PRESENTED BY UR都市機構

弥生時代の「暮らしやすさ」を現代に。“未完成”の遺跡公園は、市民とともに育ち続ける。

地域の資源を活用したサステナブルなまちづくりとして、国内外から注目を集める「グリーンインフラ」。UR都市機構の最新事例に迫る。
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「グリーンインフラ」とは、自然の資源を活用したり、組み合わせたりしてさまざまな地域課題を解決し、人にも、環境にも持続可能な社会を築いていく取り組み。SDGsの概念にも通じ、国内外から注目が集まっているが、実は昔からUR都市機構には“当たり前に”あった考え方だ。   

1950年代から、先駆けてグリーンインフラによるまちづくりに取り組んできたURは、その特徴を「時間の経過を味方につける」ことだと話す。

完成当初よりも、使われることで場所が育ち、価値が高まる。サステナブルな開発の事例が、大阪・高槻市にあった。 

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JULIE FUKUHARA

京都駅と大阪駅の中間地点、大阪府高槻市にある「安満(あま)遺跡公園」。広さ約22ヘクタール、甲子園球場5つ分の広大な敷地には、国宝級の歴史資産である弥生時代の「安満遺跡」を保存・活用し、防災機能も兼ね備えた豊かな空間が広がる。

朝から晩まで人の行き来が絶えず、それぞれが思い思いの時間を過ごす光景が印象的だ。

高槻市とURがタッグを組み、大阪府立大学をはじめとした、地域のさまざまな「手」によって8年をかけて作られ、2021年3月に全面開園を迎えたこの場所。現在も、多様な市民活動により、育ち続けている。

地域の資源が、地域の力によって価値を高める、サステナブルなサイクルの秘訣を聞いた。

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取材にご協力いただいたみなさん。文中では敬称略。背景は安満遺跡公園の全景。
JULIE FUKUHARA

① 安満遺跡公園とは?

藤井 80年ほど前、京都大学大学院農学研究科附属農場の建設中に弥生時代の遺跡(安満遺跡)がいくつも発見されました。その後、長年の発掘調査を経て、URさんのコーディネートにより京大農場の移転が決まったため、「この場所をどう保存、活用していこうか」という構想がスタートしたのが2013年です。

鐘ヶ江 2500年前に近畿地方でコメ作りが始まった頃の遺跡で、最大の特徴は、居住域、コメを作る生産域、墓域の3つが揃って保存されていること。全国にある弥生遺跡の中でもとても珍しく、研究材料が非常に良い状態で残っています。

都市計画がご専門の大阪府立大学の増田昇先生に相談したところ、「史跡の保存活用と防災拠点を兼ね備え、市民と一緒に育て続ける公園」というアイデアをいただいて。すぐに方向性が定まり、防災公園の整備とまちづくりを一体的に進める「防災公園街区整備事業」を手がけるURさんに協力要請をしました。

亀山 今までは農場だったので、災害時の拠点としては使えなかったんです。広い敷地を生かし、市の防災拠点にも使える設備を作ろうと、専門家を交えて構想を練り、災害時の拠点となるパークセンターや耐震性貯水槽、大きな防災倉庫などを備えました。

災害は想定外のことも多いので、「作り込みすぎない」ことも重要です。史跡ゆえに、全面を掘り返して工事ができないことを逆手に取り、少しずつ整備を進める「ハーフメイド」という考え方を取り入れました。それがうまくマッチして、防災公園としても、市民のみなさんと一緒に育て続けていくという目的も叶えられたんです。

川村 防災公園街区整備事業のノウハウで、地域が持つ「歴史」「文化」「自然」「アイデア」といった資産を適切に組み合わせた最良の形にできたと思っています。

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(写真左から)高槻市の藤井敏温さん、鐘ヶ江一朗さん。
JULIE FUKUHARA

② 「育て続ける」公園

藤井 公園は「完成しました、どうぞ使ってください」というのが一般的ですが、ここは「どう使うか」を市民のみなさんと一緒に考えてきました。

整備構想が固まって早々、2013年に立ち上がった市民ワークショップでは、「公園ができたら何をしたい?」「そのためには、何が必要?」を話し合ってきました。

20〜30名だった参加者は年々増え、2017年に市民活動団体「安満人倶楽部(あまんどくらぶ)」が立ち上がりました。現在は高槻市民を中心に、8つのグループからなる100名規模のコミュニティになっています。

鐘ヶ江 公園工事中から、敷地内には安満人倶楽部の活動拠点となるプレハブがあり、「歴史」グループは京大農場時代の田んぼを使って古代米を育てたり、「遊び」グループは残された樹木で木遊びをしたり。「早く活動したい」「自由に出入りさせてほしい」という市民の要望を叶えるために、私たちが調整をして、URさんに設備を整えてもらいました。

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パークセンター内にある「市民活動拠点」。安満人倶楽部の活動内容が展示されており、イベントへの参加も受け付けている。
JULIE FUKUHARA

川村 このパークセンターは、市民活動の拠点として設計しました。誰もが集まれて、さまざまな使い方ができる居室やエリアを設けています。

SAKURA広場の「大屋根」は、一次開園後の利用状況を見て、工事に取り入れたもの。「イベントの時に横断幕を吊るしたい」「日除け、雨よけになる屋根がほしい」という声が寄せられたため、いろんな活動ができるよう、開け放った大屋根を作りました。

武田 私は2013年のワークショップから関わり始め、安満人倶楽部の立ち上げにも協力してきました。公園計画時から市民と歩むというのは私にとっても初めての挑戦でしたが、振り返ると、たくさんの 「関係者」を作れたことが活発な市民活動につながっているんですよね。

今や、この公園が市民活動の大切な舞台になっています。

亀山 愛着を持つということは、大事に、長く使うこと。それが、「ハーフメイド」な作り方とコミュニティの活動により、市民のみなさんに、さらに広がっていくんだと思います。

建物は完成してから使う、というのが一般的ですが、使われなくなって取り壊される施設や遊具も少なくないですよね。一方、この公園は市民が求める使い方に寄り添って作ったので、無駄がなく、その意味でもとてもサステナブルなんです。

武田 建物も、京大農場当時のものをリノベーションしてレストランや資料館として活用しています。いろんな時代の記憶、愛着を、世代を超えて継承できているというのも大きな特長だと思います。 

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大阪府立大学の武田重昭先生。後ろに映るのは、京大農場時代の建物をリノベーションした体験館。
JULIE FUKUHARA

③ 公園を通じて、コミュニティが目指すもの

川村 ここは弥生時代の人が生活基盤を築いた場所。古代の人が「暮らしやすい」と思った場所、現代人にとっても、きっと同じですよね?そのことは、市民のみなさんの「誇り」にもなると思っています。

歴史が刻まれた土地で、自分たちのアイデアや思いを自らも活動しながら実現させていく。そんな場所に赤ちゃんから高齢者まで、多世代が集まり、防災時にも人が集まる場所になる。今までにない公園のあり方だと思っていますが、武田先生いかがですか?

武田 昨今、人と人とのつながりを、と色々なところで言われますが、簡単なことではないと思っています。

日本ではこれまで、コミュニティ=地縁的な強い繋がりでした。でも、現代のコミュニティは、「ゆるい」や「たくさん」がキーワード。

安満人倶楽部も色々なテーマを持っていて、この公園は「歴史」「ペット」「遊び」「自然」など、人をつなげる「要素」がとても多い。たくさんのものとゆるくつながれて、「こっちは窮屈だけど、あっちなら生きやすい」という選択肢を作れることが、サステナブルなコミュニティのあり方だと思います。

その目的で、遊具は「ふわふわドーム」だけ。人が遊びを作る、そして世代を超えて遊びを教え合える場所を作りたくて。自由に使える、この広いスペースが、今まで接点がなかった人たちがつながるきっかけになっているんです。

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公園内唯一の屋外遊具「ふわふわドーム」。子どもたちが跳ねたり寝そべったりして楽しむ。
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「安満遺跡」を紹介するガラスサイン。手前のブロックに腰掛けると、目の前に弥生時代の暮らしが広がる。
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④ 公園によって、地域が育つ。地域の力で、公園が育つ

藤井 公園の経営も「自走」するサイクルを作れています。市民活動も、民間のイベントも頻繁に行われていますが、大半が民間で企画・運営されているもの。

公園内施設のネーミングライツ、イベント、民間企業の誘致、駐車場。人が集まる場所を、市民の手が作り、それが経済的にもうまく循環しています。 

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公園内の大屋根広場「SAKURA広場」。高槻市内の住宅会社である株式会社SAKURAがネーミングライツを取得した。この大屋根は、一次開園後の利用状況を見て、工事に取り入れたもの。
JULIE FUKUHARA

亀山 「ダンスの練習をしたい」「自然遊びをしたい」。たくさんのやりたいことを叶えられる場所だということが、市民のみなさんの目標や夢に、そしてこの公園へのさらなる愛着につながっていますよね。

武田 この公園が目指す地域の姿は、私たちが決めるものではなくて、市民一人ひとりが描いていくもの。そのきっかけがこの公園で生まれるかどうかが大事なんです。公園で、市民の主体性が生まれ、それが地域を育てるということです。

公園に来ることで、どんな出会いがある?日常生活がどう豊かになる?

公園を介して、地域の経済がどう変わる?

そんな関係者の思いを受け止め、俯瞰的な視点をもって計画し、地域全体のためになる公園を作れるのは、まちづくりの豊富な経験を持つURだからこそ。人の暮らしも、経済も、街の風景も、全てをつなげて持続的に成長していける「場所」を作るのが、URのグリーンインフラだと思います。

⑤ URが目指す、グリーンインフラのあり方

芦田 持続可能な開発とは、作ったら終わりではなく、その後も使われ続けること。そのためには、その地域の地形、歴史・環境資産、気候風土、住民の方々の要望をよく読み解いて、使う人に愛着や誇りを持ってもらうことが重要です。

そのため、「ソフト面」で市と武田先生とともにおこなったのが、計画段階から地域のみなさんが「育てる側」に立ってワークショップに参加し、さまざまな取り組みを実践してもらうこと。計画段階から色々なステークホルダーと関われるのは、URの強みかもしれませんね。 

また、「ハード面」では、気候変動に伴い激甚化する災害を受け止める「しなやかさ」を作れるのもグリーンインフラ。自然の力に対抗する構造物の「強さ」には限界があります。自然資源を活用し、人の命を守り、生活を豊かにするまちづくりは、今後の暮らしを作る基盤になるのではないでしょうか。

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(写真左から)UR都市機構の亀山 隆さん、川村 将登さん、芦田 浩史さん。
JULIE FUKUHARA

1950年代から、自然を生かしたまち・すまいづくり、地域のコミュニティづくりまで、ハード・ソフトの多岐にわたる事業を推進してきたUR。まさに、グリーンインフラの先駆けだ。 

安満遺跡公園のように、地域のみなさんが「関係者」になれるきっかけを作ることで、担い手が育ち、コミュニティになっていく。住民が持続的に関われる場所と機会があれば、時間の経過とともに地域の価値が向上していく。

その場所と機会を作ることができるURは、地域が「自力で」育っていく、サステナブルなまちづくりを関係者とタッグを組んで全国で進めている。