「新しい生活様式」が求められる今。在宅時間の増加や働き方の変化に伴い、住まいや街に求められるのは利便性だけではなくなっています。自然環境や暮らしやすさも重視され、郊外への転居意向も高まっています。
時代によって変化する住まいや街へのニーズ。その様々な分野で、日本のまちづくりを縁の下で支えてきたのがUR都市機構です。
少子高齢化、地方の過疎化、都市部の大規模開発──。インフラ整備からコミュニティ作りまで、それぞれの時代や地域の課題解決を提案しているUR。その多岐にわたる事業を取材する中で、私はある共通点に気付きました。
東京、宮城、広島、オーストラリア...。街にある共通項
65年前、戦後日本での住宅不足の解消から始まったURの歴史。現在は、「賃貸住宅」「都市再生」「震災復興」「海外支援」の事業を展開し、時代によって変化する社会課題に応じて、住まいや街の求められる姿を、様々な分野で提案し続けています。
ハフポスト日本版では2019年11月から、URが手掛ける様々な事業を取材してきました。東京、大阪、広島、宮城…。URが手がける「まちづくり」を全国各地で目の当たりにした筆者は、ハードからソフトまで、まちづくりの様々な分野を担う事業の中に“共通点”があることを発見したのです。
それは、街や住まいから「人の暮らし」を創造することを第一に考えたまちづくりであること。開発が終わり、URの手を離れた後も、住まいや街が成長し続けていく様々な仕掛けがありました。
連載で紹介したURの4つの事業を通して、その共通点を紹介したいと思います。
【賃貸住宅】では、東京都板橋区と練馬区にまたがる大団地「光が丘パークタウン」を取材。ハード面で「住まい」をつくるだけでなく、ソフト面からも、多様な世代が生き生きと暮らし続けられるまちづくりを紹介しました。URと無印良品の“異業種タッグ”により、団地の商店街に人が集い、交流が生まれるコミュニティ作りです。
「私たちは場を提供し、環境を整えるまでが仕事。そこに暮らす人たちにタスキを渡して、この交流が継続する仕組みをつくっていきたい」。その言葉通り、開発の先にある、人の暮らしまで見据えたまちづくりをおこなっています。
【都市再生】では、3つの地域を取材しました。東京・品川での、「高輪ゲートウェイ駅」開業を伴うまちづくり、大阪・梅田での大阪駅前約17haにおよぶ開発プロジェクト「うめきた2期」は、いずれも都心部で進行中の「駅」を中心とした大規模開発です。駅に向かうまでの道路の設計や動線の工夫により、駅を中心とした新たな人の流れが生まれ、そこに住まい、行き交う人の手によって新しい暮らしが作り上げられることを見据えたまちづくりがおこなわれています。
2020年3月に高輪ゲートウェイ駅が開業した際のインタビューでは「街の開発という視点では、本番はこれから。駅が完成したら終わりというわけではなく、駅の開業はまちびらきに向けたスタートにすぎません」という言葉が印象的でした。
広島・福山では、「古きを活かし、にぎわいを生む」地方都市活性化の手法を取材。既存のビルや公園を活用し、若者層を中心とする人口流出の課題を解決、そこに住まう人だけでなく、地域の外からも人が集まり、にぎわいが継続するまちづくりをおこなっています。
地域の資源を生かし、人が集まる空間を生み出すまちづくりは地方活性化のモデルケースとなり、全国からの視察が殺到しています。
【震災復興】では、URが東日本大震災からの復興を支援する、宮城・南三陸町を訪問。地域の特性である自然の恵みを生かし、多様な産業が古くから営まれてきた地域です。
震災により、一瞬にして全てを失ったこの街で、UR は発災から半年も経たずして復興のサポートを開始。高台移転や盛り土によるかさ上げ、災害公営住宅の整備...。震災から10年間、南三陸町の復興に携わった職員は、延べ100人超。あらゆる事業のノウハウを駆使し、ハード面から、コミュニティやにぎわいを創出するということまで、いくつもの被災地で「新しい暮らし」を支えてきました。
【海外展開】で進行しているのが、オーストラリア・シドニーでの新空港と周辺地域の大規模開発。積極的な移民受け入れにより著しく人口が増加し続けるシドニーで、今後の成長と、それに伴う交通渋滞・既存インフラの整備を担っています。
明治期にはじまる、街のにぎわいと利便性を創出するための「交通基盤」を特徴とした “エキマチ一体”の手法、そして開発が終わった先の「暮らし」まで考えた計画。品川、梅田でも見たこのまちづくりは、今では日本の都市計画のお手本となり、世界で評価されているのです。
住まい、街だけでなく、「人の暮らしをつくる」URのまちづくり。その手法は、どのように築かれてきたのでしょうか?UR広報室の橘亜希さん、阿部圭佑さんに聞きました。
「住む」から始まったまちづくりは、「暮らす」フェーズに
── 時代、状況によって変化する課題に応じた“まちづくり”は、いつからおこなわれてきたのでしょうか。
橘さん(以下、橘) 公的な立場で、中立、公平を重んじながら、新しいまちづくりをおこなうという使命感は、前身である日本住宅公団からのフィロソフィーとして受け継がれてきたものです。言ってしまえば、経済性を重視しながらも社会貢献性を強く重視し、都市や住宅の求められる姿を追求するところから始まりました。
阿部さん(以下、阿部) 「求められる姿」 というのは、書面的には「都市計画に即し、周辺地区と一体をなした健全な市街地」と言えるでしょうか。区画整理や市街地再開発事業を含め、開発の手法についても国や自治体と一緒に整備してきました。さらに私たちは、社会課題に応じていくだけでなく、立地、時代やライフスタイルの変化、お住いの方々からの要望にも応えられる街こそが「求められる姿」であると考えています。
── その「求められる姿」に向き合い、ハード・ソフト両面から取り組んでいます。
橘 ハード、つまり住宅供給だけでも、住むことはできるかもしれません。しかし、団地のような大規模集合住宅であれば、例えば団地建設初期のゴミ出しのルールや地域との融合といったソフトの面も構築しないと、暮らしが成り立たないんです。
戦後、日本初の団地ができた頃から、ハード・ソフト両面でのまちづくりはおこなってきましたが、近年はライフスタイルの変化をハードに反映する、「逆転」の取り組みも増えてきています。
阿部 新たに作り続けるハード面での開発よりも、今後はいかに満足したライフスタイルを得られるか、という点が重視されるのではないでしょうか。我々がおこなっている、住宅のリノベーションや地域医療福祉拠点化における福祉施設などの誘致もその例ですが、これからは暮らし・ライフスタイルも、豊かさと多様性の時代がやってくると思っています。
橘 ライフスタイルという点でお話すると、今まさに、新型コロナウイルスによって大きく暮らしが変化しています。65年間、日本の暮らしを陰ながら支えてきたURとして、多様な暮らし方を提供するためのマイナーチェンジを積み重ねながら、そのノウハウを生かしながら、新しい分野でも価値創造していきたいですね。
阿部 「住む」と「暮らす」って、辞書的にはあまり違いがないのかもしれませんが、個人的には、住む=客観的、暮らす=主体的な言葉なのかなと感じています。
URの歴史は戦後、「住む」ことがままならなかった時代にスタートしました。65年経った今、「どう暮らす?」というフェーズにあると思います。人の数だけ、理想の暮らしがある。その「暮らす」をイメージできる、提案できるような住まいとまちづくりを、これからも続けていきたいです。
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時代によって変化する社会課題や、求められる住まい、街のあり方。戦後日本のまちづくりを牽引してきたURは、その先にある「人の暮らし」を見据えた事業を展開しています。
地域の課題や特性を誰よりも理解する“パイオニア”として、誰もが暮らしやすいまちづくりの手法をこれからもアップデートし続けていきます。