ホンダのベストセラー商品からみえてくる、限界を突破する思考法

「もっといい会社にしよう」とか、「もっといいモノ、いいサービスをつくろう」、と思ったとき。それをリアルに考えると、さまざまな限界がみえてくる。多くの人が経験する、「ほんとうにやりたいこと」ができない限界。それを乗り越える思考を教えてくれる、ホンダの2つのベストセラー商品がある。
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■「できないこと」から、「できる!」が生まれる

 「もっといい会社にしよう」とか、「もっといいモノ、いいサービスをつくろう」、と思ったとき。それをリアルに考えると、さまざまな限界がみえてくる。多くの人が経験する、「ほんとうにやりたいこと」ができない限界。

 それを乗り越える思考を教えてくれる、ホンダの2つのベストセラー商品がある。

 昔『カーグラフィック』や『NAVI』を購読していた私は、初代ホンダ・オデッセイが発表された頃、故障も自慢のうちのフランス車に乗っていた。

 東関道で私のプジョーの横を走るそのクルマを初めて見たとき、国産車をカッコいいと言いたくない嫌~なヤツの心は、「おっ、いいじゃん」と呟いていた。

 ふつうの乗用車でもワンボックスでもない、日本車にしては幅広でどっしり感のあるボディ。それまでの日本で大人数が乗れる乗用車といえば、商用のワンボックスを無理やりファミリー仕様に仕立てたものが大半。そんな90年代半ばの日本で、オデッセイはまったく新しい家族のクルマを提案した。

 いま巷にあふれるミニバンの市場は、この初代オデッセイによって切り拓かれた。

 ところで、オデッセイがカッコいいミニバンになった背景に、生産ラインの限界があったことをご存知だろうか。

 当時、まったく新しいジャンルの新型車に、莫大な投資を必要とする専用ラインを新設することはできなかった。そこでオデッセイは、ふつうのセダンであるアコードのラインを共用せざるを得なかった。

 ところが、当初考えられていた大人数が乗るミニバンを組み立てるには、アコードのラインでは高さが足りなかったのだ。そこで"致し方なく"上を切り取るような発想で、オデッセイのサイズは決まった。最初から狙っていたわけではなく、そうするしか新型車を造る術はなかったのだ。 

 ところが皮肉なもので、これが当たった。ちょっと屋根が低いことが、当時の日本人がイメージする「大人数が乗るワゴン」とは、まったく違うイメージをもたらした。

■客観的な「事実」と、置き換え可能な「前提」

 生産ラインのスペック。これは数値で示される事実だ。「これじゃあミニバンは造れない」と考えても不思議ではなかっただろう。しかし、このときホンダの開発陣は、「このラインでは無理」という前提には立たなかった。

 事実を単なる事実として受け止めて、ただ先へ進んだ。それが、おそらくは想定を超えた共感なり、好意を集めることになり、オデッセイは日本の自動車市場を変えていく。

 どこにも疑いようのない事実がある。私たちは、その事実から評価や判断を下し、さまざまな前提を蓄積していく。今、あなたにとって大事なテーマのなかで、疑いようのない事実とは何だろう。他方、あなたはどんな前提を持っている可能性があるだろう。

■前提の連鎖を断ち切る

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 我が家の子どもたちが小さかった頃、主に妻の足として大活躍してくれたのが、初代フィットだった。ほんとうは発売されたばかりのフィットではなく、「フィットが出たから値引きが大きいだろう」と目論み、妻とトヨタ・ヴィッツの試乗に行った。

 内心これにしようと思いつつ、すぐ近くのホンダディーラーで発表展示会をしていたフィットを、興味本位で見に行った。

 室内、トランク、その圧倒的な広さに、妻の目が輝いた。どこに行くにも子どもふたりとその荷物、幼児用バギーがついてまわる彼女にとって、私の懐具合よりも重要なのは使い勝手だった。私は、値引き分の歳出削減を諦めた。

 フィットがホンダを支えるベストセラーになったのは、「小さいクルマは狭くても仕方がない」、という概念を破ったことだった。その広さは、前代未聞の"センタータンク・レイアウト"という発想から生まれた。

 クルマのガソリンタンクは後部についているのが当たり前。ところがフィットのタンクは代々、運転席と助手席の真下あたりにある。うちの初代フィットは、夜の静かな場所で徐行しているときなど、下のほうから"ポコンポコン"とガソリンが揺れる音が聞こえたものだ。

 安全上の理由から、ガソリンタンクを乗員と離れた後ろに置くことを、それまで疑うメーカーはなかった。自動車の衝突安全が年を追って進化しても、ガソリンタンクは後ろに置くもの・・・という前提ができていた。

 この前提があるかぎり、コンパクトカーの広さはこのくらい・・・という前提は覆らない。しかし最初の前提を取り払えば発想が広がる。ボディ寸法を変えなくても、広いキャビンスペースが実現できた。

 いっけん物理的な制約に基づく事実に見えたコンパクトカーのキャビンスペースも、前提に覆われた制限的な思考の産物にすぎなかったのだ。

■上質な内省の時間があれば

 いったい何が前提で、何が疑いようのない事実なのか。ビジネスタイムの多忙な環境で、そんなことを内省し、誰かと対話する時間がどのくらいあるだろう。数値に追われる会議、集中を阻むメール、顧客からの急な変更依頼。

 心を静かに波打たない状態にすることが、とても難しい時代。しかし1時間、それが無理なら30分、否、10分でもいい。ほんとうに質の高い内省ができれば、事実と前提の仕分けは進む。

 ホンダは現在の伊東社長の体制になって、過去になかった「年産600万台」という数値目標を掲げた。

 それがグローバルな競争力を維持するために不可避だとするのは、はたして事実なのか、それとも一つの価値観にもとづく前提なのか。

 ここで答えは出せないが、ハイブリッドになった我が家の3代目フィットは、買って1年で4回のリコール葉書を受け取っている。これは数え間違いのない事実である。

(一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート理事 吉田 典生)