世界で最も力のあるリーダーはどう考えているか

ダボス - パワーエリートが集まって世界情勢について年一回話し合う会議でも、中国の影がこれまでになく大きくなってきた。もう10年も経てばおそらく世界最大の経済大国となっているだろう。経済の重心が動くだけでなく地政学的にも、そして文明のバランスも大きく変わろうとしている。
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ダボス - パワーエリートが集まって世界情勢について年一回話し合う会議でも、中国の影がこれまでになく大きくなってきた。もう10年も経てばおそらく世界最大の経済大国となっているだろう。経済の重心が動くだけでなく地政学的にも、そして文明のバランスも大きく変わろうとしている。

それでも、サミュエル・ハンチントンがかつて「ダボスマン」と呼んだ人たちに支配的な世界観は、いまだに、一世紀は遡ることのできる欧米が先導するグローバリゼーションに根を置いたままであり、どう見てもグローバルとはいえず、むしろ村落的である。

中国、それにグローバリゼーションが向こう10年がどこへ向かうのかを理解するためには、まず西側というレンズを外し、今の中国の共産党政権の立場に立って将来を考えてみるのが一番だろう。

これは何も彼らの世界観を鵜呑みにすることではない。重要なのは、彼らの考え方や行動の一つ一つが来るべき将来を形作っているという事実を正しく認識することだ。これからますます、中国の動く方向に世界が動くのだから。

習近平氏との会談

ベルグレン研究所の21世紀評議会のメンバーと共に我々は、中国の新しい指導者のものの見方を間近で垣間見ることができた。2013年11月、人民大会堂で党中央委員会の本会議が開かれた日の夕方に、習近平と幅広い議論をするというまたとない機会を得たのだ。

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21世紀委員会のメンバーと習近平との会談。11月、人民大会堂にて (黄靖文/新華社/Landov)

我々はまた李克強首相、人民解放軍のトップや全国人民代表大会の議員、浙江省、広東省、雲南省の省長や書記長とも会談した。

その会談で習氏は打ち解けてくつろいだ様子だった。普段の無表情なテクノクラートの雰囲気は微塵もなく、誰もが困難を予想するチャレンジに立ち向かう覚悟を持った、堂々とした指導者の風格を備えていた。

過去の鄧小平や毛沢東のように、習氏の語り口には中国古典からの寓話が散りばめられていた。「中国ではよくこのように言うのですが、読書万冊、旅行万里でやっと世界が見えてくるのです」こう語って彼は会談の口火を切った。「中国は五千年の歴史を持つ文明国ですから、どこから始めればいいのか分からなくなることがあります。廬山を歌った有名な詩に、別の方向から見ると別の印象になる、というのがあります。おそらく私がお話しすることがすべてでは無いのでしょう。その詩には別の句があって、山の中ではその山の姿が見えない、とも言っています」

習氏は独自の視点ではあるがはっきりと自信を持って言い切った。170年前のアヘン戦争の屈辱から這い登る長い年月の後、中国の復活への夢が「こんなに近づいたことはありません」

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「中国の夢」北京の大ポスター (Wang Zhou/Getty)

中国は必ず「中所得国の罠」を避けることができるし、2020年に国民一人当たりの収入を倍増する目標を実現できる、と自信を持って述べた後、習氏は、中国経済が「今後10年から20年の間」7%以上の成長を続けるだろうとの見通しを示した。そのために市場経済への構造転換を徹底させ、低賃金に頼った輸出国から国内消費の振興への路線変更を進めるという。

「これから数年は、中国の都市化は毎年1%の増加となるでしょう」と習氏は語る。「数百万の農民が都市に流れ込むことになります……でも、スラムはどこにもできていません。これまで、経済成長を維持し、雇用の機会を与え続けているからです」2014年には1,200万の雇用機会が新しく都市部で作り出されるという。

しかし、GDPの増大だけが目標ではない、と習氏は強調した。中国が抱える問題はどれも絡み合っており、単独で解決できるものはないのだから。習氏の先導する「人民中心の改革」は「経済、政治、社会そしてエコロジーにまたがる広範囲なものになる」と彼は宣言した。---「党建設の後押しを受けて」と。

不平等の差を埋め、ここ数十年の急成長に取り残された2億人の貧困をなくすことが最優先の課題だ、と彼は言う。李首相が言うように、中国の変革の道は、エコロジーの側面も含め生活を「量から質へ」と、転換を図らなければならない。

全国人民代表大会で採択された習氏の新綱領によると、強制労働収容所は廃止され、一人っ子政策と都市への移住条件は緩和される。農民に土地所有権を許可し、多くの分野で新たに市場開放を進めて、市場経済への「重要な役割」を担わせる。

西側にはほとんど報告されていないが、主要な改革としては、地方裁判所が従来は地方政府の監督下に置かれていたものを、巡回裁判所への報告義務に変えていくこと、それに、重要な点だが、汚職と戦う中央規律検査委員会を党の監督から分離するという。

同時に習氏は共産党による権限の掌握も強化した。中央により権力を集め、イデオロギー上の正当性を強く主張して反政府的なブロガーの摘発を進めたのだ。

我々が会った党指導者たちの視点には、一方で政治と経済の開放政策を進め、他方で政治的な管理を強めることの間に矛盾が見られなかった。緩和と引き締めは同じコインの表裏ということだ。

彼らの考えでは、中央政府と党に権力を集中して初めて諸外国との紛争を未然に防ぐことができるし、利権を持った国営企業や党の地方のボスやインターネットの向こうにいる「混乱の扇動者たち」の反対を押し切って諸改革を進めることができる。

この見地に立って、習氏はまさに鄧小平路線を受け継ごうとしている。今は、以前ほどは厳しいわけではなく、むしろ穏やかなのだが。鄧氏は現実的な政治家で、開放政策と取締りの強化とを絶えず調整して、時には前進を求め、またあるときには安定を保つようにしていた。彼が経済統制を緩めたときには何億もの民が貧困から救われたが、彼はまた天安門広場に抗議に集まった国民に武力を行使して潰走させたのだ。

習氏は鄧小平に代わって同じ路線を推し進めているという指摘以上に、鄧氏を思い出させるものがある。中国の改革開放路線は「百年続く」と鄧氏が語ったのだが、中国はその改革の「一番の難所」に差し掛かっているのかもしれない。

我々の側で対談を受け持ったのは鄭必堅 (Zheng Bijian)、21世紀委員会のメンバーで、鄧小平氏の有名な「南巡講話」のレポートの著者である。この南巡講話が、天安門事件以後に停滞していた中国の開放改革路線が1992年に再開されるきっかけとなったのだ。彼がいてくれたので、新しい諸改革のうねりが鄧氏の路線を受けつぐものとして正統性を得たことは間違いない。

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鄭必堅と李克強首相、21世紀委員会のオープニングにて (中国外務省)

中国は世界に向けて開いた扉を決して閉めない

党総書記が強調する「中国の夢」が実現するのは、今日の相互に依存しあった世界の一員として残る場合だけであろう。「中国が発展をすればするほど」と彼は続ける。「国はオープンになる。一度開け放たれたドアを、中国は二度と閉じることができないのだ。」

この理由で中国は世界規模の出来事に対し「より積極的に対応する用意」があり、各国と協力して新しいゲームのルールを築いていくのだと言う。「中国は国際的な責任をより大きく果たさなければなりません。国際紛争があればより積極的な役割を演じるでしょうし、国際的なシステムの改革でも同様です。」元英国首相のゴードン・ブラウンが次期のG-20の議長職の引継ぎに関連して質問したのを受けて習氏はこう語った。

いまや「時代の潮流」は、経済成長に損害をもたらすような紛争を避けて、代わりに、鄭必堅の言葉を借りるなら、無関税貿易と財政の安定化、それに気候変動との戦いの分野で「利益の集中と拡大を共通の土台とした利益集団」を作り上げる方向にある。

トゥキュディデスの罠を避ける

習氏は鄭必堅の有名な中国が取るべき原則「平和的台頭」に賛意を示した。「強国は覇権を求める、という議論は中国には当てはまらない」と習氏は断言した。「この国にはそうしたDNAが無いのです。中国の長い歴史的、文化的背景がそれを物語っています」驚いたことに彼は、アテネとスパルタの史実を引き合いに出した。「私たちは皆協力して、トゥキュディデスの罠を避けるべきです。新興国と成熟した大国、もしくは大国どうしの力と力のぶつかり合いがもたらす緊張は破滅的なのです」

こうした平和的発展が時代の潮流だとする見地からは、残念ながら、我々が会ったPLAの指導者たちの好戦的な態度は洞察力に富み落ち着きの無いものに見えてくる。

日本と中国はこれまで、同じ時期に並んで超大国となったことが無かった。アイザイア・バーリンの言うアサーティブ・ナショナリズム (軍事力を前面に出さない愛国主義) についてのフレーズを借りるなら、今やこの二国は、過去の屈辱から「たわんだ小枝がはじけて戻ろうと」しているのだ。自分の足でしっかりと立ってはいるものの、中国は今でも、習氏が言ったようにアヘン戦争と日本による占領とを忘れることができないでいる。

日本のプライドは失われた20年の経済停滞でずたずたになり、それは今も回復の努力が続けられているのだが、同時に「積極的に平和を守る」ための軍事的な姿勢を明確にしようとしている。これがまた中国を刺激して、東シナ海を「積極的に防衛」するより主張の強い姿勢となって跳ね返り、昨年の12月には、驚いたことに、「防空識別圏」を一方的に宣言するに至っている。

一党主義、ゴルバチョフと中国のグラスノスチ

2日間に及ぶ集中した会談の間、中国側の出席者たちは、西側が中国の改革への道筋を中国の条件に沿って見ることができずに、ラインホルド・ニーバーがかつて称したように、まるで何か巡礼の旅に出た人々を導く後見人か何かのように振舞うことに、強い苛立ちを見せた。

全国人民代表大会でも権力のある委員長のひとりは、この点を激しく非難してこう語った。「西側は、我々がゴルバチョフを生み出すまで中国の進歩を信じないつもりだろう。」

この議論の核心は、彼らの見るところでは、正統性のある統治モデルとしての一党独裁制を西側諸国が認める気が無い、という点にある。

中国の多くのリベラル派の間でも、今日、一人一票の多党制民主主義が、中国のような大きくて複雑な社会を治めるのに果たして本当に最適な方法なのかについて議論が分かれている。当局による汚職や職権の濫用は無くさなければならないし、西側の民主主義の歴史ある都市で今日見られるようなゲリラ活動による混乱や手詰まり、社会全体の機能不全は、アテネやローマやワシントンでまさに起こっているが、これを中国でも起こしたいと願う人はいない。

彼らが見るところでは、中国共産党はその腐敗や君主のような特権を批判されているが、決して独裁権力ではない。それは7千8百万人の強力な合意形成機関であって、まず長期の政策に合意し、次いで集団指導体制にその政策を断固として実行に移すための権力を付与するのだ。

内部の意見を集約するために利害関係者との果てしない相談と妥協を繰り返すのだ。西側諸国のように、政略によって本体がばらばらになったり、外部との競争によって分極化や停滞を招くようなことはしないのだから、彼らにとって優れた統治方法である。特別な利益を願うことなく、実績や功績に基づいたアイデアや人事を内部で競い合うのだから、このシステムがうまく機能しないわけが無い。

北京大学の潘维教授 (Pan Wei) はこう語った。「実力に基づく競争原理は、中国の統治史上一貫して中心的な位置を占めてきた。これは西側民主主義の多数決による統治原理に匹敵するものだ。」

誰もが良く分からないでいるのは、支配のための語り口をずっと維持しなくてはならないような一党独裁のシステムが、ソーシャルメディアやマイクロブログなどを利用して爆発的に増加している個人の表現の発信をどのように捌いていくことができるかという点だ。

微博 (Weibo) -- 数千万人がログオンし、毒入りミルクや列車の脱線、領土の侵害に高官の腐敗をつぶやく -- は鄧小平の時代の天安門に相当する。現代中国の人々が集まるずっと強力になった広場だ。ここでの重要な問いは、はたして共産党が微博を「チェックしバランスを保つ」のに成功したのか、それとも微博のほうが党をチェックしバランスを保とうとしているのか、という点だ。

習氏がこのパワーシフトに対してどのような手綱捌きを見せるのかは、これから先のゲームを大きく左右する予想のつかない多くの点の一つである。いまのところ党は、ネット上で出会った二人が実際に通りに出て出会うのを阻止する構えだ。汚職に反対して名高かった3名のネット活動家がつい最近、許可なく「結集した罪」で身柄を拘束されている。

新しい法律では、「間違った情報」を再投稿して500名以上に広めた個人も罪に問われることになった。

これが多くのブロガーの熱を冷ましており、一線を越えた人たちが「恐怖という一杯のお茶」のために進路を変えている。何百万人ものフォロワーがいる「ビッグ・ブロガー」の中には容赦なく逮捕された者もいる。それも腐敗の問題に取り組み憲法を擁護するための現政権への要求事項を繰り返し掲載したというだけなのだ。その憲法が表現の自由や法の下の平等を保障しているというのに。

ゴルバチョフ政権で崩壊したソビエト共産党がたどった運命に怯えているのか、中国共産党は「グラスノスチ」つまり微博が開いた権力のガラス張りへの道をなんとか食い止めようとしている。

その一方で、つじつまが合わないのだが、党は避けて通りたいその運命を自ら呼び寄せるような危険を冒している。ソビエト共産党のウソや虚偽の申し立てのヴェールが取り払われたとき、そこには何も残っていなかった。中国がそうでないとどうして言えるのだろうか。中国では皇帝は壮麗な衣装を身に纏うものだし、この党と政府は過去30年にわたって社会に対しその役割を演じ続けてきたのだから。

実際、「中国風のグラスノスチ」はこの党の助けにこそなれその力を弱めることは無いだろう、もしそれが大衆に自分たちの問題意識とその解決策とを自由に発信することを認めるものならば。

我々が北京に滞在中に公開で行ったソーシャルメディアについて議論されたように、自分の身に何が起こっているかは誰もが知っているし、それを皆で交換し合っている。事実の発信に検閲を加えようとするならば、統治のための話術が土台から一層崩れるばかりで、決して権威を高めることには繋がらない。

歴史の正しい側面か誤りか?

冷戦が終結してからの数十年間、しばしば口にされた中国型国家運営の崩壊は起こらなかった。それどころか、中国はいまや世界経済の頂点にまで進歩してきたのだ。

外見ばかりでなく真にグローバルな視点を持つために、ダボスに集まる世界のエリートたちには中国の指導者たちによって敷かれた道筋を考慮に入れた広い視野を持って欲しいものだ。習近平に率いられる次の10年が、中国の政治システムが歴史の誤った一面となるか正しい一面となるかの最終局面となる。そのどちらとなるにせよ、それは世界情勢に根本的な影響を与えることになるだろう。

[(English) Translated by Gengo]

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