電通社員の痛ましい過労自殺が契機となり、さまざまな「働き方改革」が政労使で検討されている。
長時間労働を解消し、だれもがムリなくワーク・ライフ・バランスを実現できる就労環境をつくることが重要だ。そのためにはあらたな雇用・労働政策と企業の人事制度を確立すると共に、個人の働き方に関する意識改革も必要だ。
政府が掲げる「女性の活躍」推進も、多くのサラリーマンが高度経済成長期に私生活を犠牲にしたような働き方であってはならない。
かつての労働者像には、時間的制約もなく、ひたすら体力の限界まで働くことが求められてきた。当時の栄養ドリンク剤の広告は、『24時間戦えますか!』だった。
最近の「働き方改革」を受け、製薬会社では肉体疲労のみならず精神疲労にも効能のあるドリンク剤を開発しているという(*1)。
筆者も以前は締め切りの迫った報告書を仕上げるために、ドリンク剤を飲みながら深夜におよぶ残業をこなした経験があるが、そのような働き方が"昭和の残滓"になるのはいつのことだろうか。
現代社会では効率性が第一に求められる。そこには「あそび」や「ゆとり」の入り込む余地は少ない。「あそび」には、『自動車のハンドルのあそび』などのように、「ゆとりや余裕」(Redundancy)という意味がある。
人口減少時代に労働生産性の向上が要求される一方、どのようにすれば「あそび」や「ゆとり」を持って効率的に働くことができるだろうか。日常生活の中で気軽に「あそび」や「ゆとり」を持つためのひとつの方法として、一日一回の「散歩」を試してみてはいかがだろう。
国語辞典には、「散歩」とは『気晴らしや健康のためにぶらぶら歩くこと』とある。古代中国では、不老不死などに効く「五石散」という粉薬を服用したとき、副作用を防止するために「発散」を促すよう歩き回ったことが「散歩」の語源になったという。
つまり、「散歩」には人間の体内の害悪となるものを排出する解毒作用のような機能があるのだ。現代社会であれば、仕事などでたまったストレスも「散歩」が体外に排出してくれると言う訳だ。
長時間労働をなくす制度が整うには時間がかかる。また、制度があっても運用次第では、過労死を完全に撲滅することは難しい。
われわれ一人ひとりにできる自己防衛策は、仕事の合間に「あそび」や「ゆとり」を見出すことではないだろうか。目的もなく歩き回る「散歩」は、日常のストレスを解消し、血の循環をよくし、思考が深まる「思索」につながる。
「働くこと」の大切な目的は『幸せに生きるため』である。一日一回の「散歩」は、われわれが『何のために働くのか』を思い起こす一助になるだろう。
(*1) 日本経済新聞記事『24時間戦いません/ドリンク剤ソフト路線』(2017年5月20日朝刊)
【関連レポート】
(2017年5月30日「研究員の眼」より転載)
株式会社ニッセイ基礎研究所
社会研究部 主任研究員