※ネタバレが多少あるので、見てから読んだ方がいいです。
文章を公開するのは怖いと感じることがある。批判されるのも怖いが、意図せず誰かを傷つけていることもあるからだ。とりわけインターネットに文章を掲載すれば誰が読むかわからないので尚更だ。
言葉の刃は発話者が意図せずとも潜り込んでしまうことがあるが、人間社会は言葉によって動くものなので、発言を恐れていては何も前に進まない。しかし、言葉の怖さを意識しないで文章を発表していいものなのかとふと考えることがある。バランスが難しい。
あの花トリオの新作「心が叫びたがってるんだ。」は高校の教室や母娘の関係を通して、言葉の刃について描く作品だ。別の場所に書いたレビューでは思いを伝える勇気の話と書いたが、両者は合わせ鏡のようなもので、言葉の恐ろしさを描くからこそ、それを乗り越える勇気が感動的なものになる。
以前紹介した映画「それでも僕は帰る シリア 若者たちが求め続けたふるさと」は、平和的メッセージを掲げた若者がまず殺されたというエピソードが出てきたが、平和のための言葉がシリアのデモの最前線では挑発と受け止められたということだろう。時と場合によって言葉はそれぐらいねじ曲がった意味で受け止められることもある。政治の世界ではほんの少しのニュアンスの違いで歴史が大きく動いてしまうこともある。言葉とはそれぐらい怖いものだ。
本作は、そんな大きな物語では全くないが、そんな言葉の持つ難しさを、我々の手の届く範囲で丁寧に描いている。単純に青春映画としても出来が良い。
主人公の順は、幼い頃の発言で、両親の離婚を招いた過去を持つ。そのことで玉子の妖精にしゃべれなくなる呪いをかけられ、しゃべろうとすると腹痛になってしまう。しゃべらないせいで高校の教室は浮いた存在だ。そんな中学校で地域ふれあい交流会の実行委員を決めなくてはならないのだが、だれも立候補しないので、強引に担任が決めてしまう。選ばれたのは順を含めた4人。順は言葉を喋れないが、歌でなら気持ちを表現できることがわかる。そこでもう一人の主人公、坂上が地域ふれあい交流会でミュージカルをやることを提案する。
幼い頃に発した順の言葉は、全く悪気のないものだった。にもかかわらず家族仲を引き裂いたことで、言葉は意図した通りに受け止められるわけではないことを知ってしまう。これが順の恐れにつながっている。実際、自分が誰かに発した言葉を、相手が自分の意図どおりに受け止めたかどうか確かめる術はない。伝わっているであろう、という信頼が自分の中にあるかないかでしかない。自分の中の信頼が崩れた時、言葉を発するのは本当に難しいことだろうと思う。
順とは別の意味で、言葉の恐れを感じているのがもう1人のヒロインの菜月だ。順とは違って優等生で美人、チアリーダー部の部長でクラスのまとめ役でもある。社交的で友人も多い彼女のふるまいは言葉を恐れているようには見えない。が、彼女の発する言葉は決して関係を波風立てるようなことはない。彼女の言葉は揉め事を回避するためにあって、本心を伝えるためにはない。あるいは本音を隠すために言葉を紡いでいるようにも見える。しかし、そういう性格のせいで彼女は坂上に言わなきゃいけない本音を言うことができなくなっている。順とは反対に菜月の場合は、言えなかったことで人を傷つけてしまった過去がある。2人のヒロインは言葉を巡って正反対の立場をとっているが、どちらも言葉の怖さを感じている。、ラストのミュージカルシーン、当日のトラブルで2人が1つの役(光と影)を演じることになるのだが、言葉の怖さを巡って合わせ鏡のような態度の2人を上手く象徴している。
言葉は大切。当たり前のことだが、当たり前すぎて思い変える機会が少ない。本作はその当たり前のことを心に刻み込むように思い出させてくれる。この映画のテーマは、誰でも世界に向けて言葉を発することができる今だからこそ、とても強い今日性を持っている。
公式サイト:映画『心が叫びたがってるんだ。』