1990年代、ニューヨークの日本食レストランと言えば、韓国系が経営するなど「なんちゃって」日本食屋か、日本の職人が出店、日本から食材を空輸して提供する「高級」日本食屋に二分化されていた。
前者では、モノがわかったような顔をし、フォークで食事をするニューヨーカーが、カリフォルニア・ロール(カリフォルニア巻)をつまんでいた。客単価100ドルを下ることはない後者では、日本の駐在員たちが本格的な寿司に舌鼓は打つという光景が見られた。
しかし94年、俳優のロバート・デニーロさんをビジネス・パートナーとして松久信幸さんがトライベッカに開いた「NOBU」が爆発的な人気を博す。松久さんの南米での修行経験を活かした日本食は「ニューウェーブ」とも称され、「ニューヨーク・タイムズ」紙などでも絶賛されると、マンハッタンにクリエイティブな日本食レストランが増えていく。現在、NOBUは世界で35店舗を展開するセレブ御用達ブランドに成長している。
2001年9月11日、米同時多発テロ事件を機に、日本人駐在員ご用達の日本食店はめっきり減った。だが逆に日本からアメリカに出店する企業が増え、ニューヨークでは、ラーメン、日本酒がブームだと耳にしてはいた。日本帰国以来、年に1週間程度しかニューヨークに足を運ばなくなると、さすがにわずかな滞在期間で寿司やラーメンを食べようと考える暇もなかったため、私もそれを実感する機会はなかった。
だが今回、確かにマンハッタンのあちらこちらにラーメン屋が店を構えており、そこには日本人よりもアメリカ人が詰めかけていた。90年代とは異なり、ニューヨークの友人とラーメン屋に足を運び、本当に日本にある日本のグルメがブームになっていることを知る。ダウンタウンの日本酒バーでは、なんとあのホッピーまで楽しめた。
そんな中、ラーメンや牛丼ではなく「日本の魚文化を世界に伝える」をモットーにマンハッタンに出店するWOKUNIとご一緒することになり、話を聞く機会を得た。
日本のB級グルメであるラーメンなどとは異なる、日本の魚の美味さで勝負。しかも客単価を100ドル未満にする方針とか。食材は、ニューヨーク・ブロンクス区に移転したニュー・フルトン市場からも調達するが、中心は日本の養殖場から直送されるマグロやブリになるとか。
現在、ほぼ開店に向けての準備は整っているが、想定外のアクシデントななどに見舞われ、開店予定日が確定しないという。マネジャーの吉澤邦明さんに、その労苦を聞いた。
何よりも面食らっているのは、「予定がまったく守られない」というニューヨーク、いやアメリカならではの洗礼だ。
例えば開店にむけ、ニューヨーク市の保健所の検査を受けなければならないが、このひとつをもっても「いつ検査に来るかを訪ねると、『○○日です』と返事があるが、その日に検査に来ない。その旨を日本の上司に伝えると『そんな馬鹿なことがあるか』とどやされる。
再度保健所に問い合わせるが、明確な回答を得られない。またそれを日本側に報告するのですが、まったく理解されない。一時が万事この調子ですから」と吉澤さんは頭をかく。
実際、私が開店前の店を見せてもらうと、デートにも使えるファンシーな内装はしっかり仕上がっているのだが「実は、いつまで経ってもガスを開栓してもらえず、試食品も作れない状況です」とか。
新築のビルのため、消防局による検査も受けなければならない。またアルコールを出すためには、リカー・ライセンスも必要と...飲食のビジネスにも、いくつものハードルをクリアしなければならない。
ニューヨークに7年住んでいた筆者の経験と照らし合わせても、その心中を察するにあまりある。アパートの契約なども鍵の受渡日が決まらない。入居前に内装をクリーニングしてくれるというので、引っ越し日を決めるも、その日までにクリーニングすら終わっていない...などなど予定通り進むことのほうがむしろ珍しい。ナイーブな日本人は精神的に追い詰められることもある。
吉澤さんはまだ数ヶ月前に奥さんとともにニューヨークに赴任したばかり。おそらく、まだニューヨークの文化に慣れる前の店舗立ち上げだけに、くじけるような出来事も多いに違いない。
日本との時差は13時間。「(現地時間の)夕方になって、やっと日本では朝の営業が始まる時間になる。その調整のため18時以降事務所で連絡を重ねていると、残業をよしとしないアメリカ人は誰もいなくなっている。がらんとしたオフィスで仕事するのは寂しいです」と苦笑する。
現在はお店に勤務するシェフとともにメニュー開発の詰めに入っている。日本からの食材をそのままメニューに載せても十分に美味い。しかしそれだけでは90年代の日本食屋のように、現地の日本人しか訪れない可能性は高い。
「日本の魚文化を世界に伝える」がモットーだけに、アメリカ人に足を運んでもらわなければならない。やはりそのためには「NOBU」のように、日本の食材にちょっとしたエッセンスをプラスした創造が必要なのだ。
現地で1980年代から厨房器具などをおろしている光琳に社長は「出店した際の最初のレビューは非常に重要です。ニューヨーク・タイムズ紙などのグルメ担当が口にし、最初のレビューで客の出足が変わってしまう。スタート・メニューには心骨を注ぐ必要があります」とその重要性を強調する。
ニューヨークでの料理は「驚き」を提供する「プレゼンテーション」がもっとも重要とさえ言われる。生粋の日本のシェフと富澤さんが、どこまでそれに挑戦できるか。個人的に非常に愉しみにしている。次回のニューヨーク滞在では、WOKUNIを予約しておくことにしよう。
せっかくなので、日本から出店し大人気だという一風堂を訊ねてみると、確かにアメリカ人がバーで日本酒をワイングラスで呑みながら、テーブル席を案内されるの待っていた。ラーメンを食す前に日本酒...、うーむ。確かにずいぶんとニューヨーカーも器用に箸を使い、ラーメンを食すようになったものだ。
WOKUNIのシェフが仮住まいとしているクイーンズ区のアパートで食べさせてもらった「ぶり大根」、私がニューヨークに住んでいる間に食べさせられていたら、むせび泣いたであろうほど美味かった。
ニューヨーカーに、そんな純粋な日本食が理解されるなら、いち日本人として心底嬉しいのだが...。