「取調べ可視化」へ向けた国会の動きを見逃すな

安保法制ばかりが注目を集めがちな今国会だが、ほかにも重要法案の審議が動いている。そのひとつが、取調べ可視化などを内容とする刑事訴訟法等改正案だ。
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安保法制ばかりが注目を集めがちな今国会だが、ほかにも重要法案の審議が動いている。

そのひとつが、取調べ可視化などを内容とする刑事訴訟法等改正案だ。同法案は、8月7日に衆議院を通過した(注:その後、参議院での実質審議入りを巡って協議がなされていたが、「ヘイトスピーチ法案」の審議を先に扱うよう求める民主党などの主張と折り合わす、4日の時点で今国会での成立は見送りの方向と報じられている)。

今回の法改正の背景は、2010年前後に厚生労働省元局長事件(2010年無罪判決)、足利事件(同年再審無罪判決)などの冤罪問題が相次いで注目されたことだ。同年、法務省に設けられた「検察の在り方検討会議」【リンク】では密室での取調べが冤罪の温床と指摘され、提言「検察の再生に向けて」(2011年3月)で「取調べ可視化(録音・録画)の拡大」という方向が示された。

取調べ可視化は、裁判員制度導入を契機に、検察・警察それぞれで(2006年・2008年から)部分的な試行が始まっていたが、こうした動きに合わせて、可視化の範囲を拡大。さらに、制度的な可視化義務付けについて、法制審議会で「新時代の刑事司法制度特別部会」を設けて検討が続けられた【リンク】(2011年6月に検討スタートし2014年9月答申に至る)。ここでの検討結果に基づいて提出されたのが、今回の刑事訴訟法等改正案(2015年3月閣議決定・提出)だった。

日本の刑事司法は「中世並み」

日本の刑事司法の「密室性」の問題は、かねてから、世界でも後進的との指摘があった。

取調べ可視化は、法務省自身も公表資料で認めているとおり【リンク】、欧米諸国の多く(アメリカでは州ごと)のみならず、韓国、台湾、香港などでもとっくに制度化済みだ。

また、国連の拷問禁止委員会における2013年の対日審査報告では【リンク】、特に、警察の施設内(いわゆる「代用監獄」)で、最長23日間にわたり、弁護士との面会なども制約された状態で取調べを受けるシステムが深刻な問題として指摘され("deeply regrets")、取調べ可視化をはじめ、種々の勧告がなされた。

委員会の場では、モーリシャス出身の委員が「日本の刑事司法は、自白偏重で中世並み」と指摘。日本の人権人道担当大使が「日本は中世でなく、この分野で最も進んだ国」とむきになって反論し、そこで起こった議場内の失笑に対して「シャラップ(黙れ)」と発言したことは、国内外で話題になった。

こうした中、法制審議会などの検討過程では、全面的な可視化義務付けを求める声があがった。一方で、可視化に慎重な意見もあった。慎重論の理由は、「被疑者と信頼関係を構築して供述を得ることが難しくなる」「特に共犯事件で、仲間からの報復などをおそれて供述を得づらくなる」などだが、これには「多くの国ですでに可視化を実施しており、対処可能なはず」との反論もなされた。

こうした議論を経て、今年3月に提出された法案では、結局、

・裁判員制度対象事件と検察官独自捜査事件について、全過程の録音・録画を義務付け

・ただし、例外として「被疑者の言動により、記録したら十分な供述ができなくなると判断した場合」「暴力団関連事案」などは対象外

という内容になった【リンク】

「取調べ可視化」積極論の立場からみれば決して十分な内容ではなく、「対象事件が全体の3%程度に過ぎない」「例外事由が広く、捜査官の判断次第で記録しないことができてしまう」といった批判がなされることになった。

政府法案に対するもう1つの批判は、「焼け太り批判」だ。

今回の法案では、「取調べ可視化」とあわせて、「司法取引の導入」と「通信傍受の拡大」が盛り込まれた。

・前者は、汚職・談合などの経済事件や薬物銃器事件で、他人の犯罪事実を明らかにする代わりに、不起訴や求刑を軽くするなどの取引をする制度(「合意制度」)の導入

・後者は、犯罪捜査における通信傍受は、従来4つの犯罪類型(薬物、銃器、組織殺人、集団密航)に限って認められていたが、これを振り込め詐欺などの組織的犯罪にも拡大

 というものだ。

政府の立場では、これらは、取調べと自供への過度な依存が冤罪の温床となってきた状態を解消するため、

・「取調べ可視化」によって過ちを防止する

・あわせて、取調べだけに依存しなくてもよいよう、それ以外の捜査手法の余地も広げる

という、一貫した政策パッケージだ。

筆者も、取調べへの過度な依存の解消という方向は基本的に正しく、決して"焼け太り"ということではないと考えるが、批判する側からは、「もともと冤罪防止が目的だったはずなのに、捜査手法強化にすり替わった」「捜査当局の嫌がる可視化の代償として、捜査手法の強化という"アメ"を与えたのでは」などの指摘がなされることになった。

法案審議のお手本

こうして、冤罪防止という異論の余地ない目的を出発点としつつ、内容面では突っ込みどころを抱えた状態で、法案は閣議決定・提出された。

衆議院では、法務委員会で5月26日から8月7日までの間、約70時間に及ぶ審議がなされた。安保法制のかげにかくれて、これだけ長時間の審議がなされていたこともほとんど知られていないが、実は、時間以上に特筆すべきは、ここでの審議の質の高さだ。

国会での法案審議というと兎角、政策論争よりも政局やマスコミ受け優先、スキャンダルや不祥事などばかり熱心に取り上げ、法案内容そのものの議論は薄っぺら、果てにはプラカードと乱闘騒ぎの中で強行採決......といったイメージがつきまとうが、この法案審議に限っては全く異なる。

法案の論点(取調べ可視化、司法取引など)ごとに、参考人を招いて意見を聴き、それに基づいてさらに審議という形で、緻密に内容の濃い議論が重ねられた。

さらに、こうした議論の延長上で、与党と民主党・維新の党との修正協議がなされ、以下の内容で合意に至った。

・取調べ可視化の範囲について、当面は政府案どおり限定するが、3年後に可視化を拡大する方向で見直しを行うことを規定(法文上はごく微妙な文言の修正だが、拡大方向に修正したと解釈できる内容になっている)

・また、司法取引には弁護人が常時関与、通信傍受には不服申立て制度など、捜査の行き過ぎへの歯止めとなる規定を追加

いずれも、当初批判されていた点を一定程度改善した内容だ。もちろん、「取調べ可視化はこれでは不十分で、もっと踏み込むべきだった」といった意見はあろうが、少なくとも、政府案を若干なりとも改善する方向で国会が機能したことは、評価してよいだろう。

こうした良質な法案審議の存在は、世間でほとんど知られていないが、これを実現した法務委員長や与野党理事たちはもっと賞賛されてよい。また、安保法制はじめほかの法案審議でも、プラカードばかり掲げていないで、こうした審議をぜひお手本にしてもらいたいものだ。

本当の問題は裁判所

以上のように、数年間にわたる検討を経て、また衆議院法務委員会での良質な審議・修正を経て、成立に向かいつつある法案だが、果たして、我が国の刑事司法を「近代化」できるのだろうか?

結論からいえば、正しい方向での第一歩ではあると思う。ただ、まだまだ足りない点は多い。

第1に、取調べ可視化は、今回の改正法ではあまりに限定的であり、全面可視化に拡大していくべきだ。

前述のとおり、可視化は捜査の妨げになるとの異論は根強い。捜査に支障をきたし、犯罪者が野放しになるような事態になるとすれば、たしかに問題が大きい。

しかし、可視化と治安維持は、決してトレードオフの関係ではない。世界で最も安全な国であり続けるべく犯罪捜査を強力に行うことと、記録を残しておくことは、両立可能なはずだ。可視化で過ちが減るならば、むしろ治安向上にもつながる(従来の多くの冤罪事件で、結果的に真犯人が野放しになっていたことを考えても)。「共犯者に供述内容が漏れる」といった問題も、日本に固有の問題ではなく、録音・録画再生時の処理などで対応できるはずだ。

第2に、今回の改正法では取調べ可視化に焦点が当てられたが、取調べに関する課題はそれだけではない。前述した国連拷問禁止委員会で指摘される、「代用監獄」(英文でも"Daiyo Kangoku" と表記される)の廃止、取調べにおける弁護人の立ち会い確保などの課題も残されている。

第3に、問題は検察と警察だけではない。冤罪を生んできたもうひとつの主体は、裁判所だ。

特に裁判所が有罪判決を下したケースでは、裁判所が最大の責任者といってもよい。背後にあるのは、有罪率99.9%(2013年)という異常な数字だ。検察側がリスクのある案件の起訴を回避している面もあるとはいえ、これでは、有罪かどうかを決めるのは事実上検察だ。裁判所が正常に機能しているとはいえない。

有罪・無罪の判決だけでなく、勾留請求を認めるかどうかの判断をするのも裁判官だが、これも正常に機能しているかも疑わしい。勾留請求却下率は、ここ数年急増しているものの、2013年に1.6%(2003年までの約20年はほぼ0.1%台)。やはり、捜査機関が勾留請求すれば、まず認められる状態だ。

瀬木比呂志氏の著書『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』では、問題の背景として、裁判官のキャリアシステム(これに対し米国などの法曹一元制度では、弁護士経験者から裁判官が任用される)、刑事系裁判官という人事グループの存在、「(刑事系裁判官の)検察官に対する情緒的同調傾向」などが指摘されている。

本来、誤った捜査をチェックすべきは裁判所だ。裁判所の機能不全を解消しないことには、日本の刑事司法を「中世」から脱却させることは難しい。

原英史

1966年東京都生れ。東京大学法学部卒、米シカゴ大学院修了。89年通商産業省(現・経済産業省)入省。大臣官房企画官、中小企業庁制度審議室長などを経て、2007年から安倍・福田内閣で渡辺喜美行政改革担当大臣の補佐官を務める。09年7月退官。株式会社政策工房を設立し、政策コンサルティング業を営む。現在、大阪府特別顧問、大阪市特別顧問も務める。著書に『官僚のレトリック』(2010年、新潮社)、『「規制」を変えれば電気も足りる』(2011年、小学館101新書)。

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(2015年9月3日フォーサイトより転載)