乳がんで左乳房全摘出した元SKE48の矢方美紀さんが「再建手術を受けない」と語る理由

乳がんはボディラインが変わり、イメージも変わってしまう。そして毎日お風呂に入るたびに、自分の目でそれを確かめてしまうことになる。
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朝日新聞社提供
「ネクストリボン2019」で自身のがん経験を語る矢方美紀さん

元SKE48でタレントの矢方美紀さんが、ステージ2の乳がんを患って左乳房全摘出とリンパ節切除の手術を受けたのは2018年4月のことだ。それから10ヵ月ーー。

ワールドキャンサーデーにあたる2月4日、これまでに18回もの大手術を経験し、19年間がんと闘い続けてきたタレントの向井亜紀さんを聞き手に、矢方さんが自身の経験を語った。

がんは激痛がするものだと思っていた

矢方さんががんに気づいたきっかけは、セルフチェック。乳がんに罹患(りかん)した芸能人のニュースを見て、「自分も気をつけなければ」とインターネットで方法を調べて胸を触ったところ左胸の固いしこりに気付いた。しかし、当初は病院に行くことを考えていなかったという。

「だって、痛くなかったから。がんは激痛がするものだと思っていたんです」

しかし周囲に相談したところ、病院へ行くことを勧めれる。そこで受けた診断は「ステージ1」。セルフチェックで早期発見できたので、早期治療をして仕事に復帰すればいいと思っていた。しかし検査の結果、リンパへの転移が見つかったことでステージ2Bに診断が変わり、左乳房全摘出とリンパ節切除が必要だと医師から告げられる。

「絶対にいやだと思いました。この医者、何を言ってるの?って。でも冷静になって考えたら、これまで生きてきた時間より、今後の人生の方が長い。ここでいやだという感情だけで手術を受けるかどうかを決めてしまったら、きっと今後に影響します。診断を受けてから1週間後に病院へ行き、母や周りの誰にも相談せずに"全摘したいです"と、お医者さんに言いました」

片方の胸を全摘出すれば、ボディイメージが大きく変わる。誰にも相談せずに決めたその決断力には、聞き手の向井さんも驚いていた。

いつか心がぽきっと折れてしまうのではないか、強がっているのではないかと母親目線で心配する向井さんに、「がんの知識がなかった時は怖かったけれど、だんだん周りが見えてくるについて、不安がなくなっていった」と笑顔で答える矢方さん。

手術から約2週間後、自身の病名と左乳房全摘出を受けたことを世間に公表した。

「最初は公表しない方が、格好いいかなと思っていました、でも外見の変化がすごく出てしまう病気だし、治療と並行しながら仕事をすると決めたので、言わないことで誤解されることを心配しました。でも、きっと隠すより言った方が自分の性格にあっていると思ったんです。だから悩んで悩んで公表することにしました」

そんな矢方さんは、手術で見た目の印象が変わった体を隠そうとはしない。乳がんがどんな病気なのか、手術をしたらどうなるのか気になっている親しい友人たちには、手術の痕を見せることもあるそうだ。変わってしまった体を見せるというのは、想像できないほどの強い気持ちが必要になるに違いない。

「乳がんの手術って、おっぱいの中身がなくなって、しぼむだけだと思っていたんです。でも乳腺も乳輪も全てとってしまうから、それまでおっぱいがあった場所に何もなくなる。それが衝撃でした。だから友人に"どんなのか知ってる? 見てみる?"って。ショックを受けて泣いたりする子がいるのかなと思っていたけれど、"格好いいよ"と言ってくれて、この子と友達でよかったなと思いました。心配するでもなく、同じ目線で変わらず接してくれる。励みになりました」

もう胸に傷をつけたくない

手術後、夢だった声優になるために名古屋で声優養成学校に通う日々を送る矢方さんは最近、また一つ大きな決心をした。

それは「乳房再建手術は受けない」というもの。

乳房再建手術とは、乳がんの切除により変形あるいは失われた乳房をできる限り取り戻すためのもの。乳房再建を行うことにより乳房の"喪失感"が軽減し、下着着用時の補正パットが不要になるなどの日常生活の不都合が減少すると言われている。

「本当は、手術の1年後に再建をしようとしていたけれど、再建手術をするのにもう一度、胸を切らなくちゃいけない。またここに傷をつけなくちゃいけないの?と思ったんです。なるべくなら、もう傷をつけたくないなと思った。最初は片方だけ胸がないのは不自由だったし、抗がん剤で髪の毛が抜けたスキンヘッドで、自分の体が映った鏡の前で、"この左右のバランスの悪さはなんだ!"とブツブツ言ったりしていた。

でも私は、胸に人工的なものを入れたり、お腹を切って脂肪を移したりして胸を再建するのは自分らしくないなと思った。今は"こっちは胸ないんだよ"って言わなければ知らない人は気づかないし、普通の生活を最低限できていると感じたので、この自分でも私らしいなって。保険適用になるし、再建手術を受けやすい環境になっているけれど、私自身はそんなに無理をして作ったりするのはいいかな、このままでいいかなと思っているんです」

10ヵ月間がんとともに生き、女性として大きな決断をした矢方さん。2000年に子宮頸がんが発見されて以来、幾度となくがんを乗り越えてきた向井さんは彼女にこんな言葉をかけた。

「そういう風に決めても、1つの方向に進んで戻ってきても、気持ちを変えてもいいんだよ。美紀ちゃんの自由だから。そこは無理せずに。自分で結論を出したのは素晴らしい。乳がんはボディラインが変わり、イメージも変わってしまう。そして毎日お風呂に入るたびに、自分の目でそれを確かめてしまうことになります。そうやって心が元気を失っていく。千々に乱れて、なかにはボディラインが変わるなら、手術しないと決める人もいる。そのなかで、再建しない方が自分らしいと言ってもらえると、闇雲に手術を怖がっている人が勇気付けられる」。

人生が人それぞれであるように、病気との向き合い方も人それぞれ。正解はひとつじゃない。がんとともに生きるために、より多様な選択肢のある社会が実現して欲しいと願うばかりである。