いたが、長く日本に住んでいたことで文化や習慣に違和感を感じた。言葉のアクセントも微妙に違ってしまい、長い間外国に住んでいたと現地の人はすぐに気づいた。そんなことから商売で騙されたことも度々だった。

嫌気が差し、2010年に日本に戻って今の店の経営を始めた。店名の「カラチの空」のカラチは南部の最大都市だが、店を最初に開いた人がつけたのだという。

八潮にくると、同じパキスタン人でも中部パンジャブ州や西部のバロチスタン州など、地域や民族ごとに壁があったという。ジャベイドさんがかつて住んでいた横浜ではパキスタン人はみんなが仲良くしていた。八潮でもそうしたいと思い、自身はラホール出身だが「カラチの空」の名前のままにした。

八潮の外からも多くの客を集める。初めはパキスタン人客が多かったが、今では日本人にも美味しいと広まり、パキスタン人と日本人が半々という。

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店を訪れていたサルマド・アリさん

■大震災直後、福島にカレーを届ける

店で食事をしていたサルマド・アリさん(22)は現在、東京・新大久保で日本語を学んでいる。首都イスラマバードの大学を出て、八潮に来た。叔父がこの地で中古車関連の仕事をしており、学校を出た後は日本に残って一緒に働くつもりだ。「店には毎日、ご飯を食べに来ます。美味しいからです。このレストランの雰囲気はパキスタンそのものです」と話した。

戒律の厳しいパキスタンでは、人口の96パーセントを占めるイスラム教徒の飲酒は固く禁じられている。「店ではパキスタン人には飲ませません。パキスタン人の家族づれも多いので」とジャベイドさん。酒は売らないが、日本人の持ち込みは認めている。アリさんも、1日5回のお祈りは欠かさない。

ジャベイドさんはラホールにも自宅があり、そこには1994年に結婚した妻と子供たちが住んでいる。日本に戻る際にはジャベイドさんが単身で来日した。今では年に数回パキスタンに帰り、一方で妻や4人の子供たちは学校などが長期休みの時期に日本に来る。

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店ではパキスタンの食材やお菓子なども売っている

日本人との付き合いを大切にしており、2011年の東日本大震災の直後には、友人とトラックに乗って、3回、被災地の福島県広野町にカレーやチャイを店で作って友人と共に支援に駆けつけた。ジャベイドさんは「パキスタンに戻る予定はありません。日本が気に入っています」と話した。

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