Oculus Goの空間共有アプリRoomsでは生の会議よりもコミュニケーションできる?

ヒトはそもそもVR的に世界をとらえている
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Oculus Goと私のヘルムホルツ共鳴器たち(日本スリービー・サイエンティフィック株式会社の製品)
Satoshi Endo

ヒトはそもそもVR的に世界をとらえている

 19世紀ドイツの物理学・生理学者ヘルムホルツが、とてもVR(バーチャルリアリティ)的な、コンピューターサイエンス的なことを言っている。

 ふだん人間の視線はとても忙しく動いている。網膜から入ってくる視覚情報を映像としてとらえるとビデオカメラを無造作に動かしたようなめまぐるしくて見るに堪えない絵になるはずだ。ところが、見ている本人には世の中がシッカリと地面に結びつけられているように安定して感じられるのはなぜか? よく考えると、これはとても不思議なことである。

 ヘルムホルツは、これについて眼球の筋肉に出される指令のコピーが、視覚中枢にも送られるのだとしたそうだ。ヒトの脳みその中で、視覚情報に対して視線の動いた分を逆算して座標変換を行われている感じである。VRの場合は、これを裏返したような感じで頭の動きから座標変換して世界を安定してみせている。

 ヒトの脳と視覚は、よくできたVRシステムようなものなのだ(だからVRは人を引き付けるのだとも思う)。

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Satoshi Endo

Roomsでママと赤ちゃんの関係を体験せよ

 前回に続いて、Oculus Goの話である。価格が2万3800円とリーズナブル、PCとの接続が不要、おまけに解像度は現行ハイエンド機種以上(リフレッシュレートは劣り位置トラッキングがないなど得意不得意はあるが)という画期的なVRヘッドセットである。まわりに取材してみるとVRを使ってきた人ほど熱く語っている。

 「NETFLIXを見るのがなかなか具合がよい」と前回書いたが、とてもVR的な部分でもOculus Goには発見がある。多くの人たちが指摘しているのが「Rooms」というアプリが凄いという話だ。

 Roomsは、仮想空間にある部屋に友だちなどを招いて、一緒に喋ったり、映像や写真を見たり、テーブルでゲームを楽しんだりするというものだ。最初、私はほんのちょっとだけ触ってみて「なんだつまらないなぁ」と思った。ところが、海外出張中の人から「打ち合わせをするならSkypeじゃなくてRoomsでやりましょう」と言われてやってみて驚いた。Oculus Goのセミナーのための打ち合わせとはいえ、これがすごい説得力がある。

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Satoshi Endo

Oculus Goのホーム画面(左上)、Oculus Roomsの部屋の中の設定(右上)、熱海の旅館にいるような感じのゲームテーブル(左下)、メディアアリア(右下)

 それがどんなものかは、清水亮氏の「Oculus Goのことを人類はもっと真剣に考えるべきかもしれない :情熱のミーム」がよく伝えていると思う。つまり、ソフトがやり過ぎていない。それが、Oculus Goという「VRの受話器」とでも言いたくなるような超お気軽に使えるVRヘッドセットでやるときに、とてもいい感じで馴染む。

 4人までの参加者はサングラスをかけたアバターで、上半身とコントローラを持った手でしか表現されていない。仮想空間のお部屋で座れる場所も固定されている。ただし、頭の動きや顔の向きや、ちょっとした手の動きは正確に反映されているのだろう(声も距離感を反映した形で聴こえる)。この記号化された環境で"何か"が起きている。

 これ、人と人が会話したり見つめあったりしていると無意識のうちに動きが同期する「エントレインメント」(体動同期現象)と関係しているのだと思う。この言葉、ママと赤ちゃんが見つめあうことで生ずる現象としても説明される。そういうときに、脳は空間を越えた見えないネットワークで繋がって、"ヒト"が一人でいるよりもクリエイティブな状態になる。

 こういう話、私はとても好きなのだ。そして、誰もが理屈では「?」だとしても実感していることだと思う。Oculus Goは、ベーシックなVRヘッドセットであるからこそ、VRと人間の生理的な部分の関係を感じることができる。

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Satoshi Endo

 このように書いて本当にそうなのかといぶかる人もいるかもしれない。ところが、「実際に集ってやる会議よりも伝わる」と言う人もいるのだ。Skypeなどのテレビ会議と比べると"空間を共有している"という感覚があるのは確かである。しかし、生の会議と比べるとどうなのだろう?

 実際に集まってやる会議ではたくさんの参加者がいたり、会議室の空間もRoomsほどの密閉感はないことが多い。その場合、たしかにRoomsのほうが中身のあるコミュニケーションができてもおかしくない。理由は、単純に4人までしか部屋に入れないことが大きな理由かもしれないのだが。実は、この言われてみればなんでもないルールにRoomsの秘密があるという意見もある。

 さらにいえば、参加者が自在に自分の資料をスクリーンに出し合う便利さは実空間のプロジェクター操作とは比べようもなく便利だ(いまのところ表示できるコンテンツに制限は多いが)。リコーTHETAなどで撮影した360度全天球画像を再生した場合には、ソファの前のスクリーンではなく全員が同じ360度空間の中に置かれることになる。渋谷駅前の交差点の360度画像なら、それを撮影した人の立ち位置を全員が追体験することになる。首は自由に見回せるからお仕着せの映像ではなく自分でそこにいる感覚になるのだ。

 Roomsは、友だちに部屋に来てもらってゲームをしたり、コンテンツを一緒に楽しむアプリだが、明らかに「仕事」に使える。360度映像の例はいちばん端的だが相手に説明する説得力もきわめて高い。なお、Roomsでは、現状ではビデオ再生などに制限が少しあるが、Oculus Go自体はもちろんビデオはもちろん360度全天周映像の再生ができる。

 何人かで空間を共有するサービスは、Rooms以外にもある。マイクロソフトのVRシステムである「Windows Mixed Reality」は、「コラボティブ・コンピューティング」と称して、こうしたVR空間での共同作業を目玉にしていくことをうたっている。よりクリエイティブな共同作業をできるシステムもあるし、フェイスブックのライブやスポーツ向けのサービスであるVenuesもある。

 しかし、どうもそしたいままでVRの世界が当然のことのように目指してきた「よりリアルであろうとする努力」の方向とは別のベクトル上に、VRが具体的に使えるものにするヒントが隠されているのだとRoomsは教えてくれている。Roomsでは、お互いアバタであるばかりかサングラスで目の動きも見えないほど記号化されている。冷静になって考えれば当然のことなのだが、実在感だけが、コミュニケーションや共感のための方法ではないということだ。

(2018年5月26日「遠藤諭のプログラミング+日記」を一部修正して転載)