例えば「○○が手に入ったら、もうあとは何も要らない!○○が欲しい!」と強く欲します。
子供の頃に、お小遣いやお年玉を遊びに使うのを我慢して、待望の○○を手に入れた!
「やっと○○が手に入ったー!!」と大喜びします。
しばらくは夢中になって、手に入れた○○を大事にするでしょう。
なのに、いつの間にか○○への魅力が無くなってきてしまう。
正に夢から覚めるように夢中になっていた○○に対する気持ちが薄れて行ってしまう。
そこにあるのが当たり前になってしまい、ひどいと、そのうち相手にしなくなってしまう。
飽きてしまったということですね。
この○○が物であれば、まだいいかもしれませんが、動物や人だとしたら、
相手の心に大きな傷を作ることになってしまいますよね。
「○○が手に入ったら、もうあとは何も要らない!」なんて発想が、
そもそも極端と思われるかもしれませんが、
人間の欲というのは、それくらい偏りがあるものなのです。
思春期になり、本音を打ち明けられる親友が欲しいと思った。
仲良しグループで楽しそうにしているのを見れば、仲間に入りたいと思う。
自分の話しを親身に聞いてくれる親友が出来た。
でも、その人はクラスの中では目立たない存在。
あるとき、クラスの中の楽しそうな仲良しグループと一緒に遊ぶことが出来た。
そのグループから、親友のことを「あんな暗い子と付き合うの辞めなよ」と言われる。
楽しそうな仲良しグループに入れることを選んでしまい、親友を傷つけてしまった。
恋人が欲しいと思った。
告白してくれた人が現れた。
タイプではないけど、恋人が欲しいからお付き合いすることにした。
あるとき、自分が気になっていた人から告白をされた。
お付き合いしている人は悪くないのに、別れを告げて、自分が気になる人を選んでしまった。
どちらも、自分が選んだ相手に対して、ひどく失礼なことをしていますよね。
でも、やはり、ありがちな話しではないでしょうか?
焦って欲しいと思う気持ちが、強い欲になる
本当は楽しそうなグループに入りたかったけど言い出せなくて、
親友が欲しいから、なんとなく近くに居た話しやすそうな人に話してみた。
タイプではないけど、恋人が欲しいし、付き合ってみた。
焦って欲しいと思って手短な人に甘えてみた結果、
いつしか物足りないと感じるようになり、飽きてしまった。
気の合う者同士は、焦らなくても自然に一緒に居られるようになるものです。
好きと思う気持ちは伝わっているもので、気持ちが通じれば、お付き合いもできるでしょう。
縁があって、我が家に来てくれた動物がいるなら、思いやりを持っていれば
自然と愛情を持って面倒を見ることが苦になることはありません。
小さころ夢中で遊んだ、おもちゃが手元にあるなら、ときどきは磨いてあげて、
「いっぱい遊んでくれて、ありがとう」と感謝の気持ちを伝えましょう。
欲と飽きという厄介な心理は、相手を思いやる気持ちが成長すれば、
焦って欲しい!と思ってしまう欲も無くなり、
流行りに流されて飽きることも無くなります。
大事なものは自分の側にあることに気付けて、安心していられるようになります。
あなたには、まだ欲と飽きの心理がありますか?
(2016年07月20日「ボトルボイス」より転載)