腹腔鏡を受けた患者の死亡事故が続いた群馬大学では、10月26日、改革委員会が記者会見を開いた。群馬大学の外科の体質が「閉鎖的」で「体制的な欠陥」があり、「適格性を疑わざるを得ない医師」が執刀していたと糾弾した。
群大は二つの外科を外科診療センターにまとめ、大学院の改組や相談窓口の一本化をするなど改革に取り組んでいるという。
私は、こんなことをしても問題は解決しないと思う。なぜなら、今回の問題の本質は組織図や手続き論ではなく人事だからだ。下手な医師が手術をすれば事故は起こるし、統率力のない教授が指導すれば、医局は緩む。議論すべきは、どうすれば適材適所の人材を登用できるかだ。
私は群大が反省すべきは、教授の選考システムだと思う。医局では教授に権限が集中する。誰に手術をさせるか、どこの病院に異動させるかは教授に決定権がある。医局は教授次第と言っていい。
では、教授はどうやって選ばれるのだろう。これは先輩教授による教授選挙だ。医学部の教授選考で重視されるのは、研究と診療の実績だ。確かに何れも重要だ。ただ、これで教授を選ぶのは危険だ。
なぜなら、論文の筆頭著者や主治医に求められる能力と教授に求められる能力は異なるからだ。
筆頭著者や主治医は、研究であれ診療であれ、与えられた課題を着実にこなせばいい。他者が課題を設定すると言う点で受験勉強と本質的に変わらない。医師には得意な人が多いだろう。
一方。医局のトップとして、教授に求められるのは「統率力」だ。
医師派遣などの医局の仕事は、通常の雇用関係を伴わない掟の世界だ。実態として一番近いのが「ヤクザ」だ。トップに力量がなければ組織はもたない。
「統率力」を評価するには、実際に管理職を務めさせないとわからない。内部昇格させると、しばしば失敗する。論文や診療で実績があっても、「親分の権威を借りている」ことが多いからだ。
では統率力とは何だろうか。私は部下の信頼だと思う。かつて山口組全盛の時代、故田岡一雄組長は絶大な信頼があった。
では、トップは部下の信頼をどうやって勝ち取っていくのだろう。それは、自らが指導し、部下の期待値を超える実績を挙げ続けることを重ねるしかない。つまり、統率力を高めるには実績が必要だ。
では、その際、教授には何が求められるのだろう。大学院生や准教授以下のように猛烈に働くことではない。必要なのは、方向性を示すこと、および部下の仕事が評価されるように根回しすることだ。つまり、「企画」と「営業」だ。業務遂行は部下に任せばいい。
「企画」ではオリジナリティーがものをいう。オリジナリティーとは何か。それは模倣だ。他の領域での先行事例を、自分の領域に取り込めばいい。ニュートンもアインシュタインもそうやって成功したという。
「模倣」するに知識がなければならない。特に異分野の知識が欠かせない。教授を目指す人は雑多な本を読み、様々な分野の人と会わねばならない。同じ領域の専門家とばかり話していては「医学バカ」になってしまう。
一方、「営業」に求められるのはネットワークだ。個人的な経験から言っても、医学誌から新聞・雑誌まで編集者を直接知っていれば、文章は掲載される可能性が高い。それは、その媒体の読者が何を望んでいるかが分かるからだ。文章が論文やメディアに掲載されることで実績となり、部下のブランドが確立していく。
「企画」と「営業」に重点をおくこと、実はアップルなどの水平分散システム型企業の戦略と同じだ。かつての医局は同類が集う蛸壺型組織だった。大学は自前で全ての専門家を用意する垂直統合型の日本企業だ。IT技術が進歩した現在、どちらに競争力があるか明らかだろう。
医局が生き残るために、リーダーに何を求めるか。今こそ、大学教授選考を見直すべきだ。
*本稿は医療タイムスでの連載に加筆修正したものです。