人権と社会のセーフティネットの在り処「ヤクザと憲法」

質の高いドキュメンタリーで最近注目を集める東海テレビが、ヤクザの事務所にカメラを持ち込んだ。
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今、東海テレビのドキュメンタリーが熱い。地方のテレビ局がなにを、と思われるかもしれないが近年その質の高さが評判を呼び、テレビでの放送後、再編集したものを劇場公開する試みを果敢に仕掛けている。

2010年現在の戸塚ヨットスクールを追った「平成ジレンマ」や、ドロップアウトした球児たちを救おうとNPOを立ち上げるも、球児への体罰や資金繰りの下手さで自らがホームレスになってしまうなど問題だらけの理事長を追った「ホームレス理事長」など、全国ネットのテレビではなかなかお目にかかれないようなドキュメンタリーを数多く製作している。

その東海テレビが今度は、ヤクザの事務所にカメラを持ち込んだ。タイトルは「ヤクザと憲法」憲法が保障する基本的人権は、人が生まれながらにしても持つものとされている。暴排条例が全国で施行されて以来、ヤクザから人権が奪われつつある様を赤裸々に描いている。

本作の魅力は、なによりもまず本物のヤクザがカメラの前にいるということである。取材のルールは「取材謝礼金は支払わない」、「収録テープ等を放送前に見せない」、「顔のモザイクは原則しない」の3つ。撮るなといわれても極力粘ってカメラを回す。相手がヤクザでも警察でも取材陣の姿勢は変わらない。撮るなと言われてもできる限り撮りつづける。

ジョージ・オーウェルは「ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じることだ。それ 以外のものは広報に過ぎない」と言ったが、本作はヤクザの広報に甘んじることは決してない。ミスをした若い組員を恫喝する音を扉ごしに撮り、夜な夜なシノギと称して「何か」を売る組員に何をしていたのかしつこく追求する。ガサ入れに来た警察相手でも簡単には引き下がらずにカメラを向け続ける。それにしても警察の恫喝っぷりがヤクザそっくりである。

しかし、本作の魅力は単に撮りにくいものを撮ったということに終わらない。タイトルが示す通り、ヤクザにおける人権問題にも踏み込む。暴力団排除条例が全国で施行されて以来、ヤクザの構成員は銀行口座を作るのも困難になり、保険にも加入できない。ヤクザの子供だからという理由で、子供が保育園や幼稚園の入園を拒否されることもあるという。

反社会的勢力は、確かに市井の人々の安全な暮らしを脅かす存在かもしれない。しかし、人権概念は全てのものに適用され得る。親を選べない子供に関することならなおさらだろう。そして、ヤクザが存在する理由には、社会の底辺のセーフティネットとしての機能があるからでもある。

ある組員は、自分が最も苦しい時に助けてもらったから組員でいる、と言った。他に救ってくれる存在がないものたちがヤクザに吸収されていく。本作に登場する一番若い組員は21歳。みたところコミュニケーションがとても苦手なようだ。みずから志願してヤクザになった彼は学生時代にトラウマがあるかのように見える。カタギの世界から持ってきた荷物は、宮崎学の文庫本だけ。彼はヤクザ以外に居場所を見つけることができるだろうか。

会長は、ヤクザをやめて世間のだれが受け入れてくれるのか、と言う。事務所を出ても居場所を確保できる人はどれくらいいるのだろうか。そもそも暴排条例下では職探しも相当に困難であろう。

東京都の暴排条例における「規制対象者」の該当基準には、「既に暴力団を離脱しているものの暴力団員と変わらない者」や「暴力団員の行った暴力的不法行為等の共犯等として刑に処せられて、その執行が終わった日から5年を経過しない者」などがある。ヤクザをやめてもすぐに規制対象を外れるわけではない。カタギになることすらかなり難しいのだろう。

人権とは何か、社会の包摂さとは何かを本作は荒っぽい方法で問いかける。ヤクザは怖い。しかし、恣意的に人権が剥ぎ取られる社会はもっと怖いかもしれない。