2016年6月23日、改正風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律の一部を改正する法律)が施行された。
日本におけるナイトカルチャーの歴史に残る出来事として、大きな注目を集めた今回の法改正。しかし、なぜ法律の改正が必要だった理由や、改正によって具体的になにが変わったのかについては、あまり報道されていない。ハフポスト日本版は、クラブとクラブカルチャーを守る会(CCCC)の事務局長で顧問弁護士も務める藤森純氏に、一連の風営法改正が果たした意義について聞いた。
■本当は音楽で食べていきたかった
――まずは藤森さんご自身のことについて、簡単にお聞かせください。ナイトカルチャーに関連する法整備に尽力される弁護士というと少し意外な印象があるのですが、この領域に関心を持たれるようになったきっかけは。
もともと音楽がかなり好きで。バンドを今も続けていることもあり、文化に関われたらとは常日頃から思っていて、自然とこの運動にも関わるようになったというのが正直なところです。
――音楽活動はいつからはじめられたのですか。
学生時代からバンドをやっていて、今のバンドに関しては、7、8年前に加入し、細々とではありますがずっと続けています。
――法律の道に進まれるというのは、小さい頃から志しておられたんですか。
いえ、音楽で食べていければいいんでしょうけれど、それはなかなか難しかったというのもあり。ただ、今回の法律のような、問題点があるものについて調整したりとか、バランスをとったりすること自体は好きだったので、今やっている仕事も、自分には合っているのかなという気はしています。
■CCCC参加以前からあった、文化芸術を守る活動への思い
――クラブとクラブカルチャーを守る会(CCCC)以前から、文化芸術の保護について活動されてきたんですよね。
Arts and Lawという、アーティストや文化に関わる人をサポートする団体をやっています。団体の理事、そして団体の基幹事業である無料相談のディレクターを務めています。団体ができてからもう12年ぐらいになります。派手ではないものの、少しは文化芸術に貢献できているのかなという風には思っています。
――CCCCにはどんな経緯で参加されたんですか。
風営法のロビー活動で中心として活躍されてきた、齋藤貴弘弁護士ともともと友人で。彼がロビー活動でなかなか大変そうだったということもあり、私も何らかの形で参加したいなと思っていたところで、ちょうどCCCCが立ち上がった時期に関わりだすようになりました。
――CCCCには最初から参加されたんですか。
CCCCについてはほぼそうですね。風営法の改正運動自体は、CCCCが立ち上がる前から色々あったので、その流れを追ってはいつつも私個人としてはコミットしていなかったんです。CCCCが立ち上がり、いままでの運動とは違う形の役割を果たす団体ができてきたということで、そこに自分も関わる余地があるんじゃないかなと思って、参加しだしたところがありますね。
――CCCCはどんなところがいままでの運動と違ったのですか。
基本的にCCCCというのは、事業者ではなくてあくまでDJ・アーティストの人たちの団体なんですね。
もともと今回のロビー活動でも、事業者団体がいるべきところ、事業者の人たちは自分たちがある意味グレーな中で営業しているから「表に出てロビー活動をやることによって警察に睨まれて摘発されちゃったら困るよ」ということで、当初、事業者団体がなかなか立ち上がらないということがあったんですけれど。
そんな中で、クラブカルチャーを担うものとしてDJ・アーティストが何をできるかというときに、CCCCが、事業者ではないんだけれども、国会議員や他の価値観を持つ人たちとクラブ業界をつなげるハブみたいな役割を果たせたという風に思っていて。
それは、DJやアーティストという個性があるからこそできていた活動だと思うんですよね。
――CCCC内での藤森さんの役割について教えてください。
CCCC自体に関わっていた弁護士はもともと3名いて、私は基本的に組織内の調整を担っていました。また、CCCCはあくまでDJ・アーティストの集団なんですが、さらにその先の目標として事業者団体をつくるという目的があったので、事業者団体を立ち上げるお手伝いもしています。それにもちろん、議連などとのロビー活動もやっています。
現在はロビー活動という役割は少なくなってきて、CCCCが取り組みだしている新たな動きに関しての、全面的な雑用というか、お手伝いをしています。
CCCCメンバー。撮影:日浦一郎
■「ロビー活動」とは何をすることなのか
――ロビー活動とは具体的に何をするのですか。
私が特にやっているのは、「法律や営業形態は、こう変えていくのがいいのではないか」という素案を出して、業界、クラブ業界だけでなくサルサや社交ダンスの方々も含めて調整し、それを議員のところへ持っていってインプットする、というようなことです。
――最終的な目標はどこに定めて活動していたのですか。
私感ですが、目標自体も実は関係者それぞれに違っていて、どこに着地点を置くのかが非常に難しいと思っていました。
私はバンドをやっていて、ライブハウスにもよく出ていますので、「ライブハウスを守りたい」という気持ちがあって。
風営法の3号営業にライブハウスも該当する可能性があることが、個人的にずっともどかしく思っていたところでした。それをなんとか解消できないかという思いがあり、ロビー活動に積極的にコミットするようになった経緯があります。ライブハウスなどの営業が風営法の規制を受けずにできるようになればいいな、という思いでした。
■クラブの深夜営業は、すべて違法だった
――風営法に伴う規制の対象に、ライブハウスやナイトクラブが含まれると、どんな危険性が具体的にあったんですか。
旧風営法の、ナイトクラブなどが該当すると言われている3号営業がどういう営業だったかというと、
・お客さんに設備を設けてダンスをさせ
・かつ飲食をさせる
という営業なんですね。
その「ダンス」の定義が法律上なかったのです。ライブハウスでお酒を飲みながら身体を揺らしているのを「ダンス」と解釈するのであれば、ライブハウスも風営法の3号営業にあたる可能性があるんじゃないか。そういう懸念があったわけです。
まあ、実質的なところを申し上げると、クラブに比べてライブハウスが警察から問題視されることはあまりなく、無許可営業で取り締まられたとはあまり聞かないんですけれども。ただやはり、どうしてもグレーな部分はあったので、そこは解消する必要があると思っていました。
――クラブやライブハウスが特別に問題視されるようになったタイミングがあったのでしょうか。
ライブハウスに関しては、具体的な危険がどこまで発生したかというと、正直発生していないとは思います。でも、いつそうなるかわからないというところがあって。
今後オリンピックがあるわけじゃないですか。ロンドンオリンピックのときに、当地で音楽演奏をやっていたライブハウスやバーが一掃されたんですね。その時の理由が、無許可の営業をしていることだった。同じような規制の対象に、日本のライブハウスもなるんじゃないかとは個人的に思っていました。
ライブハウスに関しても、そういうモヤッとしたグレーの部分が残っていて、それを解消したほうがいいだろうと個人的には思っていました。
クラブに関しては、1990年代から2000年代にかけて、楽しむ人の数が増えることで、騒音問題だとか近隣への迷惑というのもどんどん増えていって。それで苦情が出てきたということと、2000年代後半に、大阪の方とかでも不幸な傷害致死事件が起きたことをきっかけに、クラブへの取り締まりが厳しくなったと聞いています。
――説明いただいた「問題とされる前」には、ナイトクラブやライブハウスがどういう位置づけにあったのでしょうか。
お客さんに設備を設けてダンスをさせ、また飲食をさせること。旧風営法の3号営業にはこの2つの要素がありますが、クラブはこれにあたりますよね。そこに問題点があります。
風営法に基づく風俗営業というのは、深夜0時までしか行ってはいけないことになっているんですね。もし仮に3号営業の許可を取得していたとしても、深夜営業をやっていたら、時間外営業にあたってしまう。
許可をとっていなかったらもちろん無許可営業だし、許可をとっていたとしても、深夜やっていたらそれは時間外営業になってしまう。このことから、日本におけるクラブ営業は、違法になる可能性がかなり高い営業形態であったといえると思います。
――クラブで一般的だったオールナイトイベント、あれは法律的には違法な営業だったという理解でいいのですか。
そうなります。
――警察が黙認してくれていた、と。
という理解になると思います。
CCCCが主催するイベントの様子。撮影:日浦一郎
■そして、ナイトカルチャーの人々が声をあげ始める
――ナイトカルチャーの方々が声を上げ始めたことには、象徴的なきっかけがありましたか。
やはりきっかけは、大阪のクラブNOONの摘発です。
通常、クラブが摘発されると、罪自体は認めて罰金で済ませ、お店の名前を変え店長も変えるなどして新たに営業する、というようなことをされる方たちが多かったんです。けれどもNOONの元経営者の方は、「自分はダンスをさせていない、風営法に違反していない」ということで、刑事裁判で争うことになりました。そこで世間としての注目を集めるようになったのです。
――NOONの事件をきっかけに、CCCCのようなアーティストや、事業者の方々が、どうにかしなければいけないという気運が高まっていったと。
さらにその前には、Let's Dance署名推進委員会の方々が15万筆を超える署名を集められて、国会に提出されたことがかなり大きかったと思いますね。
ダンス営業規制を「ダンスの自由を侵害している」という憲法問題として捉え、「ダンスが日本では許されていない」というアピールの仕方をしたことへの賛否はあるとは思います。ただ、世間に「ダンス営業規制」という、ちょっと考えるとおかしい規制があることを知らしめ、多くの人の共感を得るには非常に意味があったと思いますし、彼らがいなければ今回の風営法改正はなかったと思っています。
その署名活動などを通じて、法改正の気運が高まっていたところに「ダンス文化推進議員連盟」という国会議員の議連が立ち上がります。そこで国会議員の方から「議連は立ち上がったけれども、クラブの業界の業界団体がいないじゃないか」「そうすると、対話ができないじゃないか」という問題点が指摘されることになりました。
「じゃあどうしましょう」「事業者団体つくらなきゃいけないんじゃないか」という話が出てきて、そのきっかけとしてCCCCが立ち上がっていくことになります。