トルコのイスタンブールに行く機会があったので、黒海沿岸のシノップを訪ねてみた。2011年の福島原発事故後、日本から輸出されることが初めて決まった原発の予定地として「シノップ」という名前は聞いていたが、何も知らずに、とにかく国内便の飛行機で1時間、着いてみればそこは「黒海の真珠」と呼ばれる、それはそれは美しいリゾートの町だった。
「わしらはずっと原発に反対してるよ、でも政府から意見を求められたことなんていちどもないがね」。シノップ漁港に面した観光客用の野外カフェで、漁協代表のアリ・バイラックさん(66) が語る。漁港は原発から16キロメートル、予定地の沿岸はよい漁場で、スズキやイワシが捕れる。先祖から引き継いだ漁場を子孫にも残したいと言う。
■ チェルノブイリ事故の影響か
シノップの港
1986年のチェルノブイリ原発事故の影響で、トルコの黒海沿岸ではガンによる死者が増加しているという。北風に乗ってきた放射能が雨とともに降り注いだ。漁への影響を尋ねようと、「チェルノブイリの影響は?」との質問を投げると、「うちのじいさんがガンで死んだよ」「友人が死んだ」「親戚が死んだ」と漁師さんたちは口々に、亡くなった周囲の人たちの話をする。「そうじゃなくて、魚が売れなくて困ったんじゃないですか、それとも禁漁になりましたか」「誰も放射能の測定なんかしない、誰も禁止なんて言わない。地元で危ないんじゃないかという噂(うわさ)が立ったころには、とっくにイスタンブールへ魚を売りさばいた後だったよ」
今年3月まで私は三重県に住んでいた。
原子力発電所の建設を撤回させた南伊勢町の漁師さんたちの顔が浮かんだ。「日本では漁業権というのがあってね、漁師さんたちが同意しないと原発は建てられないんですよ」。遠く離れた国のことでも、同業者の事情には興味がわくらしい。漁師さんたち、身を乗り出して聞き入る。「芦浜というところに原発計画があったのを、漁師さんたちが座り込んで、逮捕者まで出して止めたんですよ」
「わしらも闘いたい、でももう2006年から8年も運動を続けていて疲れてきたよ」
とアリ・バイラックさんがいう。
そこで今度は、原発計画がある山口県上関町の例を持ち出した。「みなさんもご存じのヒロシマの近くに祝島というところがあってね、そこではもう20年以上も毎週月曜日に漁師さんの反原発デモが欠かさず続いているんですよ」「それはすごい!月曜日の何時から何時まで?何時間かけてやるのかね」。いちど訪ねただけでそこまでは知らない。
■ 国超え漁師が交流できたら
シノップの漁師らと筆者(右)
日本の話に大いに盛り上がった漁師さんたちだが、突然、そのうちのひとりが、何かよいアイデアを提案したらしい。皆の顔がパッと明るくなった。イスタンブールから同行して通訳をしてくれているプナール・デミルジャンさんも興奮気味に訳してくれた。彼女は東京に2年間留学した経験を持つ、日本語のできる反原発活動家だ。「ここへ三重の漁師さんを連れてきて、一緒に話し合いましょう、と言ってますよ」。そこへひとりの漁師さん、「宿はうちに泊まってもらえばいい」。今にも部屋の準備でもはじめそうな勢いだ。
そこですかさず私、「実はね、三重の漁家の人を祝島へ連れて行って原発について話をしてもらったことがあるんですよね。ふたつの場所、とても遠く離れているんですよ」「じゃあ、ぜひシノップにも来てほしい!」
私は、単に原発予定地の様子を調査するためにトルコに来たつもりだったが、何だか日本とトルコの国際交流の布石を敷いた形になってしまった。
それにしても、と後からしみじみ思った。私はベトナム市民社会研究を専門にしている。ベトナムにも、日本の原発が建つ予定の漁村があるが、何と状況が違うものか。漁港のそばに、シノップのように観光客用の瀟洒(しょうしゃ)なカフェテラスがないのは仕方ないにしても、ベトナムでは、漁師さん数人と日本人ひとり、通訳者を介して「原発は反対だねえ」なんて話していたら、とっくに全員、公安警察に連れて行かれているだろう。
(2014年9月8日AJWフォーラムより転載)