「政治を変えよう」というイベントに集まった人々
■ 強まる政治不信と国民の声
混迷のユーロ圏に加入せず、2015年の実質GDP成長率は2.4%とまずまずの数字を予測する英国。欧州連合(EU)の危機となるギリシャ債務問題の解決や一触即発のウクライナ紛争を海を隔てた位置からやや遠巻きに見つめるー。EUの一員ではあるものの、欧州には一定の距離を置く英国は、安全地域で充足しているかにも見える。
しかし、実は「欧州」をキーワードとして英国は今、大きく揺れている。EUの一員としての英国という位置付け、そしてスコットランド、イングランド、北アイルランド、ウェールズと言う英国連邦の枠組みが変わりかねないほどの重要な動きが発生している。
欧州大陸の処々の事象が影響を及ぼしているのは確かだが、これまで政治家が故意に無視してきた国民の声が震源だ。
昨年、英国の政治エスタブリッシュメントは2つの事件に目を見張った。5月、欧州議会選挙でEU離脱を掲げる英国独立党(UKIP)が急進し、英国に割り当てられた73議席の中で24議席を獲得し(前回から11議席増)、第1党となった(第2党は野党労働党の20議席、次が与党保守党の19議席)。離脱を主張する政党が最大議席を取得するとは、なんとも奇異ではないか。
元投資銀行家で欧州議会議員のナイジェル・ファラージ氏が党首となるUKIPは当時、誰も真剣には受け取らない極右政党と見なされていた。しかし、そう思っていたのは政治家や知識陣のみだった。政治的にはタブーとなるEUからの離脱や移民流入に制限をつけるべきとするUKIPは国民の間にじわじわと支持者を伸ばしていた。
EU離脱を主張する政党が欧州議会選挙で第1党(英国枠)となったーこれは国民の多くがEUに「ノー」と言ったに等しい。投票率は34.1%と最低(欧州全体では43%)となったが、わざわざ投票所に出向いて「ノー」を表明したことの意味合いが逆に深まったともいえるだろう。
もう一つの事件が9月に行われた、スコットランドの独立の是非を問う住民投票だ。スコットランド国民党(SNP)が主導した独立への動きをロンドンの政治家たちは「どうせ実現は無理だろう」とたかをくくっていた。結果は独立反対派が賛成派を僅差で上回り、独立はかなわないことになったものの、84%近い投票率を記録する熱い戦いとなった。2010年の総選挙での投票率が62%であったことと比較すると、突出した数字である。
EU離脱と独立支持派の拡大の背景には、中央の政治家や知識層の主張と国民感情との大きな乖離がある。
17世紀に発展を遂げた英国の議会政治による民主主義は世界中に広がったが、国民の声が政治に反映されないー少なくとも国民がそう感じるー事態が発生している。そして、すでに一部の国民の手によって、上からの政治に風穴が開けられつつある。その「穴」とはUKIPやSNPの躍進だっともいえる。
■ 「ない、ない、国民には何の権利もない」
政治詩を読む「怒りのサム」
「EUを離脱する権利、ない。スコットランド独立、できない。パブでタバコを吸ってはいけない。ない、ない。国民には何の権利もない。ないことづくしだ」―。そんな言葉をステージ上で吐き出したのは、政治詩人のサム・バークソン氏。通称「怒りのサム」はロンドンでもっとも貧困度が高いといわれるハックニー地域を主として活動の場にしてきた。
繰り返される「ない」と言う言葉が、2月8日、ロンドン北部で開催されたイベント「政治を変えよう」(慈善団体コンパス主催)に集まった聴衆の頭上を漂う。
鉄工所の跡地を使った会場は8つに分かれ、100を超えるパフォーマンス、音楽、映画、議論が行われた。15分毎に出演者が変わるステージで、「言葉がナイフのように心に刺さる」と評されたこともあるサムの詩は集まった聴衆から喝采を浴びた。
別の会場では野党労働党のステラ・クレアシー議員が政治の市民参加について話していた。中に入りきれない人が入り口に列になる。床に座り込んでノートにメモを取る人も数人いた。
「政党が国民に何をしてくれるのか」-。批判めいた声が場内からあがった。クレアシー議員は「世界は複雑になってきた。1つの組織がすべての問題を解決できない」。政治家に頼るのみではなく「答えをみんなで見つけていこう。あきらめないで」。
午後のセッションに登場した、ジャーナリストのジョン・ハリス氏は「現在の政治体制の最大の問題は最も多数の投票数を得た者が当選する仕組みだ。これでは国民の多くの声が政治の場に反映されない」と話す。
2大政党時代は「1票でも票を多く得た政党が政権を担当することには正当性があっただろう」。しかし、どの政党も下院議席の過半数を満たせず、小さな党が複数存在した2010年の総選挙で、これまでのやり方に「大きな疑問符がついた」。2大政党以外の政党に投票した人の票が無駄になってしまう。「今こそ、比例制の導入も含め、広い意味の選挙制度の改革を実施するべきだ」ー。
5月7日、英国で総選挙が行われる。前回の総選挙では過半数を取る政権がおらず、最多数の議席を獲得した保守党が3番目の自民党と手を握る連立政権が成立した。2大政党政治の長い伝統がある英国で、絶対多数の政党がない議会となるのは1974年以来という珍しい出来事だった。
開票後、保守党と自民党の連立政権成立までには数日かかった。一時は2番目に多い票を獲得した労働党と自民党が手を握る可能性もあった。政治家たちが政権樹立のための交渉を重ねる中、国民はただ見ているだけだった。
■ EU離脱思考を生む英国民の問題意識とは?
英国のEUへの不信感には根強いものがある。
英国は元は植民地だった米国とは、歴史的な経緯やその後の二国間の協力体制、共通言語としての英語、人やビジネスの往来状況などから非常に深い関係にある。米国と比較すると、西欧の主要国フランスやドイツとは過去数世紀にわたって戦争をしてきた過去がある。大英帝国として世界に君臨したことも英国人のDNAに入っている。欧州他国のように何らかのグループに入らずとも、独立独歩でやっていけるという自負がある。
紆余曲折の後で1973年に後のEUに加盟したものの、独自通貨ポンドを現在まで維持し続けてきた。当時から現在に至るまでも、加盟の意義はあくまでも経済的な利便性であると多くの国民が認識している。
1984年、サッチャー政権は農業補助金の受取額が少なく負担の方が大きいとしてEU予算からの払戻金制度を勝ち取り、人の移動を自由にした「シェンゲン協定」にも英国は加わっていない。
「ジョークが分からないドイツ人」、「蛙のような変なものを食べるフランス人」など、偏見とステレオタイプが入り交じった冗談は英国人の会話に頻ぱんに出現する。逆に「勤勉で何でもきちんと遂行するドイツ人」、「何を食べても太らないのがフランス女性」など、尊敬や憧れ感が入った表現もあるが、いずれにしても「大陸の欧州人=外国人」と言う視点は変わらない。
さらに、近年のEUへの不信感の根にあるのは「訳のわからない官僚組織が不当な要求を英国につきつけている」という思いである。英国では自分が住む地域を代表する欧州議会議員の名前を知っている人はほとんどいない。議会活動をフォローしている人は希少だ。「何をしているか分からない議員たちーどうせたいしたことをしていないーが、経費を無駄遣いしている」という認識が一般的だ。
ところが、その「訳のわからない官僚組織」は日常生活のレベルで自分の身に影響を及ぼしてくることがあり、英国民としては「頭にくる」ことになる。
身近な問題としてEUへの怒りがうっせきしてきたきっかけは、2004年に旧東欧諸国を中心とする10カ国のEU加盟であった。当時、EU加盟国のほとんどが新EU市民の流入を一時的に制限する措置を導入した。英国は労働者登録制度を採用したものの、実質的にはほとんど制限をつけないも同然であった。
結果としてEU域内から英国への移民純流入数は2003年の1.5万人から、04年には9万人、06年には10万人を超えた。
人、モノ、サービスの自由化を掲げたEUから入ってくる人を英国は止められない。学校では新たに入ってくる生徒数が急増する場合が発生し、地方自治体のレベルでも予期せぬ人口が増えたためにサービスが行き届かない、経費カットを余儀なくされる事例が報告された。
EU市民の姿が自分の生活の周りに目に見えて出現するようになった。通りにオープンするポーランド食品店、コーヒーショップでウエイトレスとなる東欧諸国出身者、水道管の不具合を直す修理屋、家を建ててくれる大工など、至るところに新移民の姿があった。ポーランド出身の大工は実は英国のこれまでいた大工よりもしっかりと仕事をこなすことを英国市民はだんだんと知ってゆく。地元のカフェでふと辺りを見回すと「自分が知らない言葉を話す人ばかりだった」という現実に違和感を感じる高齢者の手紙が新聞に載るようになった。
2008年の金融危機で失業率が上昇すると、「新EU市民に職を奪われた」という国民感情が生まれても不思議ではなかった。
「移民はもういらない」-そんな感情が一部の国民の間で渦巻くようになったが、こんな発言は現在の英国では政治的に正しくない。人種差別にもつながる発言と取られかけないーたとえそれが本音であっても、である。
ドイツのメルケル首相を中心にEUが政治的なまとまりとしての機能を強める動きが出てくると、ますます英国民の間でEUへの不信感は高まった。
そこに現れたのが、国民の思いを代弁する、EU脱退を目指す政党UKIPであった。
■ フードバンクを年間100万人が利用
2月19日、大衆紙ミラーに44人の教会関係者が連名で書いた手紙が掲載された。2010年の政権発足以来、緊縮財政を実行する政府の「福祉改革」が「国民的危機を発生させている」とする抗議文だ。
「英国は世界第7位の経済大国だ。それでも飢餓状態にある人がたくさんいる」、無料で食事を配る「フードバンク」を訪れた人は「この1年で50万人を超える。昨年、栄養失調で入院した人は5500人となった」。原因は福祉の「削減や政策の失敗による」。
英国最大のフードバンクのネットワークを運営する慈善団体「トラッセル・トラスト」によると、状況はさらに深刻だ。トラストは週に2つは新たなフードバンクの場所(教会である場合が多い)を設置している。3日分の食料が支給されるサービスを利用した人は2012-13年では34万人、13-14年では91万人に達した。トラストの調べでは英国全体の人口6300万のうちで1600万人が「貧困」状態にある。
前政権が残した巨大な債務の返済があることなどを理由に、政府は福祉政策の締め付けを行っている。障害者用手当ての厳格支給、労働年齢と見なされる国民が受け取る失業手当に上限適用、余分の部屋を持つ低所得者用住宅に住む国民に対し福祉手当を打ち切るなど、数々の削減策が取られてきた。
失業率のみを見れば金融危機以降の約8%から5%ほどに下がってきているものの、雇用主が就労時間を保証せず、必要なときにのみ仕事を提供する「ゼロ時間契約」で働く人も少なくない。
この契約は雇用側からすれば需要に応じて働く人を確保できる利点があるが、働く側からすれば不安定な就労環境だ。就労時間にばらつきがあるため収入が一定せず、通常の雇用契約ではないため、銀行ローンを受けにくい。当日あるいは翌日からの勤務がオファーされた場合、就労開始までの時間が極端に短く仕事を断らざるを得ない場合もある。
昨年4月末、政府統計局(ONS)がゼロ時間契約についての調査結果を発表した。5000の雇用主を対象に聞いたところ、140万件のゼロ時間契約が交わされていることが分かった。250人以上の従業員を持つ企業の約半分が利用していた。
オズボーン財務相のかつてのキャッチフレーズは「私たちはみんな同じ状況にいる」だった。だから、経費削減になっても、生活が苦しくなってもがんばろうというメッセージである。
しかし、光熱費、食費などが上がる一方の中で、公的サービスが削減され、フードバンクが人気となった状況に暮らす国民にとって、裕福な家庭出身者が多い保守党閣僚らと自分たちが「同じ状況にいる」ようには見えない。
■ どうなる5月総選挙
5月7日の総選挙まで いよいよあと2ヶ月弱となった。各政党は支持者の取り付けに躍起だ。党首が学校や工場を回る様子をメディアが連日報道する一方で、他党のスキャンダルを見つけようと懸命だ。
複数の世論調査によれば、保守党と労働党が首位を競う。「ポピュラス」調査(1月19日付)では保守党支持が30%、労働党が33%、自民党が8%、UKIPが13%、ほかが8%。「ユーガブ」調査では保守党が31%、労働党が32%、自民党が7%、UKIPが18%、その他が12%である。現時点では労働党がやや有利だが、保守党との差があまりにもわずかであるため、まだまだ安心はできない。
躍進が期待されているのがUKIPだ。同党は下院の議席は2つしかない。1つは補欠選挙で得たものであり、1つは保守党議員の鞍替えによる。党首自身が欧州議会議員である。これまでの政治界の常識から言えば「外側」にいる、無視できる存在であったはずだ。
しかし、EUへの懐疑や移民のこれ以上の流入を懸念する国民の本音を代弁してくれるファラージ党首とUKIPは、いまだに大手メディアの政治報道では「際物」扱いではあるものの、二ケタ台で議席を獲得しそうだ。支持率だけ見ると、UKIPはすでに第3党の存在だ。現在、連立政権に参加している自民党の座を奪ってしまった。(UKIPをどんな人が支持しているのかについては、東洋経済オンラインの筆者記事をご参考にされたい。)
自民党は5月の選挙に生存をかける。現在50を超える議席を持つが、これが大幅に減少して30台に落ちるようだと、もし次回も絶対多数を取った政党がなく連立政権が発足する場合でも参加できなくなる可能性があるといわれている。逆に、政権参加をする・しないにかかわらず、二ケタ台の議席を押さえたUKIPが発言力を大きく増すことになる。
キャメロン首相は、英国がEUに継続して加盟するかどうかを問う国民投票を2017年に行うと述べている。ただし、保守党が単独政権となった場合である。国民は「但し書き」がつくことが気に入らず、何故もっと早く国民の意を聞かないのかと大きな不満を持つ。UKIPに票が流れることを恐れる保守党上層部は、「2016年に開始案」も模索中だという。いずれにしても、EUに不満を持つ多くの国民の気持ちを満足させる答えになっていない。
高い支持率を持つかに見える労働党だが、エド・ミリバンド党首の人気がぱっとしない。労働組合の支持を受けて党首に就任したことから、「赤いエド」とも呼ばれ、企業活動に支障をきたすような政策を実行するのではないか、大胆な財政出勤をすることで負債を増やすのではないかという懸念を国民が持つ。「バラマキ予算の後でツケを負わせられるのはいやだ」と街頭インタビューで答える人をよく見かける。投票日から2ヶ月で、ライバル政党との差が「数パーセント」というのでは、絶対多数を取れないだろうという見方が強い。
■ SNPが台風の目か
調査では「その他」に入っているものの、注目どころはスコットランド国民党(SNP)の動きだ。現在は下院では6議席を有するのみだが、総選挙ではスコットランドに当てられた59議席の中で54議席ほどを獲得するという予測がある。そうなれば、SNPこそが第3党となり、連立政権を組むことになるかもしれない。
第3党の座を巡る戦いとも言える今回の総選挙。ただ、保守党、労働党、自民党という現在の3大政党と、UKIPやSNPには大きな違いがある。後者は国民の声を元に政治を実現しようとしている印象がある。
UKIPもSNPもかつては少数政党だった。スコットランドでは政権党となったSNPは独立運動ではいったんは後退したものの、地元スコットランド市民の声に耳を傾け、市民のために政策を実現しようとしている。
UKIPは「反EU」「移民問題」という、既存政党が正面からは取り上げようとしない、かつ国民が解答を要求する問題にとりくむ。しかし、反EU,反移民は人種差別や内向き政策にもつながる危うさがある。EU離脱は現実問題として大きなビジネス上の不利益をもたらす可能性もあろう。また、英国がEUから離脱すれば、EUの性質が大きく変わる可能性もある。
スコットランドの独立にもさまざまな不安定要素がある。独立推進派は「欧州の中のスコットランド」として進むことを望んでいたが、混迷のEUに加盟することへの意味合いやポンドとユーロの関係(ポンドを継続して使えるのかどうか、ユーロを採用するのか)も考慮する余地があるだろう。また、SNPは英国が保有する唯一の核兵器である、潜水艦発射弾道ミサイル「トライデント」システムの廃止を訴えている。英国が核兵器を持たない国になることは英国のみの問題ではなく、国際社会に大きな影響を及ぼす。これまでの英国の防衛政策の大転換ともなり、国民的議論が必要だろう。
(「週刊東洋経済」3月2日発売号の筆者記事に大幅加筆・補足したものです。)
(2015年3月14日「小林恭子の英国メディア・ウオッチ」より転載)