米朝首脳会談「1カ月」の検証(3)眠れないほどの「ミッション:インポッシブル」--平井久志

「アジアのすべての人」が感動しているわけではないが、危機を転換した意味は大きい。
Open Image Modal
U.S. President Donald Trump walks from Marine One as he returns from Kansas City, Missouri, to the White House in Washington, U.S., July 24, 2018. REUTERS/Joshua Roberts
Joshua Roberts / Reuters

 米メディアなどで北朝鮮の非核化に懐疑的な見方が噴出すると、ドナルド・トランプ大統領は7月3日、ツイッターで「フェイクニュースを含め野党だけが不満を言っている。私がいなければ今ごろ北朝鮮と戦争になっていたぞ!」と反発した。

 トランプ大統領は「北朝鮮とはたくさん良い話し合いをした。うまくいっている!  ロケットの打ち上げも核実験も8カ月間ない。アジアのすべての人が感動している」と主張した。北朝鮮の非核化に進展はないが、北朝鮮が昨年のように核実験やミサイル発射をしていないのも事実だ。

 昨年のような、まかり間違えば朝鮮半島で軍事衝突が起こっても仕方のないような情勢を脱したことは、米朝首脳会談の成果だろう。3月8日に何の準備もなく受諾してしまった米朝首脳会談をわずか3カ月で実現し、その会談に非核化の中身や工程表など具体的な内容を期待するのは無理があろう。「アジアのすべての人」が感動しているわけではないが、危機を転換した意味は大きい。

今度は「FFVD」?

 米国務省は7月2日、マイク・ポンペオ米国務長官が同5日に米国を出発し、7日まで北朝鮮を訪問、7日に東京に立ち寄り、8日まで東京に滞在すると訪朝日程を発表した。米国務省はポンペオ国務長官の日程説明の中で、北朝鮮の非核化について米国がこれまで使ってきた「完全で検証可能で不可逆的な非核化」(CVID=Complete,Verifiable,Irreversible Denuclearization/またはDismantling)という言葉を使わず、「最終的で完全に検証された非核化」(FFVD=Final, Fully Verified Denuclearization)という表現を使った。米国は「CVID」を使わず、新たに「FFVD」という概念を登場させたのである。

 米メディアではすぐさま、これは北朝鮮の非核化に対する米国の姿勢軟化を意味するのかと追求した。米国務省は、中身的には同じだと答えたが、新たな表現が登場した中にはやはり、それなりの背景があると見られた。

 ただ明らかなのは、「不可逆的な」という表現が落ちたことだ。米国の専門家の間でも、北朝鮮が2度と核開発ができないようにすることが極めて実現困難なのは、共通の認識だ。数千人から最大で1万5000人という北朝鮮の技術者や科学者の頭の中を「フォーマット(初期化)」することはできない。国外追放にすれば、逆にイランやシリアにスカウトされることになり、核の拡散になりかねない。パキスタンのアブドル・カーン博士によって核技術が拡散した失敗を繰り返すことになる。

 国務省は、表向きは「CVIDと同じ」と言うが、北朝鮮がCVIDに強い拒否反応を示しており、実現も困難な中で、米国が現実的な非核化の概念を模索し始めたと読み取れる。米国は実現性の乏しい「不可逆性」よりは、明らかに必ず達成しなければならない課題である「検証」に重点を置いているように見えた。

「ミッション:インポッシブル」より難しい

 ポンペオ長官は7月5日午前2時(米東部時間)ごろ、アンドルーズ空軍基地を出発し、6日午前8時ごろ(日本時間)に日本の横田基地に到着した。ポンペオ長官は横田で「北朝鮮の完全な非核化について米朝首脳間で交わした約束の細部を詰めて、実行に向けた機運を維持したい。北朝鮮も同じように考えていると期待している」と述べた。ポンペオ長官はしばらく休憩した後に平壌へ向かった。

 米国側の訪朝メンバーはポンペオ長官のほか、首脳会談前に北朝鮮との実務協議を担当してきた国務省のソン・キム駐フィリピン大使、過去にもポンペオ長官の訪朝に同行した中央情報局(CIA)コリア・ミッションセンター長のアンドリュー・キム氏、国務省のアレックス・ワン東アジア太平洋担当副次官補、ホワイトハウスのアリソン・フッカー国家安全保障会議(NSC)朝鮮半島補佐官、ランドール・シュライバー国防総省アジア・太平洋担当次官補ら北朝鮮問題の専門家が同行した。米国の6人のメディアも取材で同行し、そのためかヘザー・ナウアート国務省報道官も同行した。

 米ナショナル・インタレスト・センター(CNI)のハリー・カジアニス国防研究局長は、『FOXニュース』への5日の寄稿で、今回訪朝したポンペオ氏の任務を米映画「ミッション:インポッシブル」に喩え、「トム・クルーズはポンペオ氏よりはるかに簡単な任務を受けた」と指摘、ポンペオ長官はトム・クルーズ以上に「不可能」を「可能」にする困難な任務を負っている、とした。それは非核化する意思があるのかどうかもよく分からない北朝鮮を相手に、「検証可能な非核化の工程表」という不可能とも思われる作業をすることが任務であったからだ。

 ポンペオ長官は平壌へ向かう機内からツイートし、機内でトランプ大統領と電話通話をしたことを明らかにした上で、大統領は「金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が北朝鮮の人々のためにこれまでとは異なった明るい未来を見ていると信じる」と述べたと紹介した。

結局、交渉相手は金英哲部長

 ポンペオ長官は6日午後に平壌に到着し、空港には金英哲(キム・ヨンチョル)党統一戦線部長と李容浩(リ・ヨンホ)外相、国務委員会の金昌善(キム・チャンソン)部長らが出迎えた。

 米朝首脳会談での共同声明では、首脳会談後、できるだけ早い日程で非核化に向けた協議をポンペオ長官と北朝鮮の「担当高官」が行うとされていた。米国側の交渉トップはポンペオ長官と明記されていたが、北朝鮮側は不明だった。ポンペオ長官の過去2回の訪朝では金英哲党統一戦線部長がカウンターパートを務めたが、非核化に向けた具体的な協議に入れば金英哲部長ではなく、米国との核問題をめぐる協議経験の豊富な李容浩外相がカウンターパートになるのではという見方が有力だった。だが、結局は今回もポンペオ長官のカウンターパートは金英哲部長だった。

 米国の一行が平壌で案内された宿所は「百花園招待所」だった。百花園招待所は1983年につくられた招待所だが、国賓級のゲストのために使われてきた。金大中(キム・デジュン)大統領(当時)が2000年に、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領(同)が2007年に南北首脳会談のために訪朝した時に宿泊したのも、この招待所だった。2000年のマデレーン・オルブライト米国務長官、2002年の小泉純一郎首相もここを使った。北朝鮮はポンペオ長官を国賓級の待遇で迎えたということだ。

 ポンペオ長官は百花園招待所で金英哲部長に「今回で3回目だ。私がもう一度来ればここに税金を払わなければならない」と冗談を言うと、金英哲部長は「もっとたくさん来れば、お互いにもっと多くの信頼を積むことができる。今度でわが国を訪問するのは3回目なので慣れられたようだ。今日の会談は本当に意味のある会談だ」と述べた。これに対してポンペオ長官も「そうだ。同意する。とても生産的な会談になることを確信し、そうなることを期待する」と返した。

 滑り出しは和気藹々で順調だった。その後、米朝双方は約3時間の1日目の協議を行い、約1時間45分の夕食会でも意見交換がされた。

米国側「非核化の作業部会を設置」

 1日目の協議が終わった時点で、ナウアート報道官は同行プレスに、非核化の履行と検証のため複数の作業部会を設置し、夕食会では朝鮮戦争の米軍兵士の遺骨送還問題も話し合われたと明らかにした。ナウアート氏は、作業部会は「非核化実現に向けた計画立案、政策履行、検証のための『核心的な事柄』を扱う」と説明した。

 米『CBSテレビ』は、作業部会にアレックス・ワン米国務省東アジア太平洋担当副次官補、ベン・パーサー国際安保非拡散担当副次官補、マーク・ランバート対北朝鮮政策特別代表の3人の国務省高官が参加すると報じた。

 米朝間で非核化のための複数の作業部会の設置で合意したのであれば、それはそれなりの進展だが、これが後に誤りであることが明らかになる。これは米朝間ではなく、米国務省内で非核化の各分野別の作業部会を設置することを決めたということだった。どういうミスがあったのか分からないが「米朝間」の作業部会と発表されてしまったようだ。成果を強調したい米側の焦りが生んだミスかもしれない。

「昨日の協議でよく眠れなかったのでは」

 2日目の協議は7月7日午前9時から始まった。協議冒頭を取材したメディアの報道によると、かなりトゲのある言葉の応酬から協議は始まった。

 ポンペオ長官の訪朝は3回目だが、平壌で1泊する日程は初めてだった。金英哲部長は「よく、眠れましたか」と朝の挨拶から話を始めた。「だが、われわれは昨日、とても重要な問題についてとても深刻な論議をした。そのことを考えて、昨日はあまりよく眠れなかったのではないか」と切り出した。

 ポンペオ長官は「大丈夫だ。よく眠った。われわれは昨日、よい対話をした。感謝し、続けて今日の対話に期待したい」と答えた。

 ポンペオ長官は「先の米朝首脳会談以後、これが最初の高位級会談であるため、われわれはこの会談をとても重要だと考えている」と指摘し「従って、両国間の関係を構築して行きながら、われわれが完全な非核化に向けてすべきことは、より明るい北朝鮮のため、われわれの2人の大統領がわれわれに要求する成功のためであり、(われわれの任務は)とても重大だ」と述べた。

 これに対して、金英哲部長は「もちろん、それは重要だ」と受け答えながら「私には、明確にしなければならないことがある」と釘を刺した。これに対し、ポンペオ長官も「私もやはり、明確にしなければならないことがある」と応酬した。

 金英哲部長は「明確にしなければならないこと」が何かについては明確な言及をしなかった。しかし、米国側は北朝鮮の「明るい未来」のために「完全な非核化」が必要だと語り、北朝鮮側がその前に「明確にしなければならないこと」があるとするのは、非核化を行う前の前提条件について北朝鮮側が確認を求めているようなニュアンスを与えた。

 同行した『ABC』の記者は自身のツイッターで、「今朝は、ポンペオ長官と金英哲部長の間で若干の緊張感が感じられた。ナウアート報道官は『われわれはたやすいことだとは絶対に考えない』と述べた」と書き込み、米朝協議が難航している雰囲気を伝えた。2日目の協議は午前9時から昼食をはさみ午後3時まで続けられた。ポンペオ長官は7月7日午後4時半頃、日本に向けて平壌を出発した。

 当初はポンペオ長官と金正恩党委員長の会談があるのではないかと見られていたが、結局は実現しなかった。ポンペオ長官は過去2回の訪朝では金党委員長と会談しているだけに、会談が実現しなかったこと自体、今回の訪朝で、米朝間で意見の相違を埋めることができなかったのではないかという見方が強まった。

 北朝鮮メディアは7月2日に、金党委員長が新義州で現地指導をしたと報じ、7月10日には両江道三池淵のジャガイモ農場やジャガイモ粉生産工場、建設現場などを現地指導したと報じた。訪問した場所が多く、金党委員長の服も異なることから、数日間の現地指導を1度で報道した可能性が高い。ポンペオ長官が平壌を訪問した7月6~7日は、金党委員長は三池淵地域にいた可能性が高い。今回は、当初からポンペオ長官と会談するつもりはなく、地方へ行っていたのだろうか。その意味では、今回の協議は当初から、合意を生み出すよりも揺さぶりを掛ける意図があったのではないかと見られる。

ポンペオ長官「協議は生産的」

 ナウアート報道官は、ポンペオ長官は今回の協議で(1)北朝鮮の完全非核化(2)体制の安全の保証(3)米兵の遺骨返還という3つの目標の達成に向けた決意を北朝鮮側に伝えたと強調した。

 ポンペオ長官は7日に平壌を離れる前、同行記者団に北朝鮮との協議が「非常に生産的だった。複雑な課題ではあるが、議論のすべての要素でわれわれは進展を得られたと考える」と前向きな評価をした。さらに「北朝鮮の核ミサイル施設の非核化とタイムラインを議論するのに多くの時間を割いた」「タイムライン設定で進展があった」とした。

 ポンペオ長官は非核化についてはこれ以上言及せず、朝鮮戦争当時の米兵の遺骨送還のために板門店で12日ごろ米朝の協議があるだろうとし、北朝鮮のミサイルエンジン実験場閉鎖などを議論するために、近く実務会談を行うことで合意したとした。

 これらのポンペオ発言は、米朝交渉のモメンタムを維持するために、米朝の対立点には言及せず、少しでも前進があった部分をアピールするような姿勢だった。(つづく)

平井久志 ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

関連記事
(2018年7月24日
より転載)