11月8日に投開票されたアメリカ大統領選挙で、極端な言動で知られるドナルド・トランプ氏が勝利したことは日本にも衝撃を与えた。アメリカ国民の利益を最優先する「アメリカ・ファースト」を掲げて、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)脱退を宣言している。「日本を守る限り大金を失う」として同盟関係の見直しを訴えたほか、日本の核保有の可能性にも言及している。
人種差別や女性蔑視とも取れる発言を繰り返してメディアからバッシングを受けていたトランプ氏が、なぜ大統領に当選できたのか。著書『トランプ現象とアメリカ保守思想』(左右社)の中で、アメリカに吹き荒れるトランプ現象を分析した青山学院大学の会田弘継(あいだ・ひろつぐ)教授に聞いた。
■トランプ氏の発言は「アメリカの内側」に向けたもの
11月8日、大統領選で当選確実になったことを受けて演説するトランプ氏
――「トランプ大統領に当確」を知って、まずどういう印象を受けましたか?
そうならないことを願ってはいたけど、こうなる可能性はあると思ってました。「やはりこうなったんだな」というのが、まず抱いた感想ですね。アメリカの人々が抱いている不満や不安は、それだけ大きい。
――トランプ氏が大統領になったことで日本への影響はどれくらいあるのでしょうか?
パニックにならずに、冷静に考えるべきだと言いたいですね。安保問題にしても、TPPなどの経済の問題にしてもそうですね。トランプ氏が大統領に就任するのが年明けの1月20日ですから、まだ2カ月あるわけですよね。その準備期間の間に、彼の動きをじっくり見定めて行けばいいと思います。
トランプ政権が実際に、トランプ氏が選挙で訴えたことをやるのかどうか。どの政権も、言ったことをそのままやることはない。注意しなければならないのは、彼の発言はアメリカの内側にいる強い不満や恐れを持っている人々に向けたメッセージなんです。それをアメリカの外側に向けてくるかどうかはまだ不明です。冷静に考えて行った方がいいと思います。
――トランプ氏がメッセージを発してきた対象はアメリカ人のどんな層ですか?
彼が対象にしていたのは、中産階級の下層部分です。彼の場合は特に白人の労働者階級をターゲットをしていたけど、そうした下層部分の人がマイノリティも含めて抱えている不安が大きいわけです。
通商問題にしたって、サンダース氏も同じだったわけです。彼の場合はトランプ氏のような差別的な発言はしなかったものの、彼も貿易問題やTPPなどに関しては一緒でした。アメリカ社会のグローバル化とか、サービス産業化の中で自分達の行き場が見えなくなってる。その中で「安心しろ」と言ってるわけですよね。
――それはグローバリゼーションへの違和感なんでしょうか?
グロバリゼーションで産業が空洞化したというのは大きいんだけど、それだけではありません。一つは産業構造の大きな変化が起きていることです。脱工業化社会というのは70年代からずっと進んできていて、サービス産業化したわけです。製造業は工賃の安い国々に移りつつあります。先進国はみんな、それを越えた高度な産業、サービス産業でも金融・IT・デザインなどの知識集約型の部分で稼がないといけない。
――AppleやFacebookなどがその典型ですね
その通りです。アメリカの産業もそれで動いてるし、イギリスも金融を中心にしている。日本も全体の6割はサービス産業で働いています。しかし、サービス産業で働く人は2つに分かれてしまっている。高度な知識集約型の産業をする人たちと、それを支える人たちです。
知識集約型の人は、国境に関係なく世界中を移動します。世界の製造業のデザインや情報部門を動かしている。つまり依然として先進国が世界の製造業の中核を担っているわけです。世界の肝心な部分は日米欧のトップ部分の人が握っているわけです。
――たとえばAppleがアメリカのカリフォルニア州で設計をして、中国の工場でiPhoneを組み立てているのはその典型ですね。
そういうことです。しかし、その場合は雇用を国内で生まないわけです。雇用を生むといっても知的集約型の産業の場合は、アメリカ国内で雇用する人数が少ない。たとえばAppleの従業員数は、全世界合わせても10万人程度、フォードやGMなどの自動車会社は部品会社などを含めると100万人規模の雇用を生んでいるのとは雲泥の差です。
――自動車産業を支えたデトロイトも、今ではゴーストタウン化して問題になっていますね。
そうです。五大湖周辺のラストベルトも、今では荒廃してしまっています。そうした生活に不安を抱えている層がトランプ氏を支持したわけです。だから、アメリカ人の多くは知識集約型の産業もしくは、それをサポートする周辺産業に入っていかないといけない。そのためには職業訓練が欠かせないんだけど、うまく行っていない。労働者再教育法を何度も制定しているけど、効果は上がっていません。日本やドイツでは、まだ製造業が下位レベルの製品を作っているけど、これもいずれ立ち行かなくなるでしょう。
先進国はどこも、脱工業化したポストインダストリアルの社会になりました。しかし、実際にはインダストリアルの時代の制度を引きずっています。顕著なのは社会福祉制度です。製造業が盛んな時代に年金制度を作ったり医療保険制度を作ったりした。アメリカはそうやって重厚長大型の産業の時代をフル回転させて、第一次、第二次の世界大戦を戦いました。でも今や労働者が二極化して、社会福祉制度が実情に見合ってないのに続けているから、財政赤字がどんどん膨らんでいっています。製造業はみんな国外に行ってしまっているから、政府に税収が入らないからです。
――社会が制度疲労を起こしているとき、フラストレーションのはけ口としてトランプ氏が人気を集めたということですか?
職を失っただけではありません。この人達は自分たちの未来も見えなくなっています。今や年金をもらえるかも全然分からない。そういう人達に向かってトランプ氏は声をかけているんです。「大丈夫だよ、俺が全部やってやる!」と。もちろん、彼の政策をそのままやったら、大変な赤字が積み重なってしまいますけどね。
■ヒラリー・クリントン氏が嫌われた根幹の理由
11月8日、敗北宣言をするヒラリー・クリントン氏。右は、夫のクリントン元大統領
――なぜ、そうした層にヒラリー・クリントン氏は浸透できなかったんでしょう?
「社会の一部の層だけが儲かっている」と、労働者が二極化したのに加担してきた人間だと、多くのアメリカ人に思われているからです。そして、それは事実です。彼女の夫であるビル・クリントン政権では、銀行業務と証券取引業務の分離を定めたグラス・スティーガル法を廃止して、金融と証券の壁を取り払って金融バブルを招きました。
ビル・クリントンが大統領になった頃は不況が続いていました。そこから、金融やITを中心とする新しい産業国家を築き上げていった。でも、クリントン政権ではいろんな論議があって、このままでは社会が二極化するから、クリントン政権の労働長官も務めたロバート・ライシュ氏という経済学者が90年代の初めからずっと警告を発していました。知識集約型の産業に就く人と、そうでない人にこのままでは分かれてしまうから、誰もが高度な産業に入っていけるような仕組みを作ろうと訴えた。そのために労働者を再教育するというのが彼の提言でした。
しかし、ビル・クリントン氏は政権を取ってからはウォールストリートの金融街と結託してしまい、金融バブルを引き起こして、2008年のリーマンショックを引き起こす元凶となったわけです。それはアメリカでは、誰もが知っているわけです。
――ヒラリー・クリントン氏の背後に、夫のビル・クリントン氏を見てしまう?
はい。「今の社会を作ったのはあなた達じゃないか!」と思っているわけです。そこが彼女が嫌われている根幹の理由ですよ。
――たしかにIT系の産業が発展した西海岸と、金融取引が盛んなニューヨーク州周辺の州はヒラリー・クリントン氏が勝利していますね。
そうですね。そういう海岸部は社会的に潤った人が多いわけだから、ヒラリー・クリントン氏を支持しますよ。東海岸のウォールストリート、西海岸のシリコンバレーは支持しました。でも、それはビル・クリントン政権が作った徒花のようなもので、かつては工業の中心地だった五大湖周辺などの内陸部は置いてけぼりになってしまったわけです。石炭や鉄鋼などの重厚長大型の産業は、もはや振るわなくなっていて、そういう地域は彼女を支持しない。
――そうした置き去りになった地域に、トランプ氏が浸透したというわけですね。
簡単に言うとそうですね。置いてけぼりになった人達に向かって、彼は訴えかけたわけだから。
■多元文化主義に取り残された人々とは
2015年6月にニューヨーク市で開催されたゲイパレード
――トランプ現象を引き起こした背景には経済的な事情の他には何がありますか?
アメリカが理想としていた価値観への反発が広がっていることです。アメリカがグローバリゼーションを進めていく中で、文化的な開放が先進国の間で生まれてくるんですね。1960年代以降は、アメリカを軸にして、多元的な価値を認める社会が実現していきました。
男女平等、人種差別のない、そういう社会を作っていこうと。ものすごくいいことなんですよ。1965年にはアメリカの移民法も改正されて、民族ごとの移民枠の割り当てが撤廃されました。世界のあらゆる国の人が平等にアメリカに入って来られるようになったんです。
宗教が違っても文化が違っても多元文化主義が広がっていきました。これは経済の問題とも関連していて、サービス産業化してビジネスを世界展開する場合には、いろんな人種を取り込みながら仕事していかないといけない。そのために、高度な教育を受けた人間にとって、多元的な価値を飲み込むことが必要不可欠になったわけです。アメリカ資本主義の世界展開の要請として、多元文化社会がアメリカの中に生まれました。それは、グローバル化したアメリカ経済の宿命だったわけです。
ただ、そのスピードについていけない人も出てきました。2004年の大統領選ではジョージ・W・ブッシュ氏が、同性婚反対の人たちの支持を受けて再選しました。しかし、2015年には保守派の裁判官も抱えている連邦裁判所が、アメリカ全土で同性婚を認める判決を下しました。約10年間で、かつては認められなかったことが認められる。すごい勢いでアメリカ人の価値感は変わっているんです。
しかし、社会の上層部でグローバルな仕事をする人にとっては当たり前なんだけど、国内で製造業に携わっていた人にとっては何が起こっているのか理解できません。
――それどころかポリティカル・コレクトネス(政治的に正しいこと)を押し付けられると。
そう。はっきり言うと、そういう人達にとっては多元的な価値観は用がないわけです。社会のエリート層は実利的な意味があるけども、ローカルの人々は取り残されています。多くの中産階級の下の方のアメリカ人にとって「Strangers in my own Country」。すなわち自分の国なのに、外国人のように感じるようになってしまった。
職もなくなり、子供の頃にはありえないような価値観が広がり、物を言えば「それはポリティカル・コレクトネスじゃない」と批判をされる。彼らにとっては意味が分からないわけですよ。その怒りや疎外感にトランプ氏が訴えたわけです。「お前ら、昔の価値観でいいんだよ」「女は豚だよ、それでいいんだよ」と。
――しかし、トランプ自身は、そういうグローバルな価値観を知っているわけですよね。
それは知っていると思います。だから彼の言動というのは、飽くまでも大統領になるための政治的なものですよ。アメリカの社会が分断されていることを知って、その一方の層に訴えることには成功しました。しかし、その分断をどう立て直すかという思想があるようには見えない。彼が今後、どんな大統領になるのかはまだ想像できない部分が大きいのでしっかり見極めたいですね。
■会田弘継氏のプロフィール
1951年、埼玉県生まれ。共同通信社ワシントン支局記者、ジュネーブ支局長、ワシントン支局長、論説委員長を歴任。現在、共同通信社客員論説委員、青山学院大学地球社会共生学部教授。主な著書に『増補改訂版 追跡・アメリカの思想家たち』『戦争を始めるのは誰か』、訳書にフランシス・フクヤマ『アメリカの終わり』ほかがある。
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