私の本当の名前は鈴木綾ではない。
かっこいいペンネームを考えようと思ったけど、ごく普通のありふれた名前にした。
22歳の上京、シェアハウス暮らし、彼氏との関係、働く女性の話。この連載で紹介する話はすべて実話にもとづいている。
個人が特定されるのを避けるため、小説として書いた。
もしかしたら、あなたも同じような経験を目の当たりにしたかもしれない。
ありふれた女性の、ちょっと変わった人生経験を書いてみた。
◇◇◇
赤坂見附でセクハラを受けてから、もっと仕事上で相談できる女性の味方を作った方がいいと思った。
だが、同性だから必ずしも味方になるわけではない。下心のあるゾンビおじさんよりも残忍な敵になることもある。
私の会社に一人、憧れの女性の先輩がいた。彼女は50歳ぐらいで、20年以上同じ会社に勤めていた。重要なプロジェクトがあったとき、会社の幹部たちは必ず彼女の意見を求めたし、会社にとって特に大事なお客さんを担当していた。
日本支社から本社(ロンドン)に転勤する日本人は珍しかったのに、イギリス人の旦那さんが一時仕事で母国に戻ったとき、彼女は本社に転勤になってそこで10年以上働いた。
仕事で成果を残している、海外経験もある、充実したプライベートライフもある、彼女のようなキャリアウーマンにどうしてもなりたかった。女性同士だから色々アドバイスしてくれると期待していた。
それまであまり一緒に仕事をしたことがなかったのだが、自分のメンターになってもらいたいと思っていた。たまたま彼女担当のプロジェクトで人手が必要になった時、迷わず私は手を挙げた。
しかし、彼女との仕事は地獄だった。
彼女のためにマーケット調査をしたとき、内容だけではなくて、ホッチキスのとめ方、フォントの大きさ、細かいところにまで文句を言われた。廊下ですれ違ってもトイレで出会っても、一緒に仕事をしているのに彼女は絶対に私に挨拶しなかった。
それまで私は他の上司に認めてもらってどんどん仕事を任せられていたので、決して自分の仕事の仕方に問題があるとは思わなかった。その時はコツコツとずっといい仕事をすれば彼女に認めてもらえると思って我慢した。
私の会社では定期的に会社の女性達が集まって、一緒にランチをした。たまたま、私が一日休みをとったあとにそのランチ女子会が開かれた。休みのときに彼氏と一緒にお台場に行ったけど彼がずっと電話で仕事をしていた話をした。彼の会社にもっとワーク・ライフ・バランスを大事にしてほしい、という話を私より2個上の先輩にしていたら、彼女が口を挟んだ。
「主人と結婚したばかりのとき、ハワイに連れて行ってもらったことがあります。ちょうどその週に大事な仕事が入りましたけど、その当時ケータイなんかありませんでした。彼は一週間ホテルの公衆電話を独占しましたけど、私はそれで良かったと思いました。大事な仕事があったら休み中でも仕事しなければいけないのは仕方ないじゃないですか」
そうか。
彼女は厳しい上司なだけではなかった。
彼女はそもそも私のことが嫌いだったんだ、と気付いた。
その午後、お客さん用のパワーポイントを仕上げて先輩にファイルを送った。2分後に返事がきた。
「こっちに来てくれる?」
彼女のところへ向かった。
「綾さんはどうしてつまらない間違いをすると思う?」
答えに戸惑った。
ファイルを送ったばかりなのにもうミスを見つけたの?
15分ぐらいガミガミ叱られた。
最後に先輩が一言言った。
「綾さんはこの仕事に向いてないんじゃないの?」
冷たい表情で私を見つめて言い放った。
私は机に戻ってパワーポイントをやり直した。
その日の夜、シェアメイトの真美さんと笹塚のサイゼリアで待ち合わせしてこの上司の話しをした。
「綾のことを嫉妬しているからじゃないの?」と真美がミラノ風ドリアをスプーンで取って言った。
「私ね、今は派遣社員だけど、大学の後、実は普通に就職したのよ。旅行会社に就職したのね。旅行会社だから、女性社員が結構いたんだけど、女性の先輩たちは男性部下にはすごく優しかったのに、なぜか女性の部下をいじめてたの。彼女たちが男性社会の会社に入って色々嫌な思いをしたから、私達にもそういう思いをさせたかったからだと思う。ほら、大学の体育会なんかでよくある新入生いじめ、みたいなもんじゃない?」
真美が立って、ドリンクバーに向かった。
真美の話を聞いて、そういうことなのかな、と思った。先輩は先輩で、男性社会の中で人一倍頑張ってきた。それこそいっぱいゾンビおじさんに迫られたことが何回もあったはず。それでも、今の地位と評価を独力で獲得した。なのに、後から来たあんたたちが何の努力もしないで、私の後を付いて歩くだけで同じ評価をしてもらえるなんて、甘えるんじゃないわよ。きっとそんな気持ちがあったんじゃないかな。
彼女の気持ちが分からなくはない。だけど、やっぱりアンフェアなことだと思った。
先輩の時ほどじゃないかもしれないけどあたしたちだって男性社会の中でもがいてる。支えてくれる先輩や仲間は大事だ。
でも仕方ない。彼女を変えることはできない。
私に出来ることはせめて彼女みたいにならないことだけ。
ため息をついてミラノ風ドリアを一口食べた。