成功するために週100時間働くとはどういうことか

名うての起業家イーロン・マスクが卒業式のスピーチで成功するための条件のひとつとして「週に100時間死に物狂いで働け」と言ったそうだ。
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 名うての起業家イーロン・マスクが卒業式のスピーチで成功するための条件のひとつとして「週に100時間死に物狂いで働け」と言ったそうだ。

 もちろん、死に物狂いで、達成したい仕事に継続的に取り組まなければ、何ものも成し遂げることはできないし、かりに、同じことを目指しているライバルが存在して、他の条件が同じであれば、長時間働いたものが先にゴールに着くのは自明のことである。

 だけど、誰でもわかるように、「週に100時間働けば必ず成功する」わけではない。週に100時間働き続けて病に倒れる人も多いし、努力する方向が間違えていて失敗に終わる人だって無数にいる。

 さて、そういうことを前提において、いったい、僕は何時間ぐらい働いているのか、イーロン・マスクが言うほど、死に物狂いで働いているのか、ちょっと気になったので調べてみた。

 僕が死に物狂いで働いた時期は2回あって、1回めは会社勤めをしていた課長の頃。

 休みは月に2回程度で、朝の9時からだいたい夜の10時ぐらいまで、ずっと働いた。

・一日の労働時間 13時間(9時~22時) 

・週間労働時間  13時間 × 6.5日 = 84.5時間

 ただし、通勤に往復2.5時間はかかった。

 もし、それにこの時間を足すとすれば、

・通勤時間 2.5時間 × 6.5日 = 16.5時間

・週間労働時間+通勤時間 84.5時間 + 16.25時間 ≒ 101時間

 通勤時間を足すとおおむね週間100時間であった。

 僕としては、働ける時間はほぼそれが限界であった。おそらく、近いところに住み、通勤時間が縮めばその分が仕事に移行するだけのことだったろう。

 さて、この時期、僕は精神的に高揚して、働き続けたわけだけれど、あちこちに書いたように、結局は会社からさして評価されなかった。

 家族との関係も悪くなり、精神的に、このままでは折れてしまうかもしれないと思った。

 努力する方向が間違えていたために、組織が求めるものを提供できていたかという観点からは、週100時間近い労働は成功ではなく失敗をもたらした。

 もう1回は、脱サラ後にいまの商売を始めたころだ。

 家で妻とふたりで働きづめた。とにかく、当時は働けば働くほど利益になったので、やがてそのebayでの商売が皆の知るところになったら、稼げなくなるだろうという恐怖心があった。そのため、稼げる間に稼げるだけ稼いで、次のビジネスの資金を貯めようとした。

 その時も、僕は働けるだけ働いた。

・一日の労働時間 18時間(朝7時~深夜1時) 

・通勤時間    ゼロ

・週間労働時間  18時間×6日=108時間

 この時は、会社での体験に比べると、精神的にはかなり楽だった。そもそも、働きたくても働く方法がわからない無為な何ヶ月かを過ごしたあとだったので、仕事があって、それで目に見えて稼げるとなると、長時間の労働もあまり苦にはならなかった。そうやって働けば働くほど、子どもたちの学資や将来のことも安心することができたから、嬉しくてしかたがなかった。

 僕は大丈夫だったが、この時は、妻がかなり辛そうだった。申し訳ないと思いながら、どうしても妻にしかできない仕事もあって、長時間労働につきあわせてしまった。

 そして、今は、何時間働いているだろうと、計算してみた。

・一日の労働時間  11時間(朝8時~夜7時)

・通勤時間     30分

・週間労働時間(含む通勤時間)   11.5時間 × 6 = 69時間

 僕の今の立場は13年目の小さな会社のオーナー経営者である(社員3~4人、パート・アルバイト十数人)。

 純粋に着物にかかわる仕事の時間を計算するとそうなる。こんなんじゃ、イーロン・マスクや稲盛氏に落第経営者としての烙印をおされそうだ。

 ただし、これにブログやなにかの原稿を書いている時間を足してみると

・一日の労働時間  11時間(朝8時~夜7時)

・一日の情報収集・執筆時間 3時間(朝5時~8時)   

・通勤時間     30分

・週間労働時間(含む通勤時間)   14.5時間 × 6日 + 3時間(日曜日の執筆) = 90時間

 やはり、おおむね90時間ぐらいになる。

 いまの僕は会社勤めをしているわけではないので、労働時間という概念は以前とは異なる。今の僕にとっての労働とは、僕が死ぬまでに達成したいこと、誰かの役に立つためにおこなうすべての行為であるとも言える。

 情報収集やブログや執筆は、僕にとってすでに趣味とは言えない。多少の収入があるほか、本業にも好影響を与えている。

 で、結局は、週間100時間近い時間を、今も「働いている」ことになる。

 今の僕は、その前の2回の時よりも、精神的なストレスはそうとう少ない。

 しかし、もちろん、認知症になった親のことや、一緒に仕事をし暮らしているとはいえ、家族と旅行したりする充分な時間がとれないことに、ストレスはある。

 今の僕が社会的に成功していると言えるのかどうかはわからないが(他人が決めることなので)、少なくとも、僕は精神的に満足した状態にいて、かつての「折れてしまいそう」という状態からは程遠いところにいる。

 おそらく、なにかを達成しようとしてがんばる時、ぎりぎり持続可能な労働時間というのが、イーロン・マスクが言う、週100時間なのだろう。

 しかし、会社勤めをしていた時の100時間労働は、はっきり、破滅への道だったと今では思っている。

 今の100時間とは、まったく質の異なるものであった。

 さらに、かりにそれが精神的な満足をもたらすものであるとしても、生涯ずっと100時間労働を続ければ、大きな何かを達成できるかもしれないが、大きな何かを失うかもしれないということは、肝に命じておいたほうがよいと思う。

 人生は何ごともバランスだ。

 成功のために、「必ず週100時間」と考えるのは、ちょっと違う。 

 たしかに、週100時間狂ったように働く時も必要だが、ギアを入れ替える時だって必要なのである。

 イーロン・マスクが言いたかったことは、「死に物狂いで働いたというのは、週100時間ぐらいのことを言うのだ。そこまでがんばってはじめてそう言える」ということであって、「どんな状況でも何が何でも、ずっと週100時間働け」ということではないと思うのである。

(2015年3月20日「ICHIROYAのブログ」より転載)