スポーツ界を揺るがした国際サッカー連盟(FIFA)汚職事件。ワールドカップ(W杯)開催決定をめぐる不正追及は、実は米連邦捜査局(FBI)だけでなく、FIFAの倫理委員会の調査担当を務めていたマイケル・ガルシア氏(元ニューヨーク連邦地検検事)、さらに英議会の調査で秘密情報局(MI6)の元工作員が関与するなど、複数の組織が関与していたことが分かった。米国の元FIFA理事チャック・ブレーザー被告(70)はFBIの捜査で、情報提供者として協力し、オトリ捜査で盗聴までしていた。
最大の関心の的は、2018年ロシア、2022年カタールに決まった2010年FIFA理事会に向けたW杯招致疑惑。特に、カタール、ロシア両国の招致活動の実態解明で、両国が相互に協力し合った疑惑が浮上した。
2010年のロシア大会招致活動ではプーチン大統領(当時首相)自らが陣頭指揮に当たり、重要な役割を演じたことも分かり、注目を集めている。両大会決定の秘密が暴かれ、1980年モスクワ五輪ボイコットの再現といった事態が起き得るのだろうか。
スパイ映画さながら
FBIの捜査進展にブレーザー被告が果たした役割は極めて大きい。ニューヨーク州ウェストチェスター郡でユースを指導する「サッカー・ダディ」だったといわれるブレーザー被告。1980年代以降サッカー界で力を付け、全米で最も有力なパワーブローカーに成長、90~2011年にFIFAの地域組織である「北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)」の事務局長、97~13年FIFA理事を務めた。今回起訴されたトリニダード・トバゴの政治家上がりで、同連盟元会長、FIFA元副会長を歴任したジャック・ウォーナー被告とともに、世界のサッカー界で暗躍した。
昨年11月ブレーザー被告のことを初めて暴露したニューヨーク・デーリー・ニューズ紙によると、体重400ポンド(約180キロ)以上といわれる同被告は2011年11月、電動スクーターでマンハッタンを移動中、FBI捜査官と米内国歳入庁(IRS)係官に制止された。「手錠をかけられるか、協力するか」と持ちかけられ、本人は「協力」を選択した。彼は年間数千万ドル単位の収入があったにもかかわらず、10年間以上税金を納付していなかった。
翌2012年7月のロンドン五輪開催中に開かれたFIFA理事会の際、FBIの要請で盗聴器を仕掛けたキーホルダーを携帯し、投宿したメイフェアーホテルなどで、FIFA幹部らとの会話を録音していた。FBIとIRSはこうした工作で、W杯開催立候補国からの賄賂などに関する証拠を集めたという。
しかし、13年にFIFA理事を辞任、ニューヨーク州東部連邦地裁に起訴された。ロレッタ・リンチ現司法長官は当時検事で、事件を手がけた因縁がある。
ブレーザー被告は2018年W杯ロシア大会を決定した2010年理事会の際、イングランドに投票するとみられていたが、プーチン氏と会談した後、ロシア支持に変更した。「君はカール・マルクスに似ている」とプーチン氏に言われて意気投合、プーチン氏の写真を多数贈られて自分のブログにアップしていた。
天然ガス共同開発がカギ
2018年W杯開催国はロシア、スペイン・ポルトガル(共同開催)、オランダ・ベルギー(同)、イングランドの4者の争いとなり、イングランドは1回目の投票でわずか2票の最下位で落選。招致運動で1900万ポンド(当時の為替レートで約25億円)も支出したことが問題となり、英下院文化メディアスポーツ特別委員会が元MI6工作員やサンデー・タイムズ記者らに調査を依頼。ロシアとカタールの招致委やウォーナー、ブレーザー両被告らの動向を調べた。
プーチン氏は元々サッカー好きではなく、当初は招致委に関与しなかった。しかし、18年と22年の開催国を決定する10年12月のFIFA理事会開催が迫り、ロシアの不利な情勢が伝えられると、プーチン氏が始動。国営石油会社ロスネフチのイーゴリ・セチン社長とFIFA理事でもあるビタリー・ムトコ・スポーツ相、と側近中の側近2人を集め、招致活動に馬力をかけた。
調査に当たった元MI6工作員が注目するのは、ロシアとカタールの主要産品である天然ガスの共同開発プロジェクトをお互いのW杯開催協力の媒介に使った疑惑だ。
セチン社長は2010年4月、カタールを訪問、ロシア北極海沿岸ヤマル半島の天然ガス資源共同開発計画で合意した。同月には、ロシアW杯招致委のメンバーもカタールを訪問、同国のビン・ハマムFIFA理事と会談した。ハマム氏はカタールの招致活動では、アフリカ各国のサッカー協会幹部らに総額500万ドル(約6億円)以上を支払っていた疑いがある。また、11年の理事会会長選で買収行為をしたとして永久活動停止処分を科された。
両国ともに支持拡大
カタールは当初、2018年大会開催国はスペイン・ポルトガル共同開催支持を決めていたが、第2回投票でロシア支持に変更したという。ハマム氏は10年10月末、ムトコ氏の招きでロシアを訪問、プーチン氏とも会い、最終的な合意に達したとみられる。
このように、ロシアとカタールの取引によって、両国はともに支持拡大に成功したようだ。18年W杯開催はロシアが第1回投票で9票だったが、第2回投票で13票の過半数を得て勝利。22年W杯では、カタールは第1回11票で、なかなか支持を増やせず4回目の投票でようやく14票の過半数を得て勝った。次点は米国の8票だった。
このほか、ロシアはエルミタージュ美術館所蔵のピカソの絵をフランス代表の名選手だったミシェル・プラティニ欧州サッカー連盟(UEFA)会長・FIFA理事に、他の名画をベルギーのFIFA理事に贈ったともいわれる。
また、英名門サッカークラブ、チェルシーのオーナーであるロシアの大富豪ロマン・アブラモビッチ氏も自分の資産を使って、ロシア招致に協力したという情報もある。
未公表の20万ページの証拠
2018年W杯の予選は始まったばかりだが、ロシアでは、大型スタジアムの建設が進められ、プーチン大統領の取り巻き財閥らが、巨額の利益を得るシステムになっている。
ロシアの招致活動に違法性があったかどうか、未解明だが、米議会上院では早くも、マケイン軍事委員長(共和党)、メネンデス前外交委員長(民主党)ら13人の上院議員がロシアでの開催変更を求める動きを開始した。ただ、カタールには米イラク戦略の拠点である米空軍基地が置かれており、オバマ政権としては動きにくい問題もある。
その前に、ガルシア元検事が集めたといわれる20万ページの証拠書類(報告書は430ページ)にはどのような証拠が明記されているだろうか。1980年モスクワ五輪は、人気が落ちて再選の年を迎えた当時のカーター大統領がソ連のアフガニスタン侵攻に対抗してボイコットした。来年は、ウクライナ問題などを抱えて人気のないオバマ大統領の政権末期で米大統領選の年。ポピュリズムの年になる、という点では似ている。
春名幹男
1946年京都市生れ。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒業。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授を経て、現在、早稲田大学客員教授。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『スパイはなんでも知っている』(新潮社)などがある。
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(2015年6月24日フォーサイトより転載)