クレーム客を相手にするコールセンターの仕事は過酷だ。「お客様は神様」という神話が根強い日本で、客は容赦なく無理難題を突きつけてくる。
敬遠されがちなこの業務に、エース級の社員たちを投入する会社がある。新潟の靴下メーカー「山忠」だ。
コールセンターを外部委託する企業も増える中、自前で部署を設け、必要とあらば社員が直接、クレーム客に会いに行く。
やっかいな相手が、いつのまにかロイヤルカスタマーになっていることも珍しくない。「最強のコールセンター」擁する山忠とはいったいどんな組織なのか。
コールセンターの女性たちに「ご指名」で注文が入る靴下メーカー
「いつかお会いしたいなぁって、ずっと思っていました」。
2017年10月のある日、山忠のコールセンターに務める坂井直子さん(45歳)は思わず言葉を漏らしていた。
新潟から車で約5時間、神奈川県を訪れたのは、井上加代子さん(73歳)に会うためだ。
2人が直接会ったのはこの日が初めてだったが、それまでに何度も電話や手紙でやり取りを重ねてきた。
きっかけはクレームの電話。井上さんが注文した商品の配達時間を山忠側が間違えてしまったのだ。もう山忠で商品を買うのはやめよう、そう思いながらかけた電話に対応したのが坂井さんだった。
丁寧で的確、気持ちの良い態度で不手際を詫びた坂井さん。電話を切る際に「今後、井上様のご注文に関して私がすべて責任を持って対応します」と宣言した坂井さんの言葉を"買って"、井上さんはその後、彼女を「指名」して注文の電話をかけてくれるようになったという。
以来、頻繁に注文を続けてくれている。
クレーム客が一転、ロイヤルカスタマーへーー。
これは山忠では珍しいことではない。その秘密は、創業60年の老舗を支える自前のコールセンターにある。
山忠は昭和33年に創業した靴下メーカーだ。一般的な靴下から、かかとの乾燥を緩和したり、マッサージ効果を持たせたりした靴下まで、取りそろえる商品は幅広く、それらをカタログ通販で売っている。
そうした商品のクレームなどを一手に引き受けているのが、20代から50代の女性社員十数人でつくるコールセンターだ。
顧客に寄り添う彼女たちの姿勢は徹底している。
例えば、彼女たちには「お財布制度」などと呼ばれる独自の裁量権が与えられており、顧客満足を高めるために、個々人が工夫しながら贈り物などに予算を使うことができる。
使い途は様々だ。病気の客に千羽鶴を送ったり、夫の足の臭いに悩んでいた女性に、ストッキングと消臭炭を購入、客の名前を刺繍した特性の靴下をプレゼントしたり。
こつこつと積み重ねたこうした取り組みが顧客の心をつかみ、コールセンターの社員たちには礼状が届いたり、わざわざ指名しての注文が舞い込んだりしている。
コールセンターは単なるクレーム処理を超えて、会社のブランドを向上させる「花形」部署になっている。
冒頭の坂井さんは「お礼状拝受数月間MVP」の常連になっているエース的な存在だ。
コールセンターをビジネスの「戦闘正面」に位置づける同社社長の中林功一さんは狙いをこう指摘する。
「お客様と我々は、単なる買う・売るという関係ではない。それを超えた人間関係を築いているということが大事だし、商いの面白さだと思っているんです」
一見、コストパフォーマンスの悪そうな取り組みから「一生ついてきてくれるお客様」との出会いが生まれる。長いお付き合いのお客様がいるからこそ、チャレンジングな商品開発にも取り組むことができるというのだ。
目指す会社の形は「逆ピラミッド」
山忠の始まりはたった一台の靴下編機だった。中林さんの父・力(つとむ)さんを中心に、家族がこの機材を使ってこつこつと靴下を編み続けてきた。
ときは昭和33年。「もはや戦後ではない」。戦後の復興を象徴する言葉が日本中を駆けめぐった2年後のことだ。
中林さんは青山学院大学に進学するため上京。卒業後はコンサルティング会社に就職し、大阪、福岡、鹿児島と拠点を移しながら着実にキャリアを積んだが、28歳のとき、転機が訪れた。
力さんとともに創業した伯父が亡くなったため、家業を手伝うため新潟に戻ったのだ。
地方の製造業をどう盛り上げていくべきか。いちコンサルタントから急に100人企業の経営者になった中林さんは、プレッシャーから毎晩自分の歯ぎしりで目を覚ましたという。
30歳のころ、運命の人と出会った。新潟で経営に携わる清水義晴さんで、彼から会社経営の何たるかをたたき込まれた。
「『会社の頂点に立とうと思うな。逆ピラミッドの会社を作りなさい。社長が一番下でみんなを支える、支援型の組織を作りなさい』。清水先生の言葉が僕にはヒットしたんです。ああ、経営って色んなやり方があっていいんだと思いました」
中林さんは、靴下屋の社長らしい喩えでこう話す。
「社長というのは"足の裏"みたいなものなんだと思っています。全体重を支えながら外界との直接インターフェースになる。足の裏で感じたものを瞬時に、取締役会である"脳"に伝える。"足の裏"ですから、もちろんスピードやダイナミックさは重視しています」
「僕たちの一番のお客様は、足だ」
会社の中で、誰よりも"多動"な中林社長が今、力を入れているのは、新潟医療福祉大学の阿部薫教授と共同で開発している靴下「ケアソク」の開発、販売だ。
「創業60周年を迎えるにあたり、山忠はどうあるべきか改めて考えました。靴下屋の自分たちが原点に立ち返ってみると、僕たちの一番のお客様は"足"だと気づいたんです。足を知らなければ、より良い商品は作れない。そこで、現代人の足について研究をはじめました」
現代人の足の問題は、親指の付け根から小指の付け根にかけての"アーチ"がないこと。下駄や草履を手放した現代人は、足の筋力が低下し、どんどん平べったい足になっていったのだという。
「健康に気を使っている経営者でも足はダメ、というケースが多いとわかりました。足には皆さん興味がないんです」
単なる靴下じゃない。「フットヘルスウェア」だ。
足を健康にする新しい靴下を作りたいーー
研究のため、世界中の論文を調べていた中林さんは、あることに気づく。
「すでに重病の人のケアにまつわる研究はあっても、予防の観点での研究がないんです。これはいける、と思った時に『フットヘルスウェア』という言葉が浮かびました。すぐに商標登録に走ると、いとも簡単に商標が取れてしまったんですね。ますますこの領域がブルーオーシャンなんだと確信しました」
軽いフットワークで、次々に学会や研究会に足を運んでいるうちに出会ったのが、新潟医療福祉大学の阿部教授だ。大手メーカーからも共同研究の依頼がいくほど、靴医学界では名の知れた第一人者だ。
足元から人々の健康な暮らしをサポートしたい、と熱弁する中林さんとすぐに意気投合した。
こうして、阿部教授のアドバイスを受けながら、技術者たちによる開発が続いた。特殊な編み方をすることで足のアーチをサポートし、5本の指をしっかり接地させる。一台400万円の足圧計測器も購入し、試作品の効果検証、改良を重ねた。そして出来上がったのが「フットヘルスウェア・ケアソク」だ。
マーケティングはしない。売ることよりも奉仕が先にあるのが商人の精神
「あなたが靴下に求めるものは?」そんな市場調査をしても浮かび上がってこないような効果をもたせたハイスペック靴下、ケアソク。勝機はあったのか、と尋ねると中林さんは答えた。
「売ることが先なら確かにマーケット調査になるでしょう。でも僕たちは商人です。先代の言葉にもありますが、売ることよりも奉仕が先、という精神でやる。ターゲットやデータ、レスポンス率、そんなものは後付けでいいんです。そりゃあ、儲かる時もあれば、儲からない時もありますよ。でも商人の心を失ってまで売らなきゃいけないものなんてないと思っています」
中林さんはこう続ける。
「本社に小さなショップを併設しているんです。お越しいただいたお客様には、全ての社員が誠心誠意接するように努めています。トイレに行かれるお客様がいたら、ショップからトイレまで、トイレからショップまで必ずご案内します。そしたらお客様は『山忠に行ったら普通の男性社員さんがエスコートしてくれた』と感動する。そうなったら一生のお付き合い。もう、商品なんて何でもいいんです(笑)」
「うちのお客様は、競合が同じような商品を作っていたら『山忠さん、〇〇さんがこんな商品売ってましたよ」と教えてくださるんですよ(笑)」
「儲けより奉仕が先」という創業精神をそのままに、時代に合わせた商品づくり、販売方法を模索してきた山忠。フットヘルスウェアの概念を浸透させ、日本人を足から健康にするために「今後はキャラバン隊をやりたい」と中林さんは野望を語る。
「キャンピングカーで全国を回って、皆さんの足の状態を計測したり、足の健康に関する知識を広めていきたいです」
「儲かるかって? いい質問ですね。儲けは大切な観点ですし、効率良く収益を生み出すのは大事。でも、お客様に奉仕し続けるには挑戦しないといけません。その"種"というのは、効率とは違うところにあるように感じます。しっかりそこを大切にしたいと思うんです。私たちはマーケターじゃない。商人ですから」