世界中に学校をつくりたい。
CINRAという会社をはじめた学生の頃から持っていた夢です。
CINRAは、カルチャーニュースサイト「CINRA.NET」などの自社メディアを運営したり、企業や行政のオウンドメディア制作や、世界から日本への旅行者に向けたインバウンドマーケティングを手がけています。
そんな僕たちが「学校をつくる」というのは、少し突飛に聞こえてしまうかもしれませんが、夢の実現に進むためにできることは十分進めてきたつもりです。
では実際にどういう学校を作るのか? そもそも今、日本や世界ではどんな教育が行われているのか?
インタビューサイト「QONVERSATIONS」を通して、教育フィールドで活躍中の方々を体当たりでインタビューし、新事業のヒントとなり得る事例や考え方を探っていきます。
今回お話を伺ったのは、ファッションブランド「writtenafterwards」を手がける山縣良和さん。世界をまたにかけて活躍するデザイナーでありながら、『ここのがっこう』という学校を主宰しています。
日本での教育環境で挫折を味わい続けてきた山縣さんは、ロンドンの名門芸術大学である「セントラル・セント・マーチンズ」を首席で卒業。そのご自身の経験から生まれた優しく寛容な教育思想に、未来の教育のあるべき姿を感じました。
「ここのがっこう」はどんな学校ですか?
――「ここのがっこう」がどんなスクールなのか、改めてご紹介頂けますか?
山縣:ここのがっこうは2008年にスタートし、今年で10周年を迎えるファッションの学校で、「ここ」には「Here」や「個々」など色々な意味があります。かつてのドイツ・バウハウスやアメリカ・ブラックマウンテンカレッジなどの学校では、既存の教育システムとは異なる形でデザインやアートを学ぶ環境がつくられ、ジャンルを問わずさまざまなクリエーターが輩出されました。ここのがっこうはそのファッション版をイメージして立ち上げたのですが、日本でも戦後、長沢節というファッションイラストレーターが立ち上げた伝説の自由学校と言われる「セツ・モードセミナー」から、コムデギャルソンの川久保玲さん、ヨウジヤマモトの山本耀司さんをはじめ、多くのクリエーターが輩出された事例があります。ここのがっこうはそれらの歴史を参考にしながら、現代のあるべき教育環境についてと考え、ファッションの本質をともに学び、自由な心で世界で活躍できる人材を輩出することを目指しています。
――ここのがっこうの受講生は、世界各地のコンテストで受賞もされていますね。
山縣:はい。これまで世界的なファッションコンテストで受賞していた日本人学生は、海外の学校の出身者ばかりだったのですが、ここのがっこうの多くの受講生が、LVMHプライズをはじめ世界のコンクールでノミネートされ、グランプリも獲得しています。また、それ以外でも修了生はさまざまな国や地域で多様な活動を始めています。また、日本ではアカデミックにファッションを学べる環境は非常に少ないので、国立大学である東京藝術大学にファッション学部を創設されることを見据えた取り組みや地ならしも少しずつスタートできればと考えていて、その一貫として、先日長崎・五島列島で藝大の学生たちとともにフィールドワークしながら、装いをつくるというワークショップを行いました。
――素晴らしいですね。そもそもなぜ山縣さんは学校を始めようと思ったのですか?
山縣:僕は日本の教育で何度も挫折しているんです。小中高と勉強ができず、これと言って取り柄もありませんでした。専門学校も中退しています。だから、ロンドンに留学したのも、どちらかというと日本から逃げるような感覚で、わずかな希望しかありませんでした。そして、いざロンドンに渡ってみると、現地の教育が日本のものとは大きく違うことに気づきました。それがきっかけとなり、学びの場そのものに興味を抱き、学生の頃からヨーロッパ各地でどんな教育が行われ、それぞれの学校でどんな人たちが輩出されているのかというのを、機会がある度に見てまわるようになりました。帰国してからは、いくつかの専門学校や大学で講義をする機会があり、自分の話や経験を求めている人たちが一定数いることは実感できたのですが、同時に既存の教育システムの中で教えていくことの限界も感じ、自分でここのがっこうを立ち上げました。
――デザイナーとして活動しながら、学校の運営もするのは相当大変ですよね。
山縣:そうですね。特に最初の頃はデザイナーとして活動し始めてから間もなかったこともあり、お前に何ができるのか、もっとブランドに集中するべきだと、業界からかなり批判されました。もちろんすべてが初めてのことだったので運営も大変ですし、ここのがっこうは開催場所もノマドのように転々と移動してきました。以前には、お借りしている会場のタイムリミットがきて、大家さんから早く出てくれと言われた挙げ句、公園で授業の続きをしたこともあったし、深夜のファミレスなんていうこともありましたね(笑)。
ファッションの定義は何ですか?
――山縣さんは、日本の学校教育において力を発揮できなかったという話でしたが、世界に名だたるセントラル・セント・マーチンズを首席で卒業されています。この大逆転の背景には、日本と海外の教育の違いも関係しているのでしょうか?
山縣:僕の経験から受けてきた印象でお話をすれば、日本は枠にはめようとする傾向がある教育環境で、僕の留学先のイギリスではズレているものであっても受け入れる土壌がある教育環境だと感じました。そこには、同じ島国であっても、さまざまな人種が入り混じってきた国と、鎖国をしていた国という歴史の違いがあると思います。日本人は何をしても平均レベルが高く、誠実で繊細であるということは強みですが、これから芽生えそうな才能が、枠から漏れることによって潰れてしまう可能性があるのはもったいないと思っています。あと、そもそも僕が日本で通っていたのは専門学校で、一方留学したセントマーチンズは美術大学なので、人材育成での根本的な方向性の違いから学ぶ内容が違うというのもあります。例えば、専門学校では初めにシンプルな服のつくり方を学びますが、セントマーチンズではドローイングが基盤ですし、より概念的なアプローチや歴史のリサーチからスタートしていきます。僕は、日本の良いところと海外の良いところを踏まえ、それらを噛み砕いた上で、日本にどのような学びの環境があるべきなのかを常に考えながら試行錯誤でやってきました。
セントラル・セント・マーチンズ在学時の山縣さんの作品「The big bra」 Photo:Koomi Kim
――多くの人たちが「ファッション」と聞いた時にイメージするのは、ショッピングなどの消費のことや、表層的なスタイリングのことで、ファッションの根源や本質的なところまで考えることは少ないと思います。その中で、山縣さん自身はファッションというものをどのようにとらえ、学生たちに教えているのでしょうか?
山縣:核になるのは、「装い」だと思っています。ファッションという言葉は日本語では「流行」や「服装」を意味し、中国語では「時装」とも書くのですが、つまりは服や人や時間、あるいは空間など、さまざまなレイヤーの「装い」のことなんです。そう考えると、ファッションというのはミクロからマクロまで語れるものになる。例えば、人間という存在自体も、何十兆という細胞が集まった装いと考えることもできますし、ファッションと密接な繊維にしても、分子や原子の装いが重なり合って繊維となり、それが撚られて糸になり、糸と糸が織られることによって布となり、服になります。さらに、空間や街のランドスケープなどもファッションの延長線上で語ることができます。ここのがっこうでは、ミクロからマクロまで幅広い視点でファッションを捉えていくことを大切にしています。
「ここのがっこう」講義風景。 Photo:Chikashi Suzuki
――ここのがっこうのステートメントの中で、「装うことの愛おしさを伝える事」が掲げられていますが、「愛おしさ」という言葉の方にはどんな思いが込められているのでしょうか?
山縣:人間には「生きる」という本質的な目的があり、それに向かってさまざまな人たちが色々な装いをしています。それは人間に限らず、動植物にも当てはめることができ、ユニークな柄をしている植物や動物もまた、「生きる」という目的のために装っている。そうした生命の本質的な行動であると同時に、動物でも人間でも張本人はいたって真面目であるにもかかわらず、突っ込みどころのあるユニークな装いをしている場合もある。そういうところに僕は愛おしさを感じてしまうんです。
最近仕事でよく台湾に行くのですが、現地のおばちゃんたちが揃いも揃ってみんなピンクを着ているんです(笑)。これも生きるためのひたむきな姿勢ととらえると愛らしく思えてきますね。
山縣:ファッションは人間だけで完結するものではないですし、環境そのものを無視することはできません。あらゆる場所で同じような装いが生産され、すべてがひとつの正解やコモディティに向かっていくのはつまらないし、息苦しいと思います。ちょっとしたバグみたいなものも含めて、「なんかチャーミングだよね」と思えるところが好きなんです。
writtenafterwards 2018 S/S Collection
なぜオリジンが大切なのですか?
――先日、ここのがっこうと南カリフォルニア建築大学の共同授業を見学させて頂きましたが、自分たちがどこから来たかイメージすることを盛んに伝えていましたよね。ここのがっこうでは、起源に立ち返るということを一貫して大切にされているように感じます。
山縣:衣服は、もともとその土地にある植物や動物などの素材からつくられていました。そして、環境を体の延長上に取り入れるような形で、それらの柄や刺繍が施されていました。自分たちのルーツを知ることや、歴史や文化背景から何を学び、継承できるかを考えることはとても大事です。ファッションの創造性として、いかに新しい人間像をつくるかという観点がありますが、これも当然自分のルーツとなる文化や環境、歴史に影響されます。また、最近はよくダイバーシティと言われますが、多様な文化、環境を理解するためには、周囲との違いを認識することが大切です。それによって初めて自分のルーツの独自性を認識するきっかけが得られ、さらに他の人のルーツを深く知ることによって、他の価値観を受け入れられる素養ができ上がる。ファッションをというのは、そのようなダイバーシティ的な素養をつくる最初の土台となり得る学問だと思います。自分がなぜファッションの学校をやっているのかということに関しても、ある一方的な価値観や枠からあぶれる人たちを排除したくないという思いが根本にあるのかもしれません。
ここのがっこうと南カリフォルニア建築大学の共同授業の様子。
――ここのがっこうでは、養老孟司さんや内田樹さん、森田真生さんなどさまざまな分野の方々がゲスト講師として参加されていますが、その意図についても教えてください。
山縣:ファッションの本質を突き詰めていこうとすると、生命の進化や行動原理、人間のアイデンティティや知性など、歴史や人類学を軸としたさまざまな考え方が大切になってくるので、その分野のプロフェッショナルの方たちに話をして頂きたいと思っています。いまのファッション教育というのは、"専門"学校であるが故に、このような本質的なことを考えるきっかけが少なく、いきなり専門的な洋服のつくり方を教わることがほとんどです。いま私たちが着ている衣服は、どのような歴史や概念から生まれたのか、それがいかに現在のファッションと結びついているのかを考えることが大切です。だから、ここのがっこうでは、ファッションを軸にしながらも、リベラルアーツを学ぶきっかけを与えるということを意識しています。
――近年、海外では企業の幹部候補のトレーニングを、ビジネススクールではなく名門美術大学で行うという話も聞くようになり、アートやデザイン、ファッションなどの可能性がビジネスの世界でも注目されています。山縣さんはファッションの分野に哲学や社会学などを取り入れた教育をされていますが、逆に既存のビジネス教育にアートやファッションが入っていく可能性についてはどう捉えていますか?
山縣:ビジネス本などを読んでいても感じますが、「正解」というものがある種コモディティ化していく中で、そもそもひとつの正解を求めていないファッションというものには大きな価値があると思っています。ファッションは、野生の思考が古代から現代の社会、都市空間でもいまだに脈々と残っているコミュニケーションであり、現象です。ファッションの多くのクリエーションは複雑なブリコラージュ的表現であるが故に、すべての行動や動機、理由を言語化することが非常に困難です。また体系化し、言語化し終えた時点で、それ自体の価値がなくなってしまうようなことも起こったりと、決して完成形があるわけでもないのです。わかる人にしかわからないコードが重要視され、ある種密教的な要素を好む傾向もあり、一筋縄ではいかないとても複雑な世界です。ですから、結論に価値を置きすぎず、客観的な視点、抽象的な物事やダイバーシティの理解が重視されるファッションは、コンピューターネットワークが形成された以降の今日の不安定、複雑、不確定、曖昧な世界をどう捉え、生き抜いていくための学問でもあり、さまざまな分野にとってもヒントとなり得る新しい視点を生み出す可能性を持っていると思っています。
どんな教育ポリシーを持っていますか?
――山縣さんの教育者としてのポリシーがあれば教えてください。
山縣:いくつか限定してお答えするならば、答えをあえてぼかすことは意識しています。例えば、課題を出した時に、学生から何をしたらいいかわからないと言われることがよくあるのですが、そういう時は自分で解釈してくれれば、出来上がったものが何であれ、それでいいと言っています。それによって自分が想像していなかったものが出てきた方が面白いですから。また、誰が、いつ、どのように化けるのかわからない中で、いかに奇跡を信じられるかが肝だと思っています。おそらくそれは、教育者自身が、人生の中で奇跡を体験したことがあるか、信じてこられたかということと関係していて、その経験や感覚があまりない人が教える側に立った時、あなたはこうだという決めつけをしがちな気がします。ただ、人それぞれ成長過程が異なるので、時にはこちらからリードしてあげることも必要かもしれないし、どのタイミングでどんな言葉をかけるのかというバランスはとても難しいですよね。また、僕が声をかけなくても、周囲の学生同士が影響を及ぼし合って変わっていくということもあるので、授業中はなるべく色々な人の意見が飛び交うような環境づくりを心がけています。
「ここのがっこう」講義風景。 Photo:Chikashi Suzuki
――CINRAの教育事業では、すでに対象年齢だけは中高生と決めていて、その理由は、この時期が最も、人生に変化を及ぼすきっかけがつくりやすいと思っているからです。その後の人生の指針になるような多様なものやきっかけを提供できる事業にしたいと考えているのですが、もし山縣さんに講師のご依頼をした場合、まだ将来どうなるかわからない中高生相手にどんな授業をされますか?
山縣:やはり人間が装うことについての本質をわかりやすく話すと思います。そして、今後自分たちが生きていく上でファッションというものがどのように関わってくるのかということを伝えたいですね。例えば、これからは身体が不自由な人たちが補助器具を取り入れることで、健常者よりも身体を拡張できる世界が訪れると思っています。そうなると、身体に対する考え方や価値観は大きく変化するだろうし、身体と密接な関係にあるファッションの価値観も大きな影響があるはずです。実際に今年のイエール国際モードフェスティバルのアクセサリー部門でグランプリを獲った作品も補聴器とアクセサリーが融合したものだったりするので、そうした未来の話を伝えつつ、みんなの興味が湧きやすいアニメやお笑い、ギャルの話も織り交ぜていくと思います(笑)。
――楽しみにしています(笑)。先にお話し頂いた東京藝大など他の教育機関ととの取り組みなど、ますますお忙しくなりそうですが、ここのがっこうに関しては、誰かに講義を引き継いでいくという考えはないのですか?
山縣:自分が教えるということに特に固執しているわけではないのですが、なかなかいますぐに100%のバトンタッチは難しいという実感があります。ただ、僕よりも若い方にも積極的に講師として参加してもらうようにはしています。僕は、自分が体験してきたことを元に勉強して、発見したことを伝えているだけなのですが、同じことを教えるにしても、誰がそれを話すのかによって伝わり方は大きく変わりますし、やはり経験に基づいているということが非常に大きいと思っています。曲がりなりにも、紆余曲折を経て色々と経験しているものですから、僕だからこそ伝えられることは必ずあると思っていて、自分が教えていない状況というのが、なかなか想像しにくいんです(笑)。しかし、教育現場とビジネスの現場を分け隔てなく活動できる人材はこれからもっともっと必要になると思いますので、さまざまなプロフェッショナルの方たちに今後もお力添えを頂きたいですね。
インタビューを終えて
ここのがっこうの授業を実際に拝見して驚いたのは、山縣さんが答えどころか、方向性のようなものすら生徒に与えないシーンが何度かあったことでした。授業の中で、とあるフランス人ファッションデザイナーの作品を見せたり、最近の雑誌の表紙を見せたりするのですが、それに対して山縣さんなりの解釈や分析を入れることなく、ただ「こんな人がいるんだよね」「こんなことがあったんだよね」という形でポーンと教室に投げかけるだけ。それでまた、次の話題に移る。
「教育」といえば何らかの答えであったり、少なくても考え方くらいは提示しようとしてしまうものだけど、山縣さんはそうしません。そのスタンスは、インタビュー中の「いかに生徒の奇跡を信じられるかが肝」という言葉に凝縮されているのだろうと思います。何らかの思想やフォーマットに誘導することなく、自分で考えてもらうための素材だけを提供する。そこで生まれる生徒自身の思考を、信じる。たとえそれがいますぐにはそれらしいものでなかったとしても、いつか必ず変わると、信じ続ける。こんな人が教師だったらもっと多くの生徒は救われ、自分の才能を発揮できるはずです。これからの教育における教師の役割を、改めて考えさせられる取材でした。