アメリカの雑誌、『ニューヨーカー』といえば、思い出すのはジェームス・サーバーだ。
若いころ、彼の描く犬や人物の頼りないタッチの絵や、素うどんみたいな味わい深い短編が大好きだった。
その『ニューヨーカー』の漫画家、Tom Taroさんの作品が採用された経緯の書かれた記事がとても印象的だったので紹介したい。
(漫画家はいかにして最初の作品を売ったか? たった、610回!のトライしただけ)
以下、記事の要約。
Tomさんは、高校生の時、卒業生総代を務めるようなできた青年で、エール大学に入り、学部終了後すぐに、ニューヨーク大学の映画専攻にうつった。
エールの頃も漫画は書いていたのだが、漫画を職業にするつもりはなく、キャリアとして映画を選んだのである。
しかし、ある日突然、映画は自分には向いていない、自分は間違ったところにいると気がつく。
そして、学校をやめて、家に帰ってしまう。順調に人生を歩いていた息子の、突然の帰宅。将来のあてもない。家族はさぞ落胆しただろう。家族で囲む食卓は暗かったそうだ。
Tomさんは、ある日、古本のセールで、段ボール箱いっぱいの古い『ニューヨーカー』を買う。
そして、『ニューヨーカー』の挿絵 ― きっと、そこには、サーバーのものもあったのだろう ― を眺めているとき、何かが彼の心をClickした。
彼は再び、漫画を描き始める。
描いたものを『ニューヨーカー』に送ってみた。
もちろん、不採用。
しかし、何度も何度も、漫画を描いては、『ニューヨーカー』に送った。
担当者に直接会いに行って、「面白くない。まだまだ」とダメ出しされたこともある。
彼は度重なる不採用にもめげることなく、ファイトを燃やして描き続けた。やがて、自分のスタイルをみつけ、徐々にそのクォリティをあげていく。
そして、610枚目にして、ついに彼の作品が採用される。その作品がこれだ。(元記事の最後近くに掲載されているカウボーイが出ている作品。添えられてる英語の意味は、「おい、えらくガニ股のカウボーイがいるぞ」である。)
作家や芸術家が、世に出る前に、いかに編集者などから拒絶されてきたかという話はたくさんある。
610回という回数は、そういう人たちから比べれば、まだ、驚異的とはいえないのかもしれない。おそらく、元記事のタイトルに「Only」という単語が含まれているのも、そういうことも含意されているのかもしれない。
しかし、たかが、610回。
されど、610回である。
一日ひとつとすれば、2年近くかかる計算になる。
エリートコースを歩いてきた若者が、家にいて、一銭も稼がず、ただただ漫画を描く。
並大抵の覚悟と意志でできることではない。
なに、何度やっても、できないって?
610回、やったのか?
Tomさんが、そう教えてくれる。
さあ、がんばろう。
PS. 『20代から50代まで、年代とともに変わっていった僕の仕事観』というタイトルで、リクナビNEXTトジャーナルさんに寄稿させていただいています。そちらもお読みいただければ喜びます。
(2015年1月27日「ICHIROYAのブログ」より転載)