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2017年1月27日、就任からわずか7日後のドナルド・トランプ大統領は、イスラム教徒が多数派の7カ国(内戦で分断されているシリア含む)からの難民と市民のアメリカへの入国を一時的に禁止する大統領令に署名した。
「イスラム過激派のテロリストをアメリカに寄せつけないための、新しい入国審査を確立する」.
国防総省での就任式典で、トランプ氏は大統領令についてそう述べた。「私たちは彼らがこの国にやってくるのを望んでいない」
しかし「彼ら」とは誰のことだろうか?
歴史を通じ、世界中の様々な民族や人種の人々が戦争、飢饉、迫害、自然災害などで母国から逃れてきた。過去100年間でも、ドイツ、ベトナム、ロシア、ダルフール、シリアをはじめとする多くの地域から難民が生まれてきた。
難民は人間だ。教師、商店主、トラック運転手、母親、父親、妻、夫、息子、娘、きょうだい――彼らが現在の多様で美しいアメリカを作ってきた。
3月は「女性歴史月間(Women's History Month)」。難民の人々に敬意を表し、過去100年間で新たな国へ移り住んだ難民女性たちを捉えた63枚の写真をまとめた。第二次世界大戦中のナチス・ドイツの迫害を逃れたユダヤ人難民たちや、90年代初期のジョージア(グルジア)の内戦から逃れる家族たちなど、母国を追われて新たな地を求めざるを得なかった、勇気ある女性たちを讃える力強い写真だ。
以下の写真を見ながら覚えておいてほしい。難民の受け入れを禁止すれば、傷つくのは彼らなのだ。
2016年、トルコ
Anadolu Agency via Getty Images
トルコ南部アンタルヤのカシュ地域の海岸で、ギリシャのカステロリゾ島に違法に上陸しようとしていた50人の難民がトルコ沿岸警備隊に拘束された。写真は子供たちを抱きかかえるシリア人女性。2016年2月24日。
2016年、シリア
DELIL SOULEIMAN via Getty Images
過激派組織IS(イスラム国)の事実上の首都であるシリアのラッカから逃れ、同市から北約50キロの場所にある一時難民キャンプのアイン・イッサ村で暮らすシリア人女性たちが、砂嵐の中金網のそばに座っている様子。2016年11月10日。
2016年、フランス
PHILIPPE HUGUEN/AFP/Getty Images
フランス北部カレーの「ジャングル」と呼ばれる移民キャンプから受け入れガイダンスセンター(CAO )へ向かうバスに乗るクルド系イラク人女性たち。2016年10月12日。
2016年、イタリア
GABRIEL BOUYS/AFP/Getty Images
380人の移民がサルディーニャ島のカリアリ港に到着する中、リビア沿岸部付近で救助された2日後に、救助船「アクエリアス号」から窓の外を見つめる女性。2016年5月26日。
2016年、セルビア
ARMEND NIMANI/AFP/Getty Images
セルビアのミラトヴァク村のマケドニア国境を越え、歩いている移民と難民たち。2016年1月8日。
2016年、イラク
AHMAD AL-RUBAYE/AFP/Getty Images
ノルウェー難民評議会による配給を受け取るために列を作る、ファルージャの街を追われたイラク人女性たち。ファルージャの南、新たにアムリヤット・アルファルージャに設置された難民キャンプにて。2016年6月27日。
2015年、ドイツ
Zohra Bensemra / Reuters
シリアのデリゾールからドイツのリューベックに到着したシリア人移民のイハブさん(30)を抱きしめる、母親のフーダさん(48)。2015年9月18日撮影。
2015年、ギリシャ
Yannis Behrakis / Reuters
トルコからエーゲ海の一部を渡ってギリシャのレスボス島の海岸に到着し、ボートから降りて子供を抱え上げるシリア人難民の母親。2015年9月18日。
2015年、ギリシャ
LOUISA GOULIAMAKI/AFP/Getty Images
バスの外を眺める母子。アテネのピレウス港にて、窓ガラスに反射して写っている政府のフェリーから移民、難民たちが上陸した後の様子。2015年11月27日。
2015年、エーゲ海
ARIS MESSINIS/AFP/Getty Images
トルコからエーゲ海を渡ってレスボス島に到着した難民と移民たち。2015年10月27日。
2015年、トルコ
BULENT KILIC/AFP/Getty Images
内戦を逃れ、破壊された国境フェンスを越えて違法にトルコ領内に侵入しようとするシリア人たち。シャンルウルファ県のアクチャカレにある国境検問所付近にて。2015年6月14日。
2015年、ギリシャ
ARIS MESSINIS/AFP/Getty Images
救急シートに包まれた幼児を抱きしめる女性。トルコからエーゲ海を渡った難民と移民らが到着したギリシャのレスボス島にて。2015年10月1日。
2015年、ギリシャ
Matej Divizna via Getty Images
他の難民たちと共に膨張式ボートでトルコからエーゲ海を渡ってギリシャのレスボス島に上陸した女性が呼びかけに応える様子。2015年10月1日、ギリシャのスカラ・シカミニアス村付近にて。
2015年、エーゲ海
ARIS MESSINIS/AFP/Getty Images
トルコからエーゲ海を渡った難民と移民たちが到着したギリシャのレスボス島で、ボートから子供と海に落ちる女性。2015年10月2日。
2015年、ルワンダ
J. Lawler Duggan/The Washington Post/Getty Images
ルワンダのブゲセラ県ガショラにあるガショラ難民キャンプで、洗濯物を運ぶブルンジ人の女性。2015年4月29日水曜日。
2015年、クロアチア
Barcroft Media/Getty Images
クロアチア北部ベリ・マナスティルに向かう列車に乗り込もうと殺到する、中東からの難民たち。2015年9月18日、クロアチア、トヴァルニクにて。
2014年、ウガンダ
AFP/Getty Images
ウガンダの首都カンパラ北西495キロのアルア県のオチャヤ・リノ難民キャンプで眠る南スーダン人の女性。2014年1月7日。
2014年、トルコ
NurPhoto via Getty Images
シリアからトルコにたどり着き、すべての力を使い果たした老女。2014年9月30日。
2014年、シリア
Rodi Said / Reuters
シンジャール山でISに忠誠を誓う軍の暴力から逃れた、少数派のヤジディ教徒の人々。ハサカ県にあるシリア国境のエリエルベの町付近のシンジャール山のはずれで、シリア国境を目指して歩く様子。2014年8月11日。
2014年、イラク
Gail Orenstein/NurPhoto/Getty Images
イラクのカラコシュから2日間歩き続けた痛みに苦しむ80歳の女性。イルビールで応急処置を受けるのを待っている。2014年、8月10日。
2014年、中央アフリカ共和国
ISSOUF SANOGO/AFP/Getty Images
キリスト教民兵組織「アンチ・バラカ」のイスラム教徒迫害から逃れ、施設で治療を受ける息子の手を握る難民女性。バンギの街から東に約200キロのヤロケにて。2014年5月4日。
2013年、フランス
Eric Gaillard / Reuters
フランス南西部ニースのバール川沿いの違法キャンプからの立ち退きを命じられ、涙を流すロマの女性。2013年11月21日。
2013年、イラク
Getty Images
青い目をした若いシリア人難民のクローズアップ写真。イラク、クルド人自治区のアルビールにて。2013年9月21日。
2012年、タイ
Paula Bronstein via Getty Images
タイとミャンマーの国境施設内にあるメラ難民キャンプの外で、食料の配給を待つビルマ族の女性。2012年6月7日、タイのターク県にて。
2011年、ケニア
TONY KARUMBA/AFP/Getty Images
ケニア東部のダダーブ国内避難民(IDP)キャンプの登録、医療施設の外で、鎖でつながれた防御フェンスを掴んで体を支える、新たに難民登録を行ったソマリア難民の女性。壊滅的な飢饉の影響によるソマリアからの難民の流入は依然として減っていない。2011年7月23日。
2010年、ダルフール
Zohra Bensemra / Reuters
レンガを造るためにつるはしで粘土を掘る、国内避難民の女性。北ダルフールのエル・ファシールにて。2010年4月14日。
2009年、ボスニア
Damir Sagolj / Reuters
ボスニアのセルビア人難民ミレーナ・ガヴリッチさん(当時90)。顔に手を当て、スレブレニツァの共同センターで国連の代表団を待っている。2009年8月26日。
2009年、ケニア
Spencer Platt via Getty Images
2008年、ソマリアのモガディシュの戦闘で片脚を失ったマコ・バカル・バカロさん。ケニアのダダーブにある難民施設で壁にもたれて立っている。2009年8月21日。
2008年、アルジェリア
Dani Cardona / Reuters
アルジェリア南西部、ティンドゥフ付近のダクラの難民キャンプで、杖をつきながら歩く、西サハラのサハラウィ人の女性。2008年4月16日。
2008年、アフガニスタン
ASIF HASSAN/AFP/Getty Images
パキスタン・カラチのアフガン難民キャンプで、軍のローラー作戦中に親族が逮捕され泣いているアフガン難民の女性。2008年12月2日。
2006年、レバノン
Spencer Platt via Getty Images
避難民を運ぶワゴン車から、手振りで何かを訴える女性。イスラエル軍の爆撃の48時間の中断を受け、南部の村から数千人が避難した。2006年7月31日、レバノン、ティルスにて。
2005年、アフガニスタン
FARZANA WAHIDY/AFP/Getty Images
太陽の光が差し込むカブールの自宅で、子供を抱きかかえるアフガン難民の女性。2005年10月2日。
2005年、スリランカ
Kieran Doherty / Reuters
津波で家を失った家族のための難民シェルターとして使われているマフムード女学校で、子供の体を洗う母親。スリランカ東海岸のカルムナイにて。2005年1月10日。2004年12月26日にインドネシアで起きたマグニチュード9.0のスマトラ沖地震の津波による死者は15万6193人に上ると、政府は発表した。
2005年、スーダン
Reuters Photographer / Reuters
南スーダンで、飲水用と調理用の雨水を汲む国内避難民のスーダン人女性。彼女は南ダルフールのマーリ村出身で、国内避難民の女性。南スーダン、北アウィル郡ジャーチ村付近の仮設難民キャンプで生活している。2005年4月26日。
2004年、ガザ地区
ODD ANDERSEN/AFP/Getty Images
ガザ地区北部ジャバリアの難民キャンプで、破壊された自宅から使用可能な物を回収しようとして泣き崩れるパレスチナ人女性。2004年10月16日。
2004年、ダルフール
Zohra Bensemra / Reuters
スーダンの南ダルフール地方、ニアラ北部のアウタシュキャンプで、建設中のシェルターの前に立つスーダン人の避難民女性。2016年2月に軍事行動を開始したダルフールの反乱軍により100万人以上が自宅を追われており、国連によると世界最悪の人道危機だという。
2003年、ガザ地区
MOHAMMED ABED/AFP/Getty Images
ガザ地区南部のラファフ難民キャンプでイスラエル軍の軍事行動中に銃で武装したパレスチナ人とイスラエル軍が衝突し、子供たちを連れて逃げるパレスチナ人女性。2003年12月23日。
2003年、ガザ地区
Mohammed Salem / Reuters
ガザ地区南部のラファフ難民キャンプで、親類のラミ・ハッサネンさん(当時22)の葬儀を見守るパレスチナ人女性。2003年12月24日。
2003年、パキスタン
JEWEL SAMAD/AFP/Getty Images
イスラマバード郊外の難民キャンプに帰るため子供を連れて道路を渡っている、ブルカを被ったアフガン難民の女性。2003年11月18日。
2002年、ガザ地区
Reuters Photographer / Reuters
ガザ地区南部のラファフ難民キャンプで、EUと国連の援助を受けるため身分証明書を提示するパレスチナ人の女性たち。2002年12月1日。
2000年、ロシア
Reuters Photographer / Reuters
40度の気温の中、つかの間の休息をとるチェチェン人の難民女性たち。イングーシ共和国のカラブラク難民キャンプ近くを流れるスンジャ川にて。2000年7月24日。イスラム教の戒律では女性は衣服を着用したまま泳がなければならない。
1999年、アルバニア
JOEL ROBINE/AFP/Getty Images
幼児を抱えてアルバニアに到着した女性。セルビアに制圧されたコソボからアルバニア難民たちが避難し、クケス州北部、パシュトリクの小さな国境を越えて到着した。1999年4月3日。
1996年、ジョージア(グルジア)
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ジョージアの内戦によってアブハジアの村を追われ、ズグジジへの避難を求める母親と子供たち。
1993年、ジョージア
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ジョージアのスフミ市近くで、子供を抱えて泣いている難民女性。スフミと周辺地域でアブハズ分離主義ゲリラがジョージア軍兵士と戦い、1993年9月の終わり頃に同市から政府軍を追放することに成功した。
1993年、ジョージア
Jon Jones/Sygma/Getty Images
ジョージアで、子供たちを守るために銃を携行している若い女性。
1991年、イラン
Mohsen Shandiz via Getty Images
イラン・イラク戦争時のクルド人難民キャンプ。
1985年、レバノン
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ベイルート近くのシャティーラ難民キャンプを離れるパレスチナ人女性と娘。3週間以上続いた同キャンプでの戦闘の後、自宅跡地の様子を確認しに行こうとしている。1985年6月10日。
1984年、スーダン
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飢饉に見舞われた西スーダンでの食糧支援プログラムにて。1984年12月。
1981年、ホンジュラス
John van Hasselt/Corbis/Getty Images
ホンジュラス、ラ・バーチュードのエルサルバドル人難民キャンプの母子たち。
1968年、ベトナム
nik wheeler/Corbis/Getty Images
1968年5月の南ベトナム解放民族戦線によるテト攻勢によってサイゴン郊外のチョロンで起きた激しい戦闘から逃れるため、竹の棒で子供たちと所持品を運ぶベトナム人女性。
1968年、ベトナム
nik wheeler/COGetty Images
1968年6月、ベトナムで起きたテト攻勢で、サイゴンのチャイナタウンへの南ベトナム解放民族戦線による攻撃の最中、荷物をまとめて叫びながら自宅から逃げ出す難民女性。
1968年、ラオス
Bettmann via Getty Images
ルアンパバーン空港で、新たな住居への移送を待っているラオス難民の女性たちと子供たち。共産主義勢力の侵攻により、難民たちはナムバックから避難した。
1967年、ベトナム
Bettmann via Getty Images
近隣で戦闘が発生し新たな住居への避難を待つ中、寄り添って涙を流す南ベトナムの村民たち。1967年11月17日。
1951年、ベンガル
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娘とともにヒマラヤ山脈を越えてカリンポンへと避難したチベット人の母親。1951年2月24日。
1950年、韓国
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国連軍が朝鮮での攻勢に転じる中、ピクチャーポスト誌はカメラマンのバート・ハーディを派遣し、アメリカ、イギリス、韓国軍の最新の動きを記録させた。イギリス軍の到着、彼は最前線の光景を写真に収めた。アメリカ軍の仁川上陸作戦、負傷者、捕虜、難民、日常の光景など、彼は朝鮮戦争を最前線で写真に収めた。写真は中国人が多くを占める難民たち。アメリカ軍の爆撃と侵攻によって荒廃した重要港の仁川にて。(Photo by © Hulton-Deutsch Collection/CORBIS/Corbis via Getty Images)
1950年、韓国
Hulton Deutsch via Getty Images
北朝鮮による38度線の突破と国連の介入を受け、ピクチャーポスト誌は南側の撤退の様子を記録するため戦闘地域にカメラマンのヘイウッド・マギーを派遣した。1950年頃、難民、救援軍、負傷者らが入り乱れる状況を改善しようという試みが行われていた。彼は国連による大規模な人員と支援物資の到着に先がけ、アメリカ軍と韓国軍が沿岸部まで撤退を余儀なくされている最中に到着した。国内の内戦に苦しむ難民女性たちの中にも、援助に加わった人々がいた。彼女たちは銃撃戦が始まると負傷者を手当し、子供たちを引率した。限界に近い状態まで疲労する中、再び移動命令が下った。
1949年、インドネシア
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インドネシア、ジョグジャカルタのリハビリキャンプで、飢餓に苦しむ2人の女性。オランダ政府機関による食料提供が行われていた。1949年2月28日。
1949年、パレスチナ
STR New / Reuters
第二次世界大戦でのナチスのホロコーストでヨーロッパを離れ、バイト・リドのテント地区に新たにやってきたイスラエル人たち。1949年9月1日。
1941年、ロシア
Max Alpert/Slava Katamidze Collection/Getty Images
1941年、ドイツの侵攻後、ロシア東部に向けて歩く女性たちと子供たち。
1939年、フランス
Hulton Deutsch/Corbis/Getty Images
スペイン内戦により、わずかな荷物を抱えてスペインからフランスへの亡命を求めて移動する中、悲しみに暮れる女性。1939年1月29日。
1939年、キューバ
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セントルイス号でキューバのハバナに到着するも、上陸を拒否されるユダヤ系ドイツ人難民たち。上陸できず、子供たちに囲まれ泣いている女性。キューバ、ハバナにて。1939年6月。
1930年、ドイツ
Library of Congress/Corbis/Getty Images
ドイツのキャンプで食事を用意する女性たち。この難民キャンプはナチス・ドイツの福祉団体であるNSVによって1930年頃に建設された。
1915年、アルメニア
Bettmann via Getty Images
地獄のような状況から逃れたアルメニア人の少女たちと女性たちの集団。キリスト教信仰によって数万人の女性たちの運命がトルコ人の手中にあった。1915年11月26日。
ハフィントンポストUS版より翻訳・加筆しました。
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