昨年の米大統領選挙中、ロシアから米民主党全国委員会などへのサイバー攻撃を次々成功させたロシア連邦保安局(FSB)のサイバー担当者たち。
さぞかし達成感に浸っているだろう、と考えるのは「間違いだ」とロシア情勢に詳しいエミリー・タムキン氏が1月13日付の米外交誌『フォーリン・ポリシー』電子版に書いている。
実際は、全く逆にFSB情報セキュリティセンター長のアンドレイ・ゲラシモフ氏は近く解任の見通しだというのだ。
いや、それにとどまらなかった。ゲラシモフ氏の部下らが次々と逮捕され、大物の元FSB高官が変死を遂げる、といった奇怪な事態が起きていることが西側メディアでも伝えられている。
FSB幹部に「国家反逆罪」
昨年12月以降、逮捕されたのは、FSB情報セキュリティセンター(TsIB)の副センター長、セルゲイ・ミハイロフ大佐とその部下のドミトリー・ドクチャエフ少佐らだとロシアの独立系メディアが報じていた。
罪名は「国家反逆罪」。米紙『ニューヨーク・タイムズ』によると、ソ連崩壊後FSB内で国家反逆罪で逮捕された最も地位が高い人物といわれる。
拘束されたのは2人にとどまらない。3人目として確認されているのは、カスペルスキー研究所の専門家、ルスラン・ストヤノフ氏。
同研究所はウイルス対策分野で豊富な経験を持つスペシャリストが多く、世界各国でサービスを提供しているが、実はFSBのサイバーインテリジェンスも担当している。
さらに国家反逆罪専門家とされるロシア人弁護士、イワン・パブロフ氏が西側メディアに、4人目として彼の顧客(氏名不詳)も逮捕されたと明らかにしている。
英紙『ガーディアン』によると、ハッカーグループとして知られる「シャルタイ・ボルタイ」のリーダー、ウラジーミル・アニケーエフ氏も逮捕されたと伝えられる。
ただ彼の場合、前記の3人に連座したかどうかは明らかではない。
他方、米国の対ロシア・東欧プロパガンダ放送「自由ヨーロッパ放送」は、逮捕者は全部で6人と伝えている。
ロシア政府当局からの発表がないため確認できないが、容疑は「情報漏洩」とされ、昨年の対米サイバー攻撃の内幕に関して米情報機関に情報提供した疑いがもたれているようだ。
ロシア情報機関による対米サイバー攻撃について、オバマ米大統領は調査を命じ、報告書を公表するとともに、対ロ制裁措置を発表した。
その調査では、米中央情報局(CIA)はFSB内部などに潜り込んでいた米側スパイの協力を得ていたようだ。実際、人的情報(HUMINT)がなければ、事件の全容を掴むことはできなかっただろう。
変死幹部はCIAの情報源か
しかし、それよりもっと深刻とみられるのは、英紙『テレグラフ』1月27日付電子版などが伝えた国営石油会社ロスネフチの幹部、オレグ・エロビンキン氏が昨年12月26日、変死体で発見されたことだ。
彼は、プーチン・ロシア大統領の側近で国営石油会社ロスネフチ会長、イーゴリ・セチン氏の補佐官だった。
彼は、セチン氏とプーチン大統領の間の連絡官とされ、トランプ米大統領が引っかけられたロシアによる「ハニートラップ」事件などについて記述した「トランプ文書」の情報源の1人だった可能性があるとみられていた。
この文書の2016年7月19日の報告では、筆者の英秘密情報局(MI6)元ロシア部長、クリストファー・スティール氏(52)は「セチン氏に近い情報源がトランプ氏の支持者とモスクワの間の関係について明らかにした」と伝えている。
彼の直接的な死因は心臓発作として片付けられたが、遺体が発見されたのはモスクワの自宅近くに駐車したレクサスの車内。
「遺体はFSBの遺体安置所に送られた」(ノーボスチ通信)といわれる。西側メディアは殺害された疑いもあると騒いでいる。
同紙によると、ロシアの治安機関に詳しいブルガリアのシンクタンク、リスクマネジメント研究所のクリスト・グロゼフ氏によると、エロビンキン氏は「セチンの金庫番」あるいは「プーチンとセチンの間の連絡係」ともいわれていたという。
エロビンキン氏はソ連時代の国家保安委員会(KGB)、さらにその後継機関のFSBでも計20年間にわたって国家機密の漏洩防止を担当していた。
セチン氏の側近だったことから、エクソンモービル社会長だったレックス・ティラーソン国務長官や、米大統領選挙中トランプ陣営の「外交顧問」をしていた実業家カーター・ページ氏とも面識があったのは確実、とみられる。
ページ氏は2016年7月にモスクワでセチン氏と秘密会談をしたことが知られている。
続く米情報機関のリーク
トランプ氏は依然、プーチン・ロシア大統領批判を避け続けている。
2月5日、保守系FOXテレビで保守派のキャスター、ビル・オライリー氏が「プーチン氏は人殺しだ」と言うと、「人殺しはたくさんいる。米国にも多数いる。わが国は罪がないか?」とまで発言して波紋を広げた。
このようにトランプ氏がロシアに仕掛けられた「ハニートラップ」で脅されていたのであれば辻褄が合う発言が今も繰り返されているのだ。
その内容を記した前述のクリストファー・スティール氏作の文書の信憑性が証明されるかどうかが今後のトランプ政権の行方を大きく左右するだろう。
スティール氏は命の危険を感じてか、家族とともに自宅を出たまま今も行方不明。
しかし、報告書コピーは旧知のアンドルー・ウッド元駐ロ英大使を通じて、ジョン・マケイン米上院議員(共和党)に渡り、さらに米情報機関幹部にも届けられた、と英紙『ガーディアン』は伝えている。
その後、米国の6情報機関が報告書の内容を確認する作業を続けている(今年1月の本欄参照)。
『ニューヨーク・タイムズ』の報道によると、トランプ選対の幹部が選挙期間中繰り返しロシア情報機関と接触していた証拠が確認されたという。
そんな中、マイケル・フリン前補佐官(国家安全保障問題担当)が昨年末にロシアのセルゲイ・キスリャク駐米大使と電話していたことがバレた後、辞任した。
この問題も、当時のオバマ政権が在米のロシア情報機関員の国外退去を命じたのに対して、プーチン大統領が報復措置を取らなかったのは奇妙だとして、盗聴機関、米国家安全保障局などの情報機関が調査した結果分かった事実だった。
いずれも、情報機関が突き止めた事実をメディアにリークして、トランプ政権が追い込まれる結果となっている。
それに対応するため、トランプ大統領が「インチキ報道」などとしつこくメディア批判を続けているのが現在の構図だろう。
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春名幹男
1946年京都市生れ。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒業。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授を経て、現在、早稲田大学客員教授。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『スパイはなんでも知っている』(新潮社)などがある。
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(2017年2月24日フォーサイトより転載)