かつては「団地」、今では「UR賃貸」というイメージが強いUR都市機構。その前身である「日本住宅公団」が戦後の住宅不足の解消を目指して発足したのは、1955年のこと。
それから約65年。時代によって変化する社会課題に応じて、住まいや街のあるべき形を提案し続けてきたURの歴史を、インフォグラフィックで振り返ります。
内風呂やステンレスの流し台……日本の標準的な住居の「知られざる起源」とは?
内風呂やステンレスの流し台の設置、ダイニングと寝室が別部屋になった「食寝分離」など、今では当たり前になっている住まいのスタイル。実は、これらを先導したのは、URの前身「日本住宅公団」でした。
その背景にあったのは、1950〜70年代に深刻化していた住宅不足。日本住宅公団は、東京や大阪などの都市部には大規模団地を、郊外には「多摩ニュータウン」をはじめとする新たな街を次々と開発していきました。それらに採用された住居スタイルが、やがて日本のスタンダードとなったのです。
1980〜90年代には、「生活の質の向上」が求められ、昭和記念公園をはじめとする都市公園の整備などにも取り組みました。
今日に至るまで、時代に合わせて住まいと街のあるべき形を追い求めてきたUR。その組織や事業の変遷を見ると、社会課題の変化とともにあることがわかります。
戦後のまちづくりで培ったノウハウで、新たな課題に取り組む
現在URは、長年の経験や資源を生かし、生活に深く根ざした4つの分野の事業に取り組んでいます。
「都市再生」では、街が抱える課題を解決するため、半世紀以上にわたって培った豊富な事業経験やノウハウを生かした事業を展開。地方公共団体や民間企業、住民と連携し、各地域に合わせたプロジェクトを推進しています。
「賃貸住宅」では、UR賃貸住宅を適切に管理し、豊かな生活空間を提供するとともに、高齢者や子育て世代など、多様な世代が生き生きと暮らし続けられる住まい・街=「ミクストコミュニティ」の実現をめざしています。
「災害復興」では、阪神・淡路大震災以降の経験を生かし、東日本大震災や熊本地震など、日本各地で発生した大規模災害からの復旧・復興を全力で推進。同時に、地方公共団体などへ、発災時の円滑な対応に関する啓発活動などを進めています。
「海外展開支援」では、国内での豊富な事業経験と、公的機関としての公平・中立な立場を生かして、JICA(独立行政法人国際協力機構)など国内の政府機関等とも連携を図りながら、日本企業による都市開発事業等での海外展開を支援しています。
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住まいや地域にまつわる社会課題は、私たちの生活に深く関わるもの。時代に合った価値を創造し、様々なステークホルダーをつなぎながら、課題解決に導いていくURの取り組みを、計5回にわたって紹介していきます。
第2回は、URとある企業の異業種タッグにより誕生した、新たなコミュニティについて取り上げます。団地を資源とした街づくりの秘訣とは?