日本・ポーランド戦の地、ボルゴグラード。それは歴史に翻弄された悲劇の都市だった(ワールドカップ)

約60万人の人口が9800人まで激減。いったい何が...
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ポーランド戦に向けて調整する日本の選手ら=ボルゴグラード
AFP=時事

サッカー・ワールドカップ(W杯)で、日本は6月28日(日本時間)、強豪ポーランドと対戦する。決勝トーナメント進出がかかった大一番の舞台となるのは、ロシア南部の都市ボルゴグラードだ。いったいどんなまちなのか。

ボルゴグラードは首都モスクワの南東約1200キロメートルにある。人口約100万人で、ボルゴグラード州の中心都市だ。このまちはかつて、スターリングラードと呼ばれていた。ソ連の独裁者スターリンの名前に由来があり、1925年、反革命勢力に勝利した記念に命名された。

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スターリン
Bettmann via Getty Images
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ベルリン郊外のポツダムで第二次大戦後の処理について話し合うソ連指導者のスターリン(左)とアメリカのトルーマン大統領(中央)、イギリスのチャーチル首相=1945年
Bettmann via Getty Images

第二次世界大戦の激戦地としても知られる。ナチス・ドイツ軍に半年以上包囲され、おびただしい犠牲を払いながらもソ連軍が死守した「スターリングラードの攻防戦」(1942年6月〜1943年2月)が繰り広げられた。

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ナチス・ドイツ軍の降伏でスターリングラード攻防戦が終わり、赤旗を掲げるソ連軍兵士=1943年
TASS via Getty Images

史上最悪の市街戦とも言われ、両軍合わせて約200万人が戦死し、当時、約60万人いた人口は、戦闘に巻き込まれて亡くなったり、疎開でまちを脱出したりして、約9800人にまで激減したとされる。

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スターリングラード攻防戦で廃墟になった建物跡=ボルゴグラード
Kazuhiro Sekine

国は戦後、「英雄都市」の称号を与え、まちの中心部に戦争犠牲者らを追悼する施設「ママエフの丘」を建設した。

ここには、高さ80メートルを超える「母なる祖国像」がそびえ、まちのシンボルになっている。像の地下部分には、戦士兵らを追悼する施設がある。

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母なる祖国像
Kazuhiro Sekine
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母なる祖国像と自由の女神(ニューヨーク)やコルコバードのキリスト像(リオデジャネイロ)を比較する図
Kazuhiro Sekine
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「母なる祖国像」の地下にある、スターリングラード攻防戦で亡くなった兵士らの追悼施設
Kazuhiro Sekine

また、この地には、ハリウッド映画「スターリングラード」(2001年)の主人公のモデルになった、ソ連軍の狙撃兵、ワシリー・ザイツェフの墓もある。ザイツェフはスターリングラードの攻防戦で、257人のドイツ軍兵を殺害したことで知られる。

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スターリングラード攻防戦の英雄たち。真ん中がザイツェフ=1983年1月
Sovfoto via Getty Images

英雄都市は突然、改名を迫られることになる。1961年、当時のソ連最高指導者、フルシチョフがスターリン批判の流れの中でスターリンに由来する名前から「ボルガの町」を意味するボルゴグラードに変えることを決定した。

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フルシチョフ
Sovfoto via Getty Images

現在もこの名前になっているが、攻防戦が終わった日(2月2日)やナチス・ドイツに勝利したことを祝う戦勝記念日(5月9日)など、限定で都市名をスターリングラードとしている。

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ボルガ川
Kazuhiro Sekine