9月8日 金曜日 天気:晴れ 肌:良い状態
金曜の夜、ある勉強会に出席した。
20人くらいが参加したその勉強会は、懐かしい気持ちにさせてくれた。
10年前の高校の授業を思い出したのだ。
日本の財政についての勉強会だったのだが、出席者のうち男性は2人だけだった。
私は中学と高校の途中までを女子校で過ごしたから、その授業風景にとても似ていたのだと思う。
当時と違うところは授業を聞いている人が、みんな大人で多くの人が化粧をしていたことだった。
(子どもを連れてきている人もいた)
ノーメイクで参加していたのは、私と2人の男性と子どもたちだけだったのではないか。
質問タイムになり、一斉に手が上がった。
2時間の講義が終わり、帰り道に懐かしい気持ちを抱えながら、
ふと学校で化粧が禁止されていた理由が気になった。
一つも思いつかない。
学生は学業に集中して欲しいから?
化粧を禁止したら、学生は勉強をしだすだろうか。
化粧を認めたら、学生は怠惰になるのだろうか。
どれも間違っている。
なぜなら、私は化粧が許された学校に通った経験があるからだ。
父の転勤で海外で暮らしていた。高校2年生と3年生の間だ。
インターナショナルスクールに通っていた私は、ルールの少なさに唖然とした。
それまで通っていた女子校が想像を絶するほど厳しかったからだ。
化粧、髪を染めること、スカート丈、ピアス(耳に穴を開けること)、髪の長さ、あらゆることがルールとして決められていた。
その学校から、自由な校風のインターナショナルスクールに移った私は、
管理されない「不自由さ」に最初は戸惑ったものだった。
そのインターナショナルスクールでは、ほとんど生徒の判断に任せた。
授業のレベルも、登校ルートも、学校外の行動も、化粧をすることも。
そして常に生徒が相談できるように一人ひとり必ず頼れるカウンセラーをつけた。
私はそのカウンセラーに、進路から友達関係や部活の方向性まであらゆることを聞いた。
カウンセラーは、答えを示すのではなく、問題へのアプローチの仕方を教えてくれた。
最後に答えを出すのは自分だった。
ルールがあるのは、楽だ。考えなくてもいい。
でも、自分で選択しなければいけないことは、今から思えば大切なことだった。
化粧を許された学校に通ったら、生徒はみんな化粧をするようになるのだろうか。
真逆だった。
化粧をする生徒が少なかった。
それは、いいことでも悪いことでもない。
化粧を選択する生徒が少なかったというだけだ。
化粧一つとっても、私はその学校で「選択する」「物事と向き合う」姿勢を学んだ。
大人になった時、「マナーだから化粧をしなさい」って言われても、
そもそも「マナーってなんだっけ?」「なんで女性だけ化粧しなきゃいけないんだっけ?」
など自問自答ができる。それは、物事を複雑に見せるかもしれない。
答えはすぐに出ないかもしれない。
でも、自分が生きやすい道を選択するいい訓練になる。
そしたら、そもそも問題は「化粧をするべきか」「しないべきか」ではないことに気づく。
問題は、常に自分が「化粧をするかしないか」の選択肢があるかということだ。
学生にもその選択肢があってもいいのではないかと思う。
◇◇◇
ハフポスト日本版でエディターとして働く私(27歳)は、2017年9月いっぱいを「ノーメイク」で過ごしました。仕事も、プライベートも、あえてメイクを塗らないことで見えてきた世界を、1カ月間少しずつ書き留めていきました。これから平日朝7時ごろ、順次公開していきます。
第6話:女が「女装」することの快感。
ハフポストでは、「女性のカラダについてもっとオープンに話せる社会になって欲しい」という思いから、『Ladies Be Open』を立ち上げました。
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