米国のトランプ「次期」大統領と台湾の蔡英文総統が電話会談を行ったニュースが流れたことで、台湾に漂った空気は、必ずしも中国を出し抜いて「してやったり!」とする拍手喝采ではなかった。
むしろ安堵であった。
それは、トランプの発言が、台湾人がずっと感じていた不満・疑問に、一応の納得のいく「正論」で応えていたからだった。
「台湾問題は米中関係の最重要課題」
トランプはツイッターで「米国が台湾に数十億ドル規模の軍装備品を売っていながら、私は祝いの電話を受けるべきではないというのは興味深い」と述べた。これは、台湾の人々にとって、かなり大きな意味があったと思う。
台湾は米国から多額の武器を買っている。米国の報道によれば、「2010年以来、台湾は米国から140億米ドル(1.6兆円)の武器・装備を購入していることが、議会に報告されている」という。この数字は台湾側が公表している数字ともほぼ一致している。
これは日本の米国製武器調達の金額の数倍に達するだろう。年間予算7兆円弱の台湾で、国防予算は1兆円程度である。そんな台湾の予算規模からすれば、ふさわしいとは言えないぐらいの金額である。そのため、台湾の国防部は普段はかなり涙ぐましいほど倹約に励まなくてはならない。それでも米国製武器を購入するのは、中国という脅威に直面するなかで、どうしても軍備のクオリティを落とすことができないからだ。
いま世界で台湾に武器を売っているのは米国だけだ。かつてはフランスがミラージュ戦闘機を売ったこともあったが、1990年代にフランス製海軍艦船の売却問題が一大汚職事件に発展してから手を引いてしまった。ほかの国は中国に配慮して台湾に武器を売らない。
一方、米国には1979年に台湾と断交するとき定めた「台湾関係法」があり、台湾に「防御性の武器」を提供する法的根拠になっている。もちろん、米国が中国の抗議にひるまない超大国だから可能なことでもある。中国が米国に対して口を酸っぱくして「台湾問題は米中関係の最重要課題だ」と言い続けるのは、中国の「国家統一」の最終目標である台湾問題の解決を米国が阻んでいるとの主張からだ。
しかし一方で、米国は台湾に対して、かなり高額で時代遅れの兵器を売っているとされる。私には正直、兵器の適正価格について論じる深い知識はないが、少なくとも私が過去に取材した台湾の国防関係者の多くはそんなことを口々に語っていた。
売り手と買い手の「正論」
台湾では、米国の軍事コンサルタントやロビイストらしき人間がうろついているホテルがいくつかある。私が台湾にいた8年ぐらい前は「西華飯店」がそうだと聞いた。台湾はいいお客さんなのである。
しかし、米国はいつも「買ってくれてありがとう」と台湾には言わない。「中国からは批判も出ているのに、売ってやっているんだよ」と言わんばかりである。究極の売り手市場だからできる態度だ。
例えば、戦闘機については、台湾は2世代前のF16A/Bを主力戦闘機としているが、台湾の度重なる更新要求に米国は頑として応じず、F16C/Dへのアップグレードで済ませることを台湾に飲ませ、さらに、新規購入並みの金額を要求したとされる。そして、台湾には農・畜産品の市場開放を無理強いするなど、その態度はかなり高圧的で横暴に見える。
台湾の世論調査で対米感情が決して良いとは言えないのは、こうした米国の嫌な一面を日本人よりリアルに見ているからではないだろうか。
それが、今回、トランプは台湾を「いいお客さん」と評価した。だから電話を取らないと失礼にあたると。これこそ売り手と買い手の関係における「正論」であり、台湾人が心の中で求めていた言葉だった。
蔡英文が外交的によくやったとか、中国にひと泡吹かせたとか、そんな表面的な論議だけでは、台湾人の心情を十分に語り尽くしていないところがある。
いずれにせよ、この電話会談は、トランプ当選後、最も国際的な反響を呼んだ事案ではないだろうか。世界中のメディアが速報で報じ、多くの一流紙が1面トップで詳報した。
台湾のニュースが1面のトップになるのは、4年に1度の総統選と相場が決まっている。しかし、2015年11月の習近平・国家主席と馬英九総統の中台トップ会談も1面トップになり、今年1月の総統選での蔡英文当選も含めて、およそ1年で3度も1面トップになるのだから、台湾問題をやっている人間としては専門家冥利に尽きる1年になった。
根拠のない論議
だが、やはりここで考えなくてならない問題がいろいろ出てきた。それは「1つの中国」という世界に、我々は果たしてどこまで付き合わなくはならないのか、という本質的な問題である。
この電話会談が米中関係に悪影響を及ぼすとして、ホワイトハウス、米民主党、米メディアから批判の大合唱が起きた。しかし、一体全体、トランプのしたことのどこが悪いのか、それを論理的に説得力ある形で説明している者はいない。あるのは「中国が怒って米中関係が悪化する」という話だけだ。
今回、トランプは(もちろん蔡英文も)、何ら国際法に反することや、米国や台湾の関係法令に反すること、ましてや、米中関係や米台関係の外交上の原則を壊すようなことをしたわけではない。トランプが就任後に蔡英文と電話会談を行ったなら、もちろん大ごとだ。しかし、彼はまだ私人である。
また、トランプが蔡英文のことを「台湾総統」と呼んだことも批判された。米国の政府高官は台湾総統を「台湾の指導者」と呼ぶことが多いからだ。
しかし、電話で蔡英文は彼女の正式な職名である「中華民国総統」とトランプに名乗ったはずで、それに対して、トランプは「台湾総統」と彼女を呼んだ。これは、ある意味で「1つの中国」への理解を示したことにならないだろうか。
もしもトランプが蔡英文を「中華民国総統」と呼んでいれば、もっと深刻な問題になっただろう。我々も普段から蔡英文のことを「台湾総統」と呼んでおり、新聞でも「中華民国総統」とは書かない。
「中華民国」を使うことが「中国の国家分裂に加担する」という理由で、中国から抗議されるため、日本を含めた各国のメディアでは「台湾総統」になっているのだ。だからトランプが呼んだ「台湾総統」という呼称は、それ自体大きな問題ではない。
要するに、米国の一部メディアや民主党は、「1つの中国」の受け入れを国際社会に求める中国に配慮してきた過去の「暗黙の了解」を壊したことが中国を刺激するから米中関係にマイナスだと批判しているだけで、それは単に「現状維持」が望ましいという国際法上の根拠のない論議に過ぎない。
中国の狙い
トランプの行為に、こうした「1つの中国」に対する人々の固定観念と自己規制を蹴り飛ばす効果があったのは間違いない。
多くのメディアが、「中国の反発が予想される」と書いた。それはそうだろう。
しかし、そんなことは一般の読者でも思いつくことだ。低気圧が来れば雨が降るのと同じである。
そこで曇りになるのか大雨になるのかを見極めるのが報道の意味であるが、たいていは「中国は反発することが予想される」で終わってしまっている。そして実際に、中国はその通り抗議する。
ある意味で「予想される」と書かせることが中国の狙いでもある。それは「1つの中国」が、中華民国との内戦に勝利するための「プロパガンダ」だからだ。
そもそも「1つの中国」問題とは、中華人民共和国と中華民国がいまも事実上の内戦状態にあることと関係している。中国は「中国はこの世に1つしかない。そして、それは中華人民共和国である」と主張している。
戦後、最初の国連の加盟国は中華民国で常任理事国でもあったが、1971年に中華人民共和国が国連に加盟してコインの表裏がひっくり返り、日本は翌72年に中華民国と断交し、米国も79年に断交した。その他の国々もだいたい70--80年代に中華民国と手を切って、中華人民共和国と国交を結んでいる。
その際、中国が要求するのが「1つの中国」原則への同意・受け入れである。同意した国もあるが、日本は「理解し、尊重する」とし、米国は「認識する」とした。国によって温度差があり、すべての国が中国の主張をそのまま丸呑みしているわけではない。
新しい「中台関係」の思考
考えてみると、台湾も「1つの中国」を主張していた時代ならばまだしも、いま台湾はすでに大陸反攻を諦め、事実上、「1つの中国」を放棄した。現在は中国が台湾に「1つの中国」を要求し、台湾は拒んでいる状況にある。
ならば、「1つの中国」という前提で中国を選ぶか台湾を選ぶかという状況はすでに崩れており、我々が中国か台湾かの二者択一の論法で考え続ける必要があるのか、改めて問い直されていい時代になっている。
トランプがどこまで戦略的に中台関係を考えているのか定かではないが、12月11日にも、テレビインタビューで「1つの中国」について、「なぜ我々は縛られなければならないのか」と疑問を呈する発言を行った。トランプがそれなりに本気だとすれば、我々は備えなくてはならない。
トランプの「正論」は、米中関係や中台関係をこれから相当揺るがすかもしれないが、新しい時代に必要な中台関係に関する新しい思考を我々が始めるきっかけになることは間違いない。
野嶋剛
1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。
関連記事
(2016年12月13日フォーサイトより転載)