「黒髪が正しい」「それが日本人らしい」なんて言ってる時代じゃない。常見陽平さんと“ファッションの自由”

好きな髪型や服装をして、生きていくためには? ファッションを愛する働き方評論家・常見陽平さんと考えた。

服装や髪型を決める時、職場や学校のことを気にする人は多いのではないでしょうか。

「こういう格好なら馴染めそう」「これなら浮かないだろう」「髪色はこのぐらいの明るさなら許されるかな」などと、周りを見渡しながら決めていないでしょうか。

社会における「服装の規範」は何によって決まるのか。自由な服装で生きていくにはどうすればいいのかーー。

働き方評論家で、労働に関する著書を多数出版している千葉商科大学国際教養学部専任講師の常見陽平さんは、人は所属している場所における「周囲」とのせめぎ合いで服装や髪型を決めていくと指摘します。つまり、「ステークホルダーとのせめぎ合い」が存在していると…。

常見さん自身もファッションが好きで、Instagramには自撮り写真やファッションの写真も公開していますが、その髪型に対してネット上では心ない批判もあるといいます。 

自身の髪型を通じた「社会実験」や、萎縮せずに表現を続けるために必要なことについての考えを聞きました。

 

髪型を通して、相手や社会が見える

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常見陽平さん
AKIKO MINATO/HUFFPOST JAPAN

僕の髪型について、ネット上で「モップ頭」「茶髪豚野郎」と言っている人がいるのは知っています。気にしてませんよ。「逸脱している人」の見た目を揶揄(やゆ)する人は、残念ながらいつもいます。

普段は教員をしていますが、直接誰かに髪型や服装について批判されたことはありません。明るめのヘアカラーを入れるなど「派手な髪型」をしていることについて賛否はあるのかもしれませんが、教員としてあえてやっている面もあります。

「多様性の尊重」が言われる社会においても、「規範から離れたら、何か言われるのか?」という、自分を通じた実験でもあるんです。「逸脱」の参与観察をしているようなものです。

例えば僕は、くせっ毛です。今日は、美容院でブローしてきたので真っ直ぐなんです。湊さん(記者)も、「パーマかけてるんだと思ってました」と言いました。それ、すごくよく言われるんです。正直、「表面しか見てないんだな」と思いますよ。「パーマですか?」と言われることで、どれだけ傷ついてきたことか。しかし、むしろ自分の特徴だと思い、あえて強調することにしました。

社会では「ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と社会的包摂)」が言われるわりには、結局みんな「表面」を見ている。髪型への反応を通して、相手や社会が見えてきます。

 

常に最高の自分で人前に出たい

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常見陽平さん
AKIKO MINATO/HUFFPOST JAPAN

そもそもファッションは大好きです。僕が服装にこだわるようになった理由の一つは、音楽です。小学生の時、友人に高校生のお兄さんがいて、朝の登校で友人の家に行くと、お兄さんが爆音で聞いている音楽が玄関まで聞こえてきました。

そうして出会ったロックミュージックは、抗って、主張する…という湧き上がる衝動を見せてくれました。「俺には世の中がこういう風に見える」という「違う視点」を教えてくれました。

そこから、「もっと自由に生きたい」という気持ちにつながっていきました。どうせ頑張っても100年しか生きられないんだから、1日1日好きな格好で外に出たい。常に最高の自分で人前に出たいと考えています。

 

黒髪やスーツが「正しい」?

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常見陽平さん
AKIKO MINATO/HUFFPOST JAPAN

会社員をしていたのは1990年代から2010年代です。現在より、仕事の場における服装への縛りは強かったのですが、自分らしい服装を大切にしていました。ブランドのロゴが入ったベルトを使ったり、髪にメッシュで色を入れたり、色メガネをかけたりして自己主張していました。見た目負けしている部分もあったと思いますけど、営業先の人で「若い兄ちゃんが頑張ってる。面白い」と評価してくれる人もいました。仕事でもファッションでも「当たり前以上」を基準にしていたので、熱意が伝わったと思っています。

自分の会社員経験を通じて、平成の時代に服装に関する規範がゆるくなっていくのを感じました。スーツにピンク色のシャツという組み合わせは、僕が働き始めたころは「新人は白シャツだ!」と注意されましたし、その先輩たちでも「ギリギリ許される」って感じでしたけど、今では当たり前ですよね。

変化の背景には、SMAPとJリーグの影響があると感じています。SMAPは「アイドルはキラキラでヒラヒラした服を着るべき」という規範を変え、ドレスダウンを実現した。1993年に開幕したJリーグの「チャラさ」も、「真剣な場面では真面目な格好をするべき」という社会規範をひるがえしました。

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ファッションも注目され続ける、サッカー元日本代表・三浦知良選手=2019年2月27日撮影
時事通信社

一方で、令和になっても社会はまだ、「ビジネスパーソンはかっちりした格好をすべき」などといった昭和の価値観を引きずっています。髪型に規定がある学校や、なんとなく髪の色を明るく染めにくい職場もあると思います。それこそ、毛髪の証明書を書かせる学校など、論外だと思っています。

しかし、「黒髪が正しい」「それが日本人らしい」なんて言っている時代じゃないと思いますよ。なぜ黒髪やスーツが「正しい」のか?現代の状況も踏まえた上で、「正しい理由」を説明することはできないでしょう。

 

暗黙の服装規範とステークホルダー

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常見陽平さん
AKIKO MINATO/HUFFPOST JAPAN

サービス業などで制服があった方が顧客にも働く人にも便利なケースはあります。一方、服装が自由とされている職場でも、暗黙の服装規範があることは多い。何が決めているのでしょうか。

例えば、広告代理店で働いている人って、担当している会社が変わると服装の雰囲気がガラリと変わることがあるんですよ。急にカジュアルになったり、ダークカラーのスーツを着だしたりする。相手企業に合わせているんですよね。「先方は、こういうイメージを求めているはずだ」と推し量っている。つまり、装いの自由さって、ステークホルダーとのせめぎ合いなんですよね。

さらに広く言うと、人は所属している場所における「周囲」とのせめぎ合いで服装や髪型を決めていく。「このあたりならいいかな」「こういう格好だと相手に嫌悪感をもたれるかもしれない」といったことを気にしている。

しかし実は、ステークホルダーは何も考えていないということは往々にしてあります。服装や髪型が変わったところで、相手の感じ方は何も変わらないことも多い。つまり、スーツから私服に変えたところで、成果が上がったり・下がったりする訳でもないと思うんですよ。 

僕は別に、髪を染めたり、派手な格好をしたりすることを勧めている訳ではありません。表面のことに過ぎない面もありますから。でも、「やりたいならやれよ」と思います。やりたくてやっていると、「面白い」と評価してくれる人がいるものです。

 

何もかもが無難になっている

以前、「あいちトリエンナーレ」についての座談会で話したのですが、この10〜20年の間に、政治、芸術、社会全体が衰退していると感じています。何もかもがどんどん無難になっていって、気がつけばマネタイズできる「感じのいいもの」ばかりになってきた。これは、「みんなで歩む衰退の道」だと思います。(座談会は、『あいちトリエンナーレ「展示中止」事件』編・岡本有佳、アライ=ヒロユキ/岩波書店、に掲載)

一番怖いのは「自主規制」ですよ。あいちトリエンナーレをめぐっては、様々な論点や議論が混在しました。その結果、混乱して判断かつかなくなり、人々の間に「こんなこと言っちゃいけないのかな」という発言への萎縮が起きたように感じました。

大切にしている言葉があります。大学時代にフランス語を教えていただいたフランス文学者の海老坂武先生が、福島の原発事故について日本経済新聞の取材に話した言葉です。記事の中で海老坂先生は、「原発を批判する文章を一つも書かず、発言も全くしてこなかった」ご自身について、「原発に関しての知識も勉強も不十分だから発言しなかったのですが、それは間違いだった気がします。問題を専門家だけに委ねていてはだめだ。素人は素人なりにここまでは言えるということがあると思うんです」と語っていました。(インタビュー記事は日本経済新聞、2011年5月28日夕刊に掲載)

もちろんヘイト発言は決してしてはいけないし、何かを発言するにあたっては勉強も必要だとは思います。しかし、発言や表現をせずに萎縮しているだけでは権力者や足を引っ張ろうとする人の思うツボです。その時の自分じゃないと言えない、できないこともある。海老坂先生の言葉から改めて、胸をはって意見を言い、議論をしていかないといけないと思わされました。

 

萎縮しないで主張することが、組織を変える

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常見陽平さん
AKIKO MINATO/HUFFPOST JAPAN

大勢とは違う表現をしたり、問題提起をしたり、権力を批判するようなことを発信するのは勇気が必要かもしれませんし、「めんどくさいやつ」と思われてしまうと感じるかもしれません。 

しかし、組織が失敗をするのは、「それは違う」「おかしくないですか?」って言う人がいなかった時なんですよ。声をあげたいけど勇気が出ない人には、「『違うぞ!』と手をあげて、組織を変える人は君かもしれないんだよ?」と伝えたいですね。企業の腐敗は声をあげないことによって起こっていくのです。

僕自身も、「あいトレ」をめぐる一連の騒動を受けて、改めて萎縮しないで生きようと思うようになりました。2020年は、インディーズバンド「カニコウセン」の音源をリリースします。「表現の不自由」や「生きさせろ」などと連呼する曲を歌いたい。権力への批判や、突き動く衝動を表現したいです。「お前がそんなことやるな」と言われそうですが、気にしません(笑)。気にしてしまったら、それこそ「萎縮」ですよね。

 

常見陽平(つねみ・ようへい)

1974年生まれ。働き方評論家、千葉商科大学国際教養学部専任講師。リクルート、バンダイなどでの勤務を経て2015年より現職。働き方をテーマに執筆、講演活動をしている。著書に「僕たちはガンダムのジムである」(日経ビジネス人文庫)、「なぜ、残業はなくならないのか」(祥伝社新書)など多数。2019年には「僕たちは育児のモヤモヤをもっと語っていいと思う」(自由国民社)を出版した。