【LAXIC学生編集部発】男女共同参画社会を推進するパイオニアを輩出(前編)

津田塾大学の創立者津田梅子を研究する学長に聞く。

ラシク・インタビューvol.91

津田塾大学学長 高橋 裕子さん

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昨年、津田塾大学の学長に就任された高橋裕子さん。大学院生活を終えて社会人になったのが32歳。その後、子育てと介護も経験しながら、研究者としてのキャリアを歩んできたそうです。津田塾大学の助教授として母校に戻ってきた頃は、子育てと介護の真っ最中だったとのこと。学長になるまでの長い道のりの中で、何を考え、どう乗り越えてきたのか。研究者になった理由からライフイベントの体験談、そして今後の展望まで、お話を伺いました。

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日米での大学院生活を経て32歳で社会人に

「人と同じじゃなくてもいい」と進んだ9年間の院生活

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学生編集部:高橋学長はなぜ大学の教員になろうと思ったのでしょうか。

高橋学長(以下、敬称略。高橋):津田塾大学で大学生生活を送り、壇上で教鞭を執る先生たちを見て、自分ももしかしたら先生たちのようになれないかな、と思ったのです。大学三年生くらいから、大学院に進学しようかとぼんやりと考え始めましたが、当時はそれがどれほど長い道のりになるかについてはあまり考えていませんでした。また、大学一、二年生のときに大企業でアルバイトをした経験も、今後どのように生きていくかについて考えるきっかけになったと思います。会社で出会った女性は管理職に就いている方はほぼ皆無で、補助的な業務が中心でした。でも津田塾大学に戻ってみると、女性の教授や管理職の職員が多くいらっしゃいます。普段見ていたその風景を、違った角度から捉えられるようになったのです。

学生編集部:当時、大学院進学する女性は少なかったのではないでしょうか。

高橋:そうですね。当時、私が所属していた10数人のゼミで1人でした。

私は1980年に大学院に進学し、筑波大学とカンザス大学で修士号を取り、89年にPh.D.を取得するまで合計で約9年間大学院生活を送ることになりました。結果として、他の人たちと比べて10年遅れて32歳で社会人になりました。皆と違うトラックを歩いていましたが、人と同じことをしなくてもいい、同じじゃなくてもいい、という思いをもたせてくれたのは津田塾大学の4年間だったと思います。大学院生の頃に津田梅子の書簡が発見されて、博士論文で津田梅子や女子大学の研究に取り組み始めました。このテーマが私のライフワークとなりました。

学生編集部:9年間の大学院生活はかなり長いと思うのですが、途中で揺らがなかったのでしょうか。また「結婚・出産」については当時どう思っていらっしゃいましたか?

高橋:修士課程を日本とアメリカ両方で合計4年間、学びました。博士課程を始める前の半年間は日本に滞在していて、青年海外協力隊の研修所で、短期間、英語を教えたりもしていたので、長くなったのですが、Ph.D.は帰国するまでに終わらせようと思っていました。「結婚・出産」を具体的に考える余裕はなかったかなぁ。

学生編集部:私の周りには、結婚も育児もしてそのまま働き続けたいという目標を持った学生が多いのですが。

高橋:私も、仕事をしながら、結婚もして出産もして...... というイメージはなんとなくあったかもしれませんね。

中高年になってから評価される、輝けるものを持ちたい

ロールモデルとなるような40代以上の女性に出会えた学生時代

学生編集部:大学時代は、どのくらい自分のキャリアについて考えていたのでしょうか。

高橋:私が大学生だったのは1970年代です。当時は、若い女性アナウンサーは政治のニュースは読ませてもらえず、番組のアシスタントか天気予報を担当するぐらい。そしてこれは今もそうですが、中高年の女性が積み重ねた知見を活かし発信するような場面はメディアでは多くはありませんでしたね。

当時大学生だった私は、男性は色々な経験を積み重ねて、評価されるのに対し、女性は外見などの身体的な魅力に焦点がおかれることに、違和感を覚えました。

津田塾大学の学生時代に出会った女性の先生方は、中高年になって評価される、輝けるものを持っているいぶし銀の女性のイメージとでも言えるでしょうか。その影響は大きかったと思います。

学生編集部:先生は、大学生の頃からずいぶんと長期的視点で女性の人生を見ていると思います。どうやったらそのような視点を持てるようになるのでしょうか。

高橋:実際に活躍している女性に日常的に触れることができたからです。ロールモデルにしたい女性の先生の授業は一番前の席に座って、どうやってここまで来たのか、どのように研究の道を切り拓いたのかなど、関心を持って聴いていました。

また、院生時代、津田塾大学の図書館でリサーチをしに帰国していた際に、津田塾大学の元学長であった藤田たき先生の講演会に行き、その後、ご自宅へインタビューに伺ったこともあります。当時、藤田先生は80代でいらしたでしょうか。様々な困難を乗り越え、力強く人生を切り拓き、生き抜く女性像が目の前に存在するということは、まさに津田塾大学の伝統の根幹だと感じました。

 (後編に続く)