ホスピスで働くのは憂鬱?

ホスピスで働くということは、憂鬱ではありません。それどころか、生きることについてたくさんのことを教えてくれた、かけがえのない道のりであったと思います。
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「ホスピスで働くのは憂鬱ではないですか?」とよく聞かれます。 私は10年間、アメリカのホスピスで音楽療法士として活動してきました。ホスピスの仕事は悲しく、憂鬱なものではないかと思う皆さんの気持ちはわかります。それは、ホスピスは「死の場所」と考えられているからでしょう。

しかし、ホスピスは場所ではありません。 ホスピスとは、末期の患者さんやその家族に提供されるケアのことです。その目的は、患者さんが安らかに尊厳を持って最期の時間を過ごせるよう、医療だけではなく、心のケアを提供することです。病気を治す事を英語で cure (キュア)といいますが、ホスピスの基本は、cureではなく、思いやること、すなわちcare (ケア)です。

ホスピスでは、死を医療の失敗とは考えません。死は誰もがいつかは経験する人生の過程です。そういった意味では、人の死を助けるのと赤ちゃんの出産を助けるのは、よく似ています。両方とも、人生に起こる自然な過程だからです。

私の友人で、救急病棟の医師をしているアメリカ人がいます。ある日彼が、週に1度出席しなければいけないミーティングについて話してくれました。そのミーティングは「疾病率と死亡率」といい、その週に病院に運ばれてきた患者さんの病気や死に関して、チームで話し合うものです。患者さんが亡くなったケースは、また同じような事が繰り返されないように慎重に分析されます。死が防げない場合があるとわかっていても、 救急病棟で働く人々にとって死は医療の失敗なのです。

救急病棟の医師としての仕事は、ホスピスの音楽療法士としての仕事以上に、死に焦点を当てた仕事だと、私と友人は同感しました。死は自然な現象で、避けられないものです。そして時には、患者さん本人にとっては、喜ばしいことでもある場合もあります。そういった認識をすると、ケアの焦点が死から生きることへと移行します。死を防ぐことではなく、患者さんが残りの人生をどうやって有意義に過ごす事ができるか、ということが重要になってくるのです。

ホスピスケアの焦点は生きることです。なぜなら、死にいたる過程は生きていることの一部だからです。

何年か前、50代の末期がんの女性が、亡くなる数日前にこう言いました。

「私の人生は冒険だったわ。死は私にとって、また別の冒険。私は今、新たな冒険に臨む心の準備ができているの」

人の人生の過程にこのようにして関わるということは、とても貴重で神秘的な経験です。ホスピスで働くということは、憂鬱ではありません。それどころか、生きることについてたくさんのことを教えてくれた、かけがえのない道のりであったと思います。  

この記事の英語板 "Is It Depressing to Work at Hospice?"

Twitter ID: @YumikoSatoMTBC