「鮮魚列車」が走った築地市場 83年の歴史に幕
世界最大級の水産物卸売市場、築地市場が6日の営業を最後に、83年の歴史に幕を閉じます。
築地市場を上空から眺めると、建物が虹のように湾曲しているのは、貨物列車が走っていた名残です。昭和初期の物流の主役は鉄道。築地市場は、貨物列車で魚を運び込めるように建てられたので、レールに沿って建物が湾曲しているのです。市場正門から約400メートル西に、当時の踏切の信号機が1基だけ残っています。
江戸時代から大正末まで、魚市場(うおいちば)は日本橋にありました。その頃、魚は船で運んでいました。しかし、物流の主役が鉄道になり、日本橋は時代遅れになってしまいました。大正時代末の関東大震災で日本橋の魚河岸が壊滅し、貨物列車に対応できる築地市場が生まれたのです。
当時最新の冷蔵庫や冷凍庫を備えた築地は、世界最先端の魚市場でした。しかし、その後、トラックが物流の主役になりました。築地は、改修を続けて対応してきましたが、建物も老朽化が進みました。そこで、移転先として整備されたのが豊洲市場なのです。
(朝日新聞デジタル 2018年10月06日 01時15分)
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